2008年6月。僕は成田空港のチェックインカウンターで凍りついていました。このとき僕はワールドカップのアジア三次予選に挑む岡田JAPANを取材するために、バンコク経由でオマーンのマスカットへ向かう予定でした。しかし、搭乗カウンターでやりとりしているとき、僕の全身の血の気が引いたのでした。
受「それではお客さま、パスポートと搭乗券を拝見します」
僕「はいはい、これがパスポートです」
受「あの、、搭乗券を、、、」
僕「え? Eチケットですよね? 持ってきてないですよ?」
受「お客さま、、、バンコクから先は紙のチケットが、、、」
経由地のバンコクまではEチケットでしたが、バンコク?マスカット間は紙のチケットが発券されていたのです。確かに旅行代理店から封書が届いた記憶はありました。しかし、海外出張の数が増えるにつれて、始めは開封していた封書も、この頃になるとほとんど確認しなくなっていました。なぜなら、当時、僕が乗っていたフライトのすべてがEチケットだったので、封書の中身が旅行に不必要だと勝手に決めつけてしまっていたのです。
しかし、まだ僕は少しだけ期待していました。だって、チケット忘れたくらいで高額な飛行機に乗れないことはないしょ、とタカを括っていました。いや、そう思い込むことで平静を装っていたのかも知れません。しかし、グランドスタッフの丁寧な受け答えの裏には絶対に覆らない現実があることが分かると、背中を冷たいものが走りました。
慌てて代理店に泣きの電話をいれたのは言うまでもありません。このスタッフが僕の大学の同期の友人で親切な上に海外旅行の手配についてかなりの知識を持った方です。僕は必死に不条理(自分勝手)を訴えたのです。しかし、当たり前のことですが、ここでも答えは変わらず、代替案が提案されました。それはキャンセルフィーを払ってチケットを払い戻して、最初に買ったときよりも高い値段でチケットを買い直すことでした。確かこのときは12万円で買ったチケットを9万円で払い戻して、15万円で買い直した記憶が、、、。
思い切って取材自体をキャンセルする選択もありましたが、このときはオマーンとタイでアウェイ2連戦でした。南アフリカでの本大会の取材を目標にしていた僕に、キャンセルという選択肢はありませんでした。
そう言えば、こういう経験は今までにも経験してたな、と不意に思いました。高校生の頃、上野のバイク街で中身がボロボロの原付きを高値で買わされたとき、実兄に「高い勉強代だったな」と言われた苦い経験を思い出しました。そう、これはちょっと高い勉強代なのだ、と諦めクレジットカードを差し出したのでした。
マスカットに到着したのは日が暮れた時間帯でした。空港で車を借りてポツンポツンとたつ街灯があるだけの薄暗い道をひたすら走り、ホテルで荷物を解いてから、簡単な夕食を摂りにレストランへでかけました。
オマーンはイスラムの国ですが、戒律は比較的緩くて、非ムスリムであればお酒を楽しむことができました。成田空港のドタバタ劇を肴に冷えたビールを流し込み長い一日がやっと終わりを迎えました。
続くッ
夕暮れ時のオマーン湾でパチリ。
2020年8月公開