その人は、Jリーグの川崎フロンターレが運営するフットサルコート「フロンタウンさぎぬま」で中学生と一緒になって汗を流していた。
柔軟性を持った選手を生み出すべく中長期的な育成を目的に、中村憲剛が2019年に立ち上げた「KENGO Academy」。ここで寺内雄貴はアシストタントコーチとして指導にあたっている。
「中村が40歳まで現役を続けられた秘訣は、技術を高め、サッカー脳を鍛えて柔軟性を身につけていったから。コミュニケーション力も大切です。そういったものを中学生世代にしっかり落とし込んでいきたいというのがアカデミーの狙いなんですよ」
中村の思いのみならずサッカー指導者をやりたいという自分の思いも乗せてアカデミーの設立にこぎつけた背景があってか、どうしても口調は熱くなる。基本的にはトレーニングをメインのコーチに委ね、全体を統括する役目を担っている。
本業は中村の個人マネージャーである。2010年に中村のマネジメントを主体とする有限会社ケンプランニングに入社して以降、裏方として支えている。
2人は中央大学サッカー部のチームメイト。関東大学サッカーリーグ1部からの降格も、わずか1年での1部昇格も経験してきた同志であり、親友でもあった。大学卒業後はそれぞれの道を歩んでいたが、再び交差する運命が待ち受けていた。
1980年、福島に生まれた寺内は小学3年からサッカーを始め、体が大きかったこともあって目立つ存在だった。ポジションはミッドフィルダー。小6で全日本少年サッカー大会にも出場を果たし、中学に入っても東北選抜に選ばれるほどの実力の持ち主。高校は強豪の福島東高に進学し、1年時から出場機会を得た彼は全国高校サッカー選手権大会福島県予選の決勝まで進む。郡山商相手に4点ビハインドから1点差まで迫ったものの、届かなかった。
東京の大学でサッカーを続けたいという思いから中央大学に指定校推薦で入学し、サッカー部の門を叩いた。そこで出会ったのが中村だった。
「筑波の大会で一度、都立久留米高と対戦したことがあって、同じ中盤だったからマッチアップしているんですよ。雨でグラウンドがぐちゃぐちゃで。最初にその話をした記憶がありますね」
なぜかウマが合った。仲良くなるまで時間は掛からなかった。
寺内は入寮できず、最初はアパート暮らしをしていた。寮で生活していた中村を通じて練習時間の確認などをしていたという。休みの日になると一緒に遊ぶことも増えていった。
1年時からトップのAチームに入り、サイドハーフで公式戦に出場するなど同期のなかでは〝出世頭〟でもあった。同級生の中村のことは当時どのように見ていたのか。
「凄く細かったんですよ、こっちが大丈夫かなって思うくらい。1年のころは練習もついていくのがやっとな感じだったので。ただ体が細い分、相手に体を当てられてもボールを扱えるように受け方を工夫していました。あと、とにかく真面目でしたね。授業もちゃんと出ていましたから。サッカーのほうでも3年からグンと頭角をあらわしてきた印象があります」
中村と寺内が3年のとき、中大サッカー部に激震が走る。創部52年目にして初めて関東大学サッカーリーグ2部への降格が決まったのだ。危機に立たされた部において、次のキャプテンに就任したのがチームで10番をつけていた中村であった。
寺内曰く「自分にも周りにも厳しいキャプテンだった」という。
「僕も日常のことで注意されましたよ。授業がないときは練習が始まるギリギリまで寝ていて、そんなんじゃダメって。やることやっているからいいじゃないかって思ったけど、あの人はちゃんとやっているから言えない。結局みんな〝憲剛が言うんだから〟ってついていくんです。まあでも相当負けん気も強かったですよ。試合前日のミニゲームに負けると超怒りますから。ちょっと怖かったくらい」
中村に負けないくらい寺内も真面目な学生であった。学校には夜間も通い、社会科の教員免許を取得している。一時はプロになることを考えた時期もあったが、「自分の実力じゃ食っていけない」とあきらめた。
「1年で1部に上げろ」という先輩方の無言のプレッシャーに応えつつ、4年生になると就職活動もしなければならなかった。寺内はいち早く地元福島の銀行から内定をもらっている。おかげでリーグ戦にも集中できるようになった。悔いなくサッカーをやり切ろうと誓った。
中大サッカー部時代の寺内さんは1年時からトップのAチームに入っていた ©JUFA/REIKO-IIJIMA
あの日のことは忘れられない。
1部昇格が懸かったリーグ最終戦、相手は日大だった。開始早々、退場者が出て1人少ない状況ながら先制点を挙げたものの、前半で追いつかれてしまう。流れは日大ペース。勝たなければ昇格はないという状況のもと、中村が1トップで前線に残ってゴールにこだわり続けた結果、3-1で勝利して昇格を決める。左ウイングバックとして戦い抜いた寺内も攻守において持てる力を出し切った思いがあった。
「今思い出しても、凄い試合でした。1年で1部に戻さなきゃいけないっていう思いで1年やってきましたから。経験したことがないくらいメチャメチャうれしかったです。中村憲剛キャプテンのもとでまとまったから、成し遂げられたのかなとは思います」
キャプテンマークを巻いた中村とも抱き合った。
昇格を決めたあの試合が、4年間の大学生活において最高の思い出になった。
プレーにおける中村さんと寺内さんの貴重な2ショット ©JUFA/REIKO-IIJIMA