前回は総タイトル数から、「野球」が断トツの発売本数だったことがわかりました。(ゲームが面白いか面白くないかはまた別の話です。)
今回はソフトの発売数がピークだった1988年前後のスポーツゲームの内訳から、当時のスポーツの状況も見てみましょう。
1988年 スポーツゲームもピークに。
野球ゲームとしてではなく、スポーツゲームの代名詞とも言える「プロ野球ファミリースタジアム」が発売されたのが1986年。ソフト自体のメモリの増加に伴い、グラフィック表現が多彩になってきたこの頃から野球ゲームの本数が増えてきます。
1989年の14本は前年の倍。子供のなりたい職業ランキング1位「プロ野球選手」が何年も続くことが表しているように、家の外でも中でも野球人気は続きます。
80年代後半、日本のプロ野球はどうだったかというと、セ・リーグは巨人、中日がしのぎを削り、パ・リーグでは日本シリーズでもV3を達成するなど西武ライオンズ黄金期。また、年間MVPにも選出されているクロマティやブライアントといった助っ人外国人の印象も強いです。「ばあす」「ぶうまあ」を筆頭にゲーム上でも随分助けられました。
関係あるかどうかわかりませんが、1988、89年生まれのスポーツ選手は、田中将大、斎藤佑樹、福原愛、香川真司等々、タレント揃い。
野球に負けじとバブル時代にシンクロしたF-1ブーム。ゲームセンターの体感レースゲームをプレイしていれば、やはり自宅でもやりたくなる。ゲームのコントローラーだと臨場感出ないんだよなーと、またゲーセンに行くという無限ループ。キャメルイエローのパッケージが眩しい「中嶋悟監修F1ヒーロー」や「フェラーリ・グランプリチャレンジ」といった実名ゲームも88年以降に出てきます。
「POLE TO FINISH」ではセナとも対戦が。
さて、今では人気のプロサッカーはどうだったでしょう。「キャプテン翼」の影響でジワジワとサッカー人気も上がってきてはいましたが、サッカー少年のバイブルだったテレビ番組「三菱ダイヤモンドサッカー」は1988年に放送を一旦終了したりと、なんとなく人気の谷間があったような。
全国的にサッカー人気が押し上がるのはやはり1993年のJリーグの開幕から。しかし、その頃のファミコンは残念ながら末期の状態。Jリーグの名前のついたサッカーゲームが3本ほどの発売でしかなかったのは、次世代ハード機でのヒットの序章に過ぎなかったと信じたい。
時代は16ビットから64ビットへと
最後に、1983年から2015年まで、任天堂の据え置き型ハード「ファミコン」から「Wii」に絞って、年別のソフトの発売本数をグラフにまとめてみました。
あなたの熱中時代はどのハード?
ファミコンに限って言うと、発売本数のピークは1990年。この頃になると、任天堂の独走を阻止するべく、他社もハードの開発に力を注いできます。『PCエンジン』や『メガドライブ』といった16ビットの高精細なゲームが次々と市場に出始め、テレビゲーム戦国時代へ。
任天堂も次世代の機種としてディスクシステムを開発しますが、売上を思うように伸ばすことが出来ず、90年に『スーパーファミコンを発売』。流れをこちらにシフトしていきます。これに伴い、下降線をたどるファミコンは1994年を最後に新作は発売されなくなります。
最後に出たソフトが、ファミコンブームを牽引した16連写でおなじみ高橋名人の冠カセット「高橋名人の冒険島4」というのも、何か運命的なものを感じざるをえません。
思い出はセーブデータと共に。
友達の家に勉強してくると親に嘘をついて、実際はファミスタ対戦していたあの頃。現在は、誰かの家に集まらなくても、オンラインで世界中の人とゲームが出来るようになりました。2021年、中学生の将来なりたい職業ランキング2位は「プロeスポーツプレーヤー」というデータも。
これからは今以上に通信速度もあがり、よりバーチャルとの境界線が曖昧になってくるのでしょうか。VRゴーグルを付けてしまえば、同じピッチ上で限りなくリアルに近い状態で、メッシとプレイ出来る日がすぐそこまで来ているかもしれません。
この予想に近づく事を夢見て、
来年の7月15日はファミコン40周年記念をお送りできればと思っております。
「ファミリーのコンピューター vol.03」 終
2022年7月公開