どうしても一番になりたい アマ時代は全国大会優勝を井岡一翔に阻まれる
日本バンタム級1位の澤田京介はタイトルマッチの度重なる延期にもめげず、2022年2月5日に行われる日本バンタム級王座決定戦に向けてトレーニングに励んでいた。絶対に日本チャンピオンになる。その思いだけは対戦相手のランキング2位、大嶋剣心に勝っていると自信を持っていた。
「やっぱりチャンピオンにならないと。それ以外はみんな一緒だと思っているので」
一番以外はビリでも一緒。よく使われるフレーズかもしれないが、澤田のボクシング人生を知れば言葉の重みはグッと増す。
北海道は石狩市出身。2000年10月、横浜アリーナで開催された畑山隆則と坂本博之のWBA世界ライト級タイトルマッチに刺激を受け、中学3年生でボクシングを始めた。高校は北海道の強豪、札幌工高に進んでアマチュアキャリアをスタートさせた。
定時制だったので昼はスーパーをはじめいろいろな職場で働き、夕方から授業を受けてボクシングの練習を始めるのは夜9時ごろ。帰宅時間が日をまたぐことも珍しくなかった。そんな努力は実を結び、全国大会に出場して準優勝という好成績を収めた。
「全国大会の決勝で負けた相手は1学年下の井岡一翔選手でした。しかも2度。彼は当時からずば抜けていました。今や向こうは遙か上(世界4階級制覇)にいるので追いつきたいなんてとても言えません。でも、意識はしてるんです」
高校での実績が認められて、大学は名門の日大に進学。リーグ戦に出場するなど活躍したが、大学でも国体ベスト4どまりで日本一の夢を叶えることはできなかった。卒業後もボクシングを続けたいという思いはあった。ただこの時、澤田は難問を抱えていた。取得単位がまったく足りず、卒業できなかったのである。
「4年間は学費免除だったんですけど留年すると学費がかかる。単位を取れなかったのは自業自得ですから親に迷惑はかけられない。それで2年間はラーメン屋でバイトしながら授業に出て単位を取りました。バイトは1日10時間の日もあって、本当にいっぱい、いっぱいの毎日でした」
大学はギリギリで卒業することができた。この間、ボクシングからは完全に遠ざかっていたが、澤田が卒業後に選んだ道はプロボクサーだった。自分はまだ目標を達成していない。プロでチャンピオン、日本一に挑戦することを決意した。
ところが――。
2年のブランクは思いのほか大きかった。2013年4月のデビュー戦に判定負けすると、8月の第2戦は4回TKO負け。アマチュアで実績のある選手がデビューから連敗なんて普通はあり得ない。負けた相手はのちの日本王者、鈴木悠介と同じく東洋太平洋王者の勅使河原弘晶という実力者だったが、だからといって慰めにはまったくならなかった。
悪夢の連敗スタートから這い上がる
トレーナーの山田武士は澤田が連敗した姿を見て「辞めるんだろうな」と感じていた。
「勅使河原戦で眼窩底骨折して、病院に直行してすぐに手術。辞めると思いましたね。アマチュアエリートがデビュー2連敗ですから。だから病院に見舞いに行って『北海道に帰ってもがんばれよ』って言うつもりだったんです。そうしたら『まだ辞めません。山田さん、いつ戻ってこられるんですか』って」
第2回で説明したように、このとき山田は無期限のライセンス停止処分中だった。ボクシングの指導はできず、もちろん試合のセコンドにも入っていない。そうした状況で、屈辱の連敗を喫した澤田は山田のサポートを心から求めたのだ。
「もう本当に落ちるところまで落ちたという気持ちでした。でも、ここで辞めたらあまりにもかっこ悪い。絶対に這い上がってやろう。絶対に見返してやろう。そう思いました。他のジムに移籍する? いや、それはまったく考えませんでした。山田さんのライセンスは必ず戻ると信じていたし、戻ったら一緒にやれると思っていたので」
山田のライセンス停止に伴い、他のプロ選手が櫛の歯が抜けるように辞めていく中、澤田だけがJB SPORTSジムに残った。山田も澤田の心意気にこたえたかった。日本ボクシングコミッションへのアピールが叶い、山田がライセンスを再取得できたのが翌年1月のこと。ここから澤田と山田の戦いが始まった。
澤田はプロ選手1人で山田の帰りを待ち続けた
澤田は山田とタッグを組み、着実に白星を重ねていった。なかなか手にできなかった日本ランキングに名前が入ったのは2017年7月のこと。その後は上位ランカーとの対戦が叶わず、17年から18年にかけて北海道、山口、広島のリングに上がっている。望んでいた上位選手との対戦ではなかったが、この経験が思わぬ形で澤田の成長につながった。そう山田は感じている。
「ランキングを落とさないためにオファーがあった試合はすべて受けることにしました。それで地方に出かけてノーランカーとの試合ですよ。相手の地元でこっちの応援団はゼロ。負けたらランキングを持っていかれる。そういう環境で試合をして、澤田は図太くなったと思います。けんかできるようになりましたね。それまではちょっとアマチュアのなごりで、下がっちゃうところがあったんです」
与えられた試合で力をつけ、ランキングを上げていった澤田は2019年10月、田中一樹との日本タイトル最強挑戦者決定戦に勝利した。悪夢の2連敗スタートから6年がたっていた。山田とコンビを組んでからの15戦は13勝2分の負け知らずで、日本チャンピオンのベルトは手の届くところまできていた。
2022年3月公開