ボクシング好きが集まった阿佐ヶ谷の名店
2021年2月某日、JR中央線阿佐ヶ谷駅に南口に降り立った。線路に沿った細い道を少し歩いていくと、スマイルホテルが建つ小さな十字路に出る。左手のこぎれいなマンションはかつて“あの店”があった場所だ。
現在の阿佐ヶ谷駅南口
あの店とは『チャンピオン』という小さな洋食レストラン兼酒場。厨房を取り仕切るマスターの山本晁重朗さん(以下、愛称のチョウさん)は元プロボクサーで、東京オリンピックが開催された1964年に店をオープンした。阿佐ヶ谷でも目立たない一角に構えたその店は、やがて確かな味とチョウさんの人柄もあって多くのファンから支持されるようになった。
チョウさんの経歴もあり、特にボクシング関係者にはなじみの店だった。ファンもいたし、記者もいた。現役やOBのボクサーの顔を見ることも珍しくなかった。ときには元世界チャンピオンがフラッと足を運び、他の客とカウンターに並んでボクシング談議に講じる風景も見られた。チョウさんが紙に書いて張り出す「世界タイトルマッチ予想」はよく当たった。
また、チョウさんと妻の初子さんは大の映画好きで、業界人や映画好きが2人を交えて映画談義に花を咲かせることも日常だった。
チョウさんには自慢の色紙がある。2人の「シライヨシオ」のサインが1枚に並んだ貴重な色紙だ。言わずと知れた白井義男さんは日本初のボクシング世界王者、そしてもう一人の白井佳夫さんは映画雑誌『キネマ旬報』の編集長を務め、その後は映画評論の第一人者として活躍した人物である。
リングとスクリーンはどちらも四角という縁がある。阿佐ヶ谷に住んでいた映画の白井さんにサインを頼んでみると「ボクシングの白井さんが書いたあとなら」と快諾、ボクシングの白井さんには後楽園ホールで声をかけると「ここではできないから自宅まで来なさい」とチョウさんを自宅に招いてサインをしてくれた。これには映画の白井さんが大層喜んでくれたという。
店内にはいつもボクシングの匂いがした=提供写真
そんなチャンピオンに閉店の話が舞い込んだのは2007年が明けて間もなくのこと。普段は掛かってくることのない家主から1本の電話が。とっさに抱いた何か不吉な予感は残念なことに的中した。
2007年に惜しまれながら43年の歴史に幕
「あれは本当に急な話でしたね」
閉店から14年、久しぶりに会った84歳のチョウさんが打ち明けてくれた。家主から建物の老朽化を理由に立ち退きを求められたのだ。02年に料理人の次男、寛朗さんが後を継ぎ、寛朗さんと初子さんで店を回すようになってから5年しか経っておらず、店がなくなれば『チャンピオン』を継続した意味を失う。さすがに「はいそうですか」と簡単に受け入れられる話ではなかった。
「いきなりの立ち退きですからね。最初は憤りもありました。困って弁護士にも相談しました。聞けば立ち退きは6か月前に通知しなければならないといいますから、法律的にもこれはおかしい。常連さんも怒って『居座っちゃえ!』なんて言い出す人もいたんです。でもね、よく考えてみたんですよ。振り返れば私が困ったときに家主さんにはすごく助けてもらった。今、困っているのは家主さんなのかもしれない。だったら次は私が助ける番なんじゃないか。そう考えて、最後は納得したんです」
チャンピオンをオープンしたころ、チョウさんはの「平沢貞通氏を救う会」の事務局員をしていた。1948年に起きた『帝銀事件』で死刑判決を受け、冤罪を訴えていた平沢貞通さんを救う人権運動の会だ。この裁判に絡んでチョウさんはなんと偽証容疑で東京地検に逮捕されてしまう。これが店をオープンして1年とたたない1965年3月のことで、逮捕されたチョウさんは巣鴨のあった東京拘置所に1ヵ月勾留された。
その後、保釈されて1年後に裁判で無罪が確定し、偽証罪は“冤罪”だったと明らかになるのだが、有名な帝銀事件とあって報道は大きく、保釈直後は世間から白い目で見られた。すぐに店を再開したものの客は寄りつかず、顔を見せたのは知人が数名という状態。これでは商売にならない。そんな絶体絶命のピンチに手を差し伸べてくれたのがこの家主だったのだ。
「チョウさん、大変でしょう。店が軌道に乗るまで家賃は払わなくていいです。あとで払ってくれたらいいですから」。チョウさんはその言葉に助けられ、家賃を4か月滞納し、売り上げが戻ってから6回の月割りで支払った。おかげで店を続けることができた。
閉店が迫っていたころの『チャンピオン』=提供写真
話を2007年に戻そう。結局、当初は2月末に立ち退く話を、4月末までの営業ということで決着をつけた。盛大なサヨナラパーティーが開かれたのが同年4月28日の夜。世界チャンピオンを筆頭にボクシング関係者がたくさん訪れた。常連客だけでなく、昔よく顔を出したお客さんまでが閉店を惜しんで駆けつけた。さらにはあまりの盛り上がりに「何事か」と飛び入り参加した通りがかりの客まで加わり、道に人があふれてパトカーが出動するほどの騒ぎになった。
実は家主から店に「僕もサヨナラパーティーに出てもいいか?」という連絡が入ったそうだ。チョウさんは丁重にお断りした。「だって怒ってる常連さんがたくさんいたんですから。そんなところに家主さんが来たら大変なことになるじゃないですか」。家主だってそれが分からないはずはない。ただ、大好きなチャンピオンのお別れ会を少しでものぞいておきたかったのだろう。
パーティーを終え、翌29日、30日はいつも通りに店を開けた。日付が5月1日に替わり、夜も明けかけるころ、チョウさんがフライパンで惜別の10カウントを打ち鳴らし、チャンピオンは43年の歴史に幕を閉じた。
こうして惜しまれてなくなったチャンピオンをチョウさんはどのように立ち上げ、多くの人たちに愛される洋食レストランに育て上げたのか。第2回からはチョウさんの話に耳を傾け、チャンピオン誕生の歴史と店にまつわるさまざまなエピソードを紹介していきたい。
2021年3月公開