シアトルで最高の経験をした僕はついにカナダのビクトリアに入りました。ビクトリアはブリティッシュコロンビア州の州都として栄え、その名前からも分かるようにかつてはイギリスの植民地でした。気候が温暖なおかげで、春から夏にかけて、彩り豊かな草花を楽しむことができます。
蒸し暑い梅雨の日本を出発して、僕らが訪れたときはまさに初夏。乾燥した空気と抜けるような青空に鮮やかな草花。取材の合間に港を散策したり、シーカヤックを楽しんだりしました。それまで海外取材では、観光らしいことを一切やってこなかったのですが、このときは日程に余裕があったのと、あまりに素晴らしいロケーションにテンションが上りすぎて、同業者と楽しい時間を過ごすことにしたのです。
当時はスナップを撮る習慣がなかったのでかろうじて残っていたビクトリアの街並みの写真がこちら
普段、国内の取材で顔見知りになっていても特別に仲が良い間柄でなければ、挨拶を交わすくらいですが、海外取材ではお互いに話す相手がいないこともあり、情報交換に始まり、プライベートな話題になることもあり、海外取材ならではの楽しみ方なのだと新しい発見に繋がりました。
さて、今回の取材の目的はU-20ワールドカップに挑む日本代表の取材でした。このチームには槙野智章選手や香川真司選手、そして、内田篤人さんなど、のちの日本サッカーに大きな影響を与える選手が揃い、派手なゴールパフォーマンスが話題を呼び「調子乗り世代」などとメディアを賑わせることになるチームでした。
そして、このチームは僕が初めて立ち上げ当初から取材していたチームでもあります。まだ若く経験が少なかった僕は自分の意志でA代表を自由に取材できる状態ではありませんでした。しかし、アンダー世代の取材者は人数が少ないこともあり、若手のフォトグラファーでも自由に取材させてもらえる貴重な存在だったのです。
練習後には見学にきていた家族と団欒する姿も撮らせてもらえました
毎日練習に見学に来ていた男の子は選手たちのお気に入りになりました
当初から特別に彼らに思い入れがあったわけでも、なにか狙いがあったわけでもありません。スケジュールが合えば取材をするというスタンスでした。しかし、国内合宿や親善試合などを撮影するにつれて、彼らが戦うU-20ワールドカップ予選を兼ねたU-19アジアカップに興味が湧き、一念発起してインドまで追いかけることにしました。そして、インドでの戦いを通して僕は彼らにすっかり魅了されていたのです。
まだ若い日本代表が世界を相手にどんな戦いをするのか。この頃の僕はオシム監督に率いられたA代表よりも彼らの活躍に胸を膨らませていたのです。
彼らが戦うことになった舞台ロイヤルアスレチックパークは多目的競技場で、今回の大会では仮設スタンドを設けた小さな会場でした。しかし、アンダー世代の大会にも関わらず、試合ではいつも満員になるほどの賑わいでした。
自国のカナダが出場するならまだしも、自分たちとは直接関係のない国々のアンダー世代の試合でも足を運ぶメンタリティは、つい先日、シアトルでも感じたスポーツを楽しむ文化が根付いている証だと感じました。
仮設スタンドには毎試合多くの観客が詰めかけていました
そんなビクトリアの人々を喜ばせたのは日本でした。初戦のスコットランドを3対1で退けた若き日本代表はゴールを決めるたびにゴールパフォーマンスを披露して、ビクトリアの人々の心をガッチリ掴むことができました。続くコスタリカ戦も1対0で勝ちきり、早々に決勝トーナメント出場を決めると、3戦目はこれまで出場機会の少なかったリザーブ選手たちを起用して0対0で凌ぎ、グループ1位で決勝ラウンドに進んだのです。
初戦のスコットランド戦でファーストゴールを決めたデカモリこと森島康仁さんがゴール後のパフォーマンスを初披露
チームの中心として攻撃を牽引した柏木陽介選手。グループ1位で決勝ラウンド進出を決めた試合後に相撲のパフォーマンスを披露
パフォーマンスが受けたのか会場は日本のホームのような雰囲気になっていました
ベスト8を懸けて戦う相手はチェコでした。日本は前半のうちに2点を先制し後半を迎えました。これは間違いなく勝てる! そう確信した僕は撮影をしながら、次の試合会場になっていたエドモントンへの行き方を考えていました。しかし、世界はそう甘くありませんでした。退場者をだして一人少ないチェコ相手にPKを立て続けに奪われ同点に追いつかれると延長戦の末にPK戦で敗れてしまったのです。リードしているのに最後の最後で競り負ける。このあと日本代表の取材を続けて、何度も経験する苦い敗戦でした。
ベスト8を懸けた試合に向かう選手たち
前半22分。チームの元気印、槙野智章選手が先制! 客席にいるお客さんたちはみんな笑顔なのが嬉しい!
120分の激闘の末、PK戦で敗れた日本代表
結果的にチェコは決勝まで勝ち上がったことを考えると、実に惜しい敗戦でした。このチームが世界の強豪を相手にどんな試合を見せてくれるのか。もう少しだけ彼らの活躍を追いかけていたかったので、もう試合が見られないと思うと、とても寂しかったのを覚えています。
試合後はいつも定泊していたB&Bまで歩いて帰っていたのですが、この日はそんな元気もなく、通りかかったタクシーを拾うことにしました。僕と先輩が無言でいると東南アジア系の運転手が話しかけてきました。
運「日本は凄くいいチームだったね。ファンになったよ」
僕「でも負けてしまった」
運「ハードラックだったね。でもそれがフットボールさ」
彼はサッカーが好きで日本の試合をチェックしていたそうです。これまで多くの年代の日本代表を世界各地で取材してきましたが、彼らほど現地の人々に愛されたチームはなかったように思います。そんな彼らの活躍の場に居合わせることができたのは、本当に幸運なことだったと思います。
その後、僕は彼らともう一つ上の世代を中心とした日本代表を追いかけ、世界中を旅することになります。当時は必死で見えていないことも多くありましたが、今、思うと、あの経験があるからこそ、今も写真を撮り続けることができているように思います。
若かりし日の美しい思い出です
あれ? なんか全体的にいい話だけじゃない? と思った読者の方。ご安心ください。ちゃんとあります。いいネタが。
日本がチェコに敗れた翌日、僕はシアトル経由での帰国を急ぎました。実はU-20ワールドカップ開幕の数日後、A代表が出場するアジアカップ東南アジア大会が開幕していたのです。すぐに向かえば、グループリーグの3戦目に間に合う予定でした。
ビクトリアからフェリーで出港しようとしたとき、トラブルが発生しました。手荷物検査の職員が僕たちの撮影機材に目をつけたのです。
職「これはなんだ?」
僕「カメラだよ」
職「仕事なのか?」
このとき素直に仕事だと答えれば良かったのですが、フェリーの出港時間が迫っていたこともあり、早く切り上げたかった僕は思わず誤魔化してしまいました。
僕「写真を撮るのが好きなんだ。ホビー(趣味)だよ」
職「趣味でこんな高価な機材を持っているのか、、」
僕「ああああ、イエス! ビコーズ・マイ・ファーザー・イズ・リッチメン!!」
言葉に詰まった僕は知っている単語を総動員して高らかにそう宣言しました。これにはさすがの職員も呆れたのか、拙すぎる英語を喋る僕との会話に興味をなくしたのか、カメラバッグを締めてくれて「行け」と促してくれました。
フェリーは僕たちが最後の乗客だったようで、着席するとまもなく出港しました。こうして僕の初めての「東へ」向かった旅が終わったのでした。
おわりッ
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2022年12月公開