バレンタインデーに板橋で冒険心を学ぶ
今回の出発駅は都営三田線の板橋区役所前。駅を出ると頭上を覆い尽くすのが首都高速5号池袋線だ。ボクシングファンならピンとくるかもしれない。そう、首都高5号池袋線といえば“永遠のチャンピオン”大場政夫が23歳の若さで命を落とした高速道路である。
今回の散歩は板橋区役所前駅からスタート
フライ級世界王者の大場は愛車シボレー・コルベットを運転中、通称「大曲カーブ」を曲がりきれずに中央分離帯を越えて対向してきた大型トラックと正面衝突して命を落とした。事故現場はここよりもずっと都心寄りで、事故当時の1973年、高速道路は板橋まで延びていなかった。それでも大場が夭折してから今年でちょうど50年という思いもあり、心の中で合掌して中山道の横断歩道を渡った。
さて、今回の散歩は板橋からスタート。きっかけはキックボクシングの神童、那須川天心が少し関係している。那須川がボクシング転向にあたり、何度か口にした言葉が心に残った。
自分の人生、チャレンジし続けたいので――。
五十路を越えて衰えまくるチャレンジ精神を鼓舞しようと、「老骨に鞭を打て!」とばかりにターゲットに定めたのが植村直己冒険舘。「チャレンジ=冒険」はちょっとイージーだけど、あの偉大な昭和の登山家にして冒険家、今は亡き植村さんに会いに行くというだけで気持ちは高まるというものだ。
早いもので植村さんが43歳にして消息不明となってから39年。あらためて簡単に略歴を紹介したい。
【植村直己】
1941年2月12日 兵庫県城崎郡国府村(現豊岡市日高町)に生まれる
1964年3月 明治大学農学部卒業、海外の山を上り始める
1968年6月 アマゾン川6000キロを2カ月かけて筏で下る
1970年5月11日 エベレスト登頂(日本人初)
1970年8月26日 マッキンリー登頂(世界初の五大陸最高峰登頂)
1978年4月 犬ぞり単独行で北極点到達、グリーンランド縦断
1984年2月12日 マッキンリー冬期単独登頂(世界初)、翌日に交信途絶える
1984年4月19日 国民栄誉賞受賞(史上4人目)
街並みが素敵な仲宿
板橋区役所前駅から中山道の宿場町として栄えた仲宿商店街を通り過ぎて王子新道を東へ。7分ほど歩くと建物の影から板橋区立植村記念加賀スポーツセンターがドーンと姿を現わした。立派! きれい! それもそのはず、この体育館は1986年開設の東板橋体育館を大規模改修し、2021年12月に植村冒険舘とスポーツセンターの複合施設として生まれ変わったのである。
というわけでここはプールや室内競技場、武道場、トレーニングルームなどを備えた立派なスポーツ施設。その中に冒険舘が入っているというので「ひょっとして脇役扱い?」と疑っていたら、入口を入るといきなり植村さんの写真が壁を覆い、ロビーには植村さんが北極圏1万2000キロを走破した犬ぞりが展示されているではないか! “植村記念”の看板に偽りなしである。
いざ植村直己冒険舘へ
2021年12月にリニューアルした植村直己冒険舘
私と近藤カメラマンはエレベーターで3階に上って展示室へ。入場は無料。入場券をもらい、記念のスタンプを押す。エントランスではイントロダクションシアターで植村さんの業績を紹介する映像を流していた。「エベレスト」、「北極」、「アマゾン」の3編で構成された映像はテレビ局が作ったと思うほどの出来栄えで思わずうなってしまう内容だ。
大事なことを言い忘れていた。なぜこの記念館が板橋にあるのかといえば、植村さんが北米最高峰、厳冬のマッキンリーで消息を絶つ1984年まで15年にわたって板橋区に住んでいたからだ。植村さんは世間が驚くようなチャレンジを終えるたびに板橋に帰り、新たな冒険の構想を練った。そんな「ウエムラ・スピリット」を永く後世に伝えようと92年に植村記念財団が設立された。
リニューアル前の冒険舘は同じ板橋区内の蓮根という場所にあって、ここには昔行ったことがあった。とても手狭だった印象で、だからこそ余計にリニューアルした冒険舘が立派に感じられたのかもしれない。
展示パネルに目を奪われる渋谷
30キロのザックを体験で背負うことができる。近藤カメラマン初登場
この日は1月31日から6月3日まで開催されているメモリアル展「山頂に残された 旗マッキンリーに消えた植村直己の足跡」と題された展示が催されていた。おおっ、これがマッキンリーの山頂に立てた旗か! こんな粗末に見える装備でマイナス30度にもなる冬山に登っていたのか! と静かに興奮する私。すると近藤カメラマンが「あの~」という感じで話しかけてきた。
近藤「渋谷さん、山が好きなんですか?」
渋谷「そうですね。どちらかと言えば海よりは山のほうが好きです」
近藤「僕は寒いのがダメなので山はちょっと…。いや、展示は面白いですけど」
渋谷「僕も寒いのはダメです。血流が悪くて冬は手も足も指がしもやけになります」
近藤「あ、登山の経験はない?」
渋谷「ないです」
近藤「そうですよね。そんなに血流が悪かったらすぐに凍傷になりますもんね」
渋谷「ええ…」
登山にも冒険にも疎遠な中年男子2人はそれでもウエムラ・スピリットの爪の垢でも煎じて飲もうじゃないかと熱心に展示品に目を向け、パシャパシャと写真を撮り続けたのだった。