「超レア様」の企画を立ち上げたときに、取り上げたかった一人が今回の古川雅貴さんでした。元プロボクサーの肩書きを持つスポニチ時代の3つ上の先輩。ちょっと近寄り難い「一匹狼」みたいな感じで、私が新入社員のころは話をするときもかなり緊張した思い出があります。その後、内勤の整理部記者(見出しやレイアウトなど紙面制作の部署)から外勤のスポーツ部記者になったときに古川さんはちょうど退職されて、スポーツトレーナーの道に進むことになります。現在は群馬・前橋でふるかわマッサージ療院を経営されています。あれから20年、いろいろと聞きたいことがあったんですよ!
編集長 古川先輩、ご無沙汰しております!
古 川 本当に久しぶり。それも自分の取材ってびっくりなんだけど(笑)。
編集長 SPOALの「超レア様に会ってきた!」という超人気企画(おそらく)で、ぜひ古川さんの超レアな半生を取り上げたいと思いまして。
古 川 そんなレアかなあ。
編集長 まず「学習院大生でプロボクサー」がレアでしょう。デビューされたのが大学2年時の1989年。高校でもボクシングはやっていたんですか?
古 川 いや、高校までは野球をやっていて、ポジションはショート。本気で甲子園を目指していた。でも県大会4回戦で敗れてしまって。
編集長 千葉の進学校、市川高校ですよね。
古 川 野球に明け暮れていたけどね(笑)。
編集長 ボクシングとのつながりがまだ見えてきませんね。
古 川 大学でも最初、野球部に入ったんだけど、高校で燃え尽きたなって感じて3カ月で退部したのよ。ならば別のスポーツを真剣にやりたいと思って、ボクシングかマラソンのうちどちらかをやろう、と。
編集長 何故その2つ?
古 川 団体競技は散々やってきたし、もういいかなと思って。次は個人競技と思ったときにマラソンかボクシングなら、大学から始めても間に合うのかなって。ボクシングは元々、見るのが好きだったし、友達がボクシングジムに通っていたので見学させてもらって。
編集長 ボクシングを選ぶわけですね。
古 川 そうそう。でもジムはいくつか見学して、結局は大塚にある角海老宝石ジムに決めたんだよね。
編集長 大学が目白だから、アクセス的にも悪くない。
古 川 というよりもジムの雰囲気かな。新宿にあった協栄ジムにも行ったけど、自分的にはボクシング未経験者が入りやすいような感じじゃなくて、ちょっと敷居が高いというか。角海老宝石のほうはいろんな人がいたから、やるならここかなと思って。
編集長 すぐにボクシングにはまっていくんですか?
古 川 むしろ戸惑いのほうが大きかったかな。
編集長 と言いますと?
古 川 初日に構えとジャブの打ち方とかを教えてもらったけど、それ以降は声も掛けてもらえずに相手にされなかった。練習メニューも自分で決めて、あとは見よう見まねで。今までのスポーツで放っておかれる経験ってあまりなかったから、戸惑ったよね。
編集長 ひと昔前のボクシングジムってそういうところ多かったって聞きますよね。始めたばかりの練習生はなかなか構ってもらえないというか。
古 川 でも辞めたいとかは思わなかったよ。大学1年の秋に入ってまだ20歳にもなっていなかったけど、人生において逃げちゃいけないのが今だと思った。この状況から逃げるわけにはいかないって。
編集長 サークルとか入って大学生ライフを楽しもうとか思わなかったんですか?
古 川 まったくなかったね(笑)。大学生生活っていうよりも、ここからは完全にプロボクサーの生活になる。
編集長 トレーナーから声が掛かるようになったのはいつくらいから?
古 川 ジムに入って2、3カ月くらい経ってから「お前いつも練習に来ているな。スパーやってみるか?」って。でもその最初のスパー、2ラウンドやったんだけど、1ラウンド目の1分くらいでガス欠になっちゃって動けなくなって打たれっぱなし。殺されるんじゃないかって思ったよ。
編集長 ジャブしか教えてもらっていないわけですよね。
古 川 そうそう(笑)。でもこれじゃ全然ダメだと思って、ロードワークをやり始めて。そこからスパーをやるときは指名されるようになって。俺、ジムで1日30ラウンドくらい練習をやっていた。「サンドバックも打たなきゃだめだ」と言われていたから10ラウンドくらいそれをやってヘトヘトになったところで「スパーどうだ?」と言ってくる。
編集長 それはキツい!
古 川 でも1回も断らなかったよ。人生の修行だと思っていたからね。
編集長 プロデビューも結構早かった、と。
古 川 大学2年の春にプロテストに合格してその1カ月後だったね。
編集長 フライ級でのデビュー戦は残念ながら4回判定負け。メディアに取り上げられて、古川さんが後に就職することになるスポニチでは「学習院に異色男」という見出しで大きな扱いでした。
古川さんのデビュー戦のスポニチ記事。異色の経歴から記事の扱いも大きかった
古 川 書いてくれたのが当時スポニチ記者だった藤島大さん。
編集長 僕も尊敬するスポーツライターの大先輩です。藤島さんが書かれていたんですね。ボクサー時代の話、もっと深掘りしていくことにしましょう。
※写真はすべて古川雅貴さん提供
2020年10月公開