翌朝、カーテンから差し込む「熱気」で目が覚めました。そのまま朝食にでたのですが、ホテルから一歩、足を踏み出した瞬間、モワッとした熱風が体中を包み込んできました。
「な、なんだ、この暑さは!??」
初めて経験する熱風にたじろいだのを覚えています。ただそこにいるだけでじんわりと汗が滲み、飲み物を飲んだ瞬間に体中の毛穴から汗が吹き出すような暑さでした。この日の夕方、公式練習の会場でスポーツ紙のカメラマンが持参した温度計によると、気温は40℃を指していました。灼熱とはこんなときのための言葉なのだと知りました。
予め準備していたカメラマンに拝借してパチリ。
あれから12年が経ち、今となっては日本でも「あり得ない」気温ではありませんが、当時の常識(2008年8月東京の最高気温は35.3℃)からすると、6月で40℃は異常な気温でした。
灼熱という言葉で思い出されるのは1997年のフランスW杯のアジア最終予選、アブダビでおこなわれたアウェイのUAE戦です。記録によるとこのときの気温は38℃でした。当時は涼しいエアコンが効いた部屋でテレビを通しての観戦でしたが、その11年後、まさか自分が同じような環境の中で取材をすることになるとは、まったく考えもしなかったことでした。
公式練習を取材した後、街中を散策しました。昨夜は真っ暗で気が付きませんでしたが、マスカットの街は岩山に囲まれていて、海沿いにはいくつもの砦が残されていました。その昔、オスマン帝国の侵略を防ぐために建てたれたという砦はアラビアン・ナイトの世界観にピッタリと当てはまるオススメスポットです。
海岸でビーチサッカーを楽しんでいた家族をパチリ。
そして、いよいよ試合当日。ここで僕たち取材陣はアウェイの洗礼を受けることになるのでした。なんと会場にペットボトルを持ち込むことを禁止されてしまったのです。観客には安全上の理由で禁止されることもありますが、取材陣にそのルールが適用されたのは珍しいケースでした。しかも、セキュリティについて緩いことが多い中東において、しっかりと荷物チェックをしてペットボトルを押収していたのは想定外でした。
試合開始は夕方で、前半は太陽が残る中での試合です。そして、小さなスタジアムには屋根がありません。つまり、ギリギリまで西陽が差し込んでくることを意味しています。さらに開始1時間前から準備や練習の撮影があることを考えると水はどうしても欲しい。今ほど熱中症という概念が浸透していなかった当時ですら、さすがに危険だろうと思わずにはいられない状況でした。
強烈な西陽で眩しいかったのでパチリ。
選手たちが一番大変なのは分かりきったことではありますが、あえて言わせてください。選手は水分補給できますが、容赦なく太陽にあぶられ続けて、水分補給もさせてもらえない現場の人間も辛いのです。
そんな状況ですから、前半が終わる頃には意識が朦朧としていたのは言うまでもありません。そして、迎えたハーフタイム。なんとスタッフが水を配り始めたではありませんか。飛行機の機内食についてくるような小さなパックでしたが水は水です。まさに命の水。おおおお、ありがとう!
でも、あえて言わせてくれ! できれば試合前に配って欲しかったぞ!!
終わりッ
白装束のガンドゥーラが欲しくなるくらい暑かったのでパチリ。
2020年8月公開