みなさんはボクシングジムにどのようなイメージがあるだろうか。
今でこそボクシングをエクササイズでやる人も多く、きれいで明るい一般のスポーツジムとそう変わりないところが増えてはいる。だがひと昔前までは、足を踏み入れにくい雰囲気のジムがほとんどだったように感じる。
僕がスポーツ新聞社のボクシング記者だった2000年代前半、元々ボクシング好きでもあったため当時からその独特の雰囲気が好きだった。基本的には減量を強いられる競技のため窓は閉め切られていて、男たちの汗と熱気でムンムンだ。
ボクサーたちは殺気を漂わせてサンドバッグやミットを叩き、リングに目を向ければ誰かがスパーやシャドーボクシングをやっている。知らず知らずのうちに、見ているだけで汗が出てくる。目当ての選手がどんな練習をして、どんなコンディションで、どんな表情なのか、はっきりと分かる場でもある。ボクシング記者駆け出しのころは、夕方になればいろんなジムに取材で顔を出していた。試合が近づいてくると、ボクサーも当然ピリつく。そういった緊張感も嫌いではなかった。
打ち鳴らされるサンドバック、床を鳴らすシューズ、響き渡るボクシングのラウンドタイマー、ボクサーたちの荒い呼吸……その重なりは、決してノイズではなく、耳触りのいいBGMであった。
近藤俊哉さんが「Red&Blue」取材で石川ボクシングジム立川を訪れた際に撮影。リングの中央には石川ジムのマークが入っている
ボクシングファンにはぜひ観ていただきたい作品がある。
〝ドキュメンタリー映画の巨匠〟フレデリック・ワイズマン監督の「ボクシングジム」(2010年公開)だ。テキサス州オースティンにある、元プロボクサーであるリチャード・ロードの「ローズジム」。ジムの日常がシンプルにドキュメント作品として描かれている。
プロボクサーもいれば、年配の男性やぽっちゃりした青年もいる。子供たちも、そして女性も。人種も性別も年齢も体型も関係ない。みんなが拳を振り、ボクシングで汗を流す。
面白かったのは、孤独に自分と向き合うスポーツながらジムに集う人たちにつながりにもスポットライトを当てていたこと。みんなで馬飛びをやったり、ボールを使った運動をやったり、フレンドリーな会話シーンも散りばめられている。雑多なこのジムの空間には心の温かみがあるのだ。
ロードはボクシングを始めようと相談に来る人々を分け隔てなく受け入れる。
あるとき赤ちゃんを抱いた女性がやってきた。女性でもここでボクシングをやる人がいるのか気掛かりだったようだ。
ロードは言う。
「68歳の女性は、誰よりもスピードバックを打つのがうまい」と。
赤ちゃんを自分の見えるところに置いて練習することも構わない。
ロードは言う。
「子供はジムが好きだ。音とか色とか」と。
その言葉に女性が微笑む。また仲間が一人加わっていく。その繰り返しだ。
石川ジムにもいろんなポスターが飾られてあった。何と「ロッキー3」まで!
ジムには所狭しとポスターや新聞記事などが貼り付けてあり、マイク・タイソンとイベンダー・ホリフィールド戦やロイ・ジョーンズとアントニオ・ターバー第3戦のポスターなども見つけることができた。ボクシングファンが観るならそういった楽しみもある。
タイヤの上に乗ってバランスを取ったり、タイヤにハンマーを打ち下ろしたりと「昔ながら」のトレーニングもいい。ロードがお手本で示すハンマーの打ち下ろしがうまい(ちゃんと腰が入っている)。きっと現役時代に何千回とやってきたのだろう。
シーンで言えば、男女がリングに上がってそれぞれがシャドーボクシングをする場面にうならされた。別々の動きなのに、共鳴しているように見えてくる。次第に2人の足さばきにアングルを向け、リングを踏む音が一つのメロディーに聞こえてくるから不思議だ。
これは〝ボクシングあるある〟なのだが、同じリング内で別々にシャドーをしていてもぶつからない。お互いの位置を把握しつつ、ステップを踏んでいくからだ。
このシーンに結構長めの尺を使っている。ワイズマンはそこに何を伝えようとしたのだろうか。少なくとも僕は、孤独の重なりのなかに接点が生まれていくボクシングというスポーツの魅力を感じた。
ボクシングジムの日常。
いろんな人が集い、それぞれ孤独と向き合いながらも、ボクシングでつながっていく。それはボクシングが文化として成り立っているアメリカだからこその光景なのかもしれない。
2022年1月公開