タイトルを取れないフラグが立っていた…
日本バンタム級1位の澤田京介が2022年2月5日、後楽園ホールの日本同級王座決定戦に向けて動きだしたのは前年11月のことだった。日本タイトル最強挑戦者決定戦に勝利してから2年。この間、コロナ禍によるタイトルマッチの延期、21年7月の日本王座決定戦の負傷ドロー、同年11月には対戦相手の計量失格により試合中止という波乱が続いていた。
コンビを組むトレーナーの山田武士は澤田のツキのなさを目の当たりにし、背中に重くのしかかる負の感情と戦っていた。
「長い間ボクシングにかかわってきて、こういう巡り合わせでタイトルが取れない選手をたくさん見てきました。もう“取れないフラグ”が立っちゃってるんですよ。もちろん勝たせたい。だからそういう考えを一生懸命追い払って練習したんですけど…」
山田の思いとは裏腹に、澤田の調子は一向に上がる気配を見せなかった。
山田曰く、だれとスパーリングをしても「五分以下」。距離感がまったく合わない。考えられる要因は、澤田は19年10月の日本タイトル挑戦者決定戦に勝利して以降、2年間ずっとサウスポーとばかりスパーリングしていたこと。最初に挑戦するはずだった前王者の鈴木悠介、次に対戦相手となった定常育郎はいずれもサウスポー。変更となった大嶋は右構えの選手だった。
サウスポーが苦手だ、サウスポー対策に手を焼く、という話はよく聞く。しかし右構えに対応できないという話は聞いたことがない。山田も想定外だった。
「もうあまりに悪すぎて何も言えないくらい。見て見ぬフリじゃないですけど、いいところだけ取り上げて声をかけるような感じでした。試合まであと4週間を切ったくらいのとき、たまりかねて森川ジョージ先生に愚痴をこぼしたんですよ。もう(タイトルを)取れません。今までの経験上、これからもとには戻りません。骨を拾うつもりでけんかします。そう伝えました」
森川ジョージとはJB SPORTSジムの会長であり、少年マガジンに長期連載中の人気ボクシング漫画『はじめの一歩』の作者である。森川がジムを訪れる機会は少ないが、山田はジムの様子や選手の調整具合をマメに報告していた。スパーリングの映像も共有していたので、森川も澤田の調子が上がらないことを知っていた。
山田武士トレーナー
山田が森川にこんな弱音を吐くのはよほどのことだ。山田はどうしても澤田をチャンピオンにしなければならなかった。澤田をチャンピオンにすることが、森川への恩返しだと感じでいたからだった。
山田武士が誓った森川ジョージへの恩返し
もう11年も前の話になる。山田はプロボクシングを統括する日本ボクシングコミッション(JBC)からライセンスの無期限停止処分を受けた。ほかの格闘技イベントでセコンドに入ったというのが理由だった。JBCルールはプロボクシングのライセンス保持者がほかの格闘技イベントに出場することを禁じている。山田はこのルールに触れて3か月のライセンス停止となり、さらに同じ違反をもう一度繰り返して無期限停止処分が下った。
ライセンスをはく奪された山田は試合でセコンドに入れなくなっただけでなく、JBCからプロ選手へのボクシング指導を禁じられた。ボクシングジムに雇われながら、ボクシングを教えられない。それは美容室に雇われた美容師が髪をカットできないのと同じくらい致命的なことだろう。山田の指導に期待したプロ選手は次々とジムを去っていった。そうした状況で、ただ一人残ったのが澤田であり、山田を見捨てずに雇い続けたのが森川だった。
山田はボクシングの指導ができない間、毎月のように大学などで開催されているスポーツ関連の講義を聞いて勉強を重ねた。心拍トレーニング、減量方法、運動生理学、栄養学など、格闘技に必要とされるあらゆることを学ぼうとした。
そしてライセンス停止から2年がたつころ、ようやくライセンスの申請が認められるようになった。それからはライセンス再発行の申請をしてははねられ、嘆願書を出し続け、ようやく半年後に申請が認められた。ライセンス停止処分から2年半、2014年1月のことだった。
「あのとき、森川先生は周りのスタッフに『山田が帰ってくるのをみんなで待とう』と言ってくれたんです。そういう先生の心意気にこたえるのは、ただライセンスが戻ってありがとうございましたじゃなくて、うちからデビューした選手をチャンピオンにして初めて恩返しだと思いました。それが澤田なんです」
そんな山田の思いを森川もよく知っていた。スパーリング映像を通して澤田の不調を知っていた森川から山田に連絡が届いたのは年末のことだった。
「年明け2発目に出る少年マガジンに君のことを描いたから」
年が明けて1月19日、山田は発売された少年マガジンを手にして『はじめの一歩』を読んだ。中身の詳細は明かさないが、ライセンス停止処分を受けたことのあるボクサーが、試合で反則行為の誘惑にかられながら、支えてくれた人たちの思いを受け止め、自らが積み上げたキャリアを信じて正々堂々と戦う──そんなストーリーが描かれていた。
「自分もライセンス停止処分があって、いろいろつらい時期もあった。漫画ではその間のキャリアを信じろと。ああ、ほんとにやるしかないなと思いました。感動しました」
どんなに絶望的な状況でもあっても、自らのキャリアを信じて勝利を追求していくしかない。山田は腹をくくった。試合まで3週間を切っていた。
2022年3月公開