日本チャンピオンにでもならない限り、プロボクサーは生活が苦しい。
かつては山中慎介もそうだった。年間数試合のファイトマネーだけで食べていくのは難しかった。
専修大学ボクシング部時代は、神奈川・川崎市の居酒屋でアルバイトしていたが、東京・新宿区の帝拳ジムの門を叩いたことで杉並区のアパートに移る。家賃は5万5000円。すぐに自宅近くのお弁当の店でアルバイトを始めた。2005年のことである。
だがボクサーは宿命として、試合が近づくと集中しなければならなくなる。2006年1月のプロデビューに向け、「融通の利くところを」と求人雑誌を買って探すことにした。見つけたのが新宿にあった、チェーンのラーメン店。ジムに通いやすく、融通も利いて時給もまずまずだったからすぐに決めた。
「昔からラーメンは食べるのも大好きでしたし、若いころは天下一品の〝こってり〟みたいな、こってり系ラーメンが大好きでした」
アルバイトは決まって、飲食系。
滋賀県で和食レストランを営んでいた父親の影響もあって、食には人一倍のこだわりがあった。魚も肉も、残さずにきれいに食べるのがつくってくれる人への最低限の礼儀。普段は温厚な彼も、知人が食べ残したものを見ると「ここまで食べられますよ」と言ってしまうほど〝うるさ型〟に変貌するほどだ。
「決まって飲食のアルバイトを選ぶのもやっぱり頭のどこかで、食べものに触れることが好きっていうのがあったんでしょうね。ラーメン店で働いたことがなかったんで、興味もあったとは思います」
ラーメン好きがラーメン店で働くとどうなるか――。だが、彼はハマってしまう怖れも考えて、敢えてこってり系を避けることにした。
アルバイトとボクサーの両立は、大変だ。
「朝ロードワークしてから、朝8時半には出勤します。満員電車のなか、ジムワークの道具も持っていかなきゃいけない。夕方5時まで立ち仕事をやって、そこからジムで練習して20時過ぎに終わって帰っていました。自宅に戻っても洗濯をやらなきゃいけなかったんで、1日終わったらどっと疲れて布団にバタンキューって感じでした」
月曜日から土曜日まで働きっぱなし。ジムが休みになる日曜だけ、バイトも休みにした。夕方の「ちびまる子ちゃん」をテレビで観ると、決まって憂鬱になった。ああ。また明日から忙しくなるな、と。
ラーメン店では最初、皿洗いから始まって、ラーメンのトッピング係、そしてセットメニューのチャーハンやタンタンメンのペースト、デザートの杏仁豆腐をつくったりと、調理のほうを任されるようになる。ゆでたまごは、1日100個以上は殻をむいていたそうだ。
プロデビューから4年間、ここで働き続けた。ペーペーから、いつの間にかキャリアが一番長いベテランとなり、昼食休みも一番先になった。
「従業員の場合、ラーメンは半額で食べられるんです。でも長くいると店のものはだいぶ飽きてくるんで、おかずを近くで買ってきて、100円のライスと一緒に食べることが多かった。そのライスに、スープがついてくるので、まあそれだけで十分でした」
試合が近づくと休みにしてもらい、試合に集中できた。ただ、結果は勝っていたとはいえ、内容が伴わない試合が多かった。
ボクシングの強豪・南京都高時代は3年時にとやま国体少年フェザー級優勝を果たした実績があるものの、専修大学時代は、本人いわく「まじめにやっていない」。練習に身が入らず、さぼってパチンコ三昧の日もあった。
「プロキャリアの最初のほうは大学時代のツケが回っていました。何でこんな試合しかできないんやろうって、情けなくなるときもあって……でも俺はこんなもんじゃないぞって、自分で言い聞かせてもいました。
でもバイトやって良かったのは、ここで負けていられないという思いを培った感じがありました。絶対に、ボクシングで上に行ってやるぞって」
月収は手取りで16万円ほど。しかし十分とは言えず、家賃を滞納することもしばしば。アパートの大家さんが元ボクサーだったこともあって理解があったことも助かった。
仲良くなったバイト仲間もいた。だが試合が決まっても「応援にきてくれ」とは言わなかった。自分のためにバイトで稼いだお金を使ってまで、応援してほしいとは思わなかった。いや、いい試合を見せる自信がなかったというのが実は本音なのかもしれない。
この環境から、いつか抜け出さなきゃいけない。
アルバイト先のラーメン店では自粛していたものの、自宅近くのお気に入りの、こってり系ラーメン店には試合が近づこうが関係なく通っていた。だが不甲斐ない試合が続いたことで試合の1カ月前からラーメン断ちを決める。
「僕はありがたいことに減量がまったく苦にならないので、試合直前でも気にせずラーメンを食べていました。デビューしてからも、よく食べていましたね。ボクサー時代で一番食べていた時期かもしれない。でも、減量的に大丈夫でも、自分のプロボクサーとしての姿勢がどうなんや、と思ったんです。試合に向けて、どう栄養を摂っていくべきかとしっかり考え始めたのもこのころでした」
好きなものを、敢えて断つ。
ハングリー精神により磨きが掛かり、栄養をバランスよく取って試合に臨むことで結果もついてきた。
判定続きだったのが、2009年に入ると5連続KO勝利。ついに日本バンタム級王座の挑戦権を手に入れ、と同時にラーメン店のアルバイトを辞めることにした。
俺はボクシングだけで食っていく。
それは不退転の決意表明でもあった。