「ゲームオーバー!」
皆さんご存知、映画「ストリートファイター」(1994年)からの一言。
人気格闘ゲーム、「ストリートファイターII」の実写版。
ガイル役、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演と言えば、思い出す方多いのではないでしょうか。アニメ、ゲームの実写化映画の話になると、「94年の悪夢」として毎回話題に上る作品としても有名。
エドモンド本田とザンギエフはいい味出しています。原作を無視したオリジナルのアクション映画(B級)と思えばなんとか大丈夫。カイリー・ミノーグが可愛かった。
“ストII”と言えば、もちろん対戦型格闘ゲームの元祖。(イー・アル・カンフー説もあり)ファミコンでは表現できなかったグラフィックもスーパーファミコンなら大丈夫。世代交代の立役者のソフトの一つといっていいでしょう。
さて、11月21日はクリスマス商戦を見越してか、任天堂がハードや大作ソフトを発売する「任天堂の日」として、ファンにはお馴染み。そしてスーパーファミコンの誕生日でもあります。今年で32周年を迎えたスーパーファミコン。
まずは誕生前後の時代背景とともに、ご存知ない方にもご説明いたしましょう。
1983年のファミコンという画期的なハードの誕生によって、家庭用テレビゲームという新ジャンルが文字通りお茶の間に定着しました。
当時の小、中学生にとっては遊びの歴史が変わった節目でしょう。「ファミコンは1日何時間まで」なんて校則ができた学校もあったとかないとか。何か一つヒットすれば、それに追随するのは世の常。アーケードゲーム専門だったセガは『SG-1000』や『セガ・マークIII』、NECは『PCエンジン』でゲーム市場の首位奪還を目指します。
しかし、任天堂のその背中は遥か彼方。ファミコンが独走したまま、時代は8ビットから16ビットに変化していきます。
次世代ハードの中で、セガはいち早く16ビットマシン『メガドライブ』を投入。当時、ゲーム好きの友人にメガドライブがいかに凄いかを力説されたものです。任天堂派だった筆者は、どうもセガのゲームは、アーケード版そのままと言いますか、何か海外のゲームといった雰囲気が拭えず。さらに動作も難しく、本当のゲーム好きがやるもんだ、と思ったのを覚えています。
セガマニアに支えられ、売れ行き好調なメガドライブに遅れること2年、任天堂は1990年に『スーパーファミコン』を発売。マリオという定番キャラはもちろん、『ドラゴンクエスト』シリーズ、『ファイナルファンタジー』シリーズといった強力布陣で瞬く間に市場を席巻。ミリオンヒットを連発します。メガドライブも健闘しているのですが、ファミコンからのバトンを上手く受け継いだスーパーファミコン。下図を見てもお分かりのように、ソフトの数でも他社を圧倒。第二世代の16ビット機でも任天堂が絶対王者に君臨します。
1994年は驚異の370タイトル発売。
スーパーファミコンを語る上で避けられないのは、やはりコントローラーを一新したことでしょう。右手で扱うABボタン、2つだったところに十字に並ぶ4つのボタンを採用。さらに両手の人差し指を使う、コントローラー側面の“LRボタン”。
現在のコントローラーにも採用されている側面のボタンの位置はここで誕生します。複雑化するゲーム内容にボタンが多くなるのは当然ですが、人差し指で側面を押すという発想はさすがの一言。確かにコントローラーを支えるだけの人差し指は余っていましたね。
画期的な「L Rボタン」人差し指も忙しくなった。
『スーパーマリオカート』はもちろん、サウンドノベルの先駆け『弟切草』『かまいたちの夜』。後のゲーム業界に影響を与えた作品を取り上げ出したらキリがないので、本題のスポーツジャンルにいきましょう。
今回調べたソフト総数は1447本。
そのうち、独自にジャンル分けしたスポーツゲームは261本という結果に。その中で一番売れたソフトはと言いますと、『スーパーファミスタ5』が、38万本となっております。総合売上ランキングでいうと46位という厳しい結果になっていますが、『はた山ハッチのパロ野球ニュース!実名版』等、いい作品も続々登場。
次回はジャンル分けしたスポーツゲームについてそれぞれ掘り下げていきます。一番多く発売されたスポーツジャンルはいったい何だったのでしょう?
マニアックモノガタリ「スーパーなファミリーのコンピューター vol.01」 終
2022年11月月公開