川上拳汰、名前に「拳」が入っているのはリングネームではない。本名である。
ただボクシングではなかった。
元々、糸東流空手の指導者である父から手ほどきを受け、子供のころに空手を始めた。中学で剣道部に入ったのも「空手の飛び込みが速くなる」が理由。剣道には思った以上にのめり込んだが、高校に進学するとボクシングに興味を持った。「あしたのジョー」が好きになり、何より友達が石川ジム立川で練習していることで俄然、自分もやりたくなった。
父に相談すると、背中を押してくれた。石川ジムから世界挑戦したリック吉村の試合を、父も観ていたことを知った。新たに熱中できるものが見つかった気がした。
府中工業高校ではあまり聞き慣れない、ウエイトトレーニング部に入った。大会などはないが、自分の好きなように筋トレができるというのがウリだった。
筋トレとボクシングの両立。
石川久美子会長も2016年夏に高1で入門してきたカワケンにこんな印象を抱いていた。
「ジム生の紹介でウチにやってきたけど、元気があったし、スピードもあった。名前に〝拳〟が入っているインパクトもありましたよね」
空手や剣道の経験があり、かつ、部活でウエイトトレーニングの知識があるというのもボクサーにとってはプラスの材料。だが、始めたころはどちらかと言うと部活のほうが一生懸命になっていた。やればやるほど胸の筋肉や腕の筋肉がつくのが、楽しくて仕方がなかった。ボクシングよりもすぐに成果を手にできてしまうことが、その背景にあったのかもしれない。
しかしながらジムのマネージャーを務め、川上を指導していた田中二郎トレーナーはボクサーとしての適性に、最初は疑問を持っていたという。
「カワケンはプロ志望で入ってきたけど、2、3カ月ほど見ていて〝プロになるのはちょっと難しいかな〟という感想でした。今だから言えますけど、ちょっと怖がりなところがあったんです。確かにスピードもあるし、空手とかやってきたバックボーンもありますよ。マスボクシング(パンチに力を入れない、動きを確認する目的のスパーリング)でもすぐに抱きついちゃう。ハートの部分はなかなか鍛えられないですから、トレーナーの立場から言うとプロの世界でそれだとキツいな、と。でもカワケンがいいのは、自分で克服しようとしていました。努力、努力、努力。そこは伝わってきましたよ」
田中トレーナーの疑問は徐々に消えていく。石川会長も田中トレーナーも声をそろえるのが「とにかく真面目で、練習熱心で、努力家」。むしろ期待のほうが高まっていくことになる。
川上も当時を正直にこう振り返る。
「最初に本格的なスパーリングをやったとき、怖かったことを覚えています。そこはもうハッキリ(笑)。でもプロ志望なのに、怖いからってボクシングをやめちゃったら、根性なしじゃないですか」
高2でスパーリング大会に出てからは、殴られる恐怖と戦いつつも、逆にモチベーションが上がった。恐怖に打ち勝つ闘志が、自分のなかにこみ上げてくるのが分かった。
それまで部活動メーンだった意識を完全にボクシングメーンに切り替えた。そう、自分にその覚悟が足りていないと感じたからだ。
胸や腕の筋肉は減量もあるためつけすぎないようにし、むしろ首回り、背筋を強化した。つまりはボクシングのためのウエイトトレーニング。これまではリンクしているようで、していなかった。首回りを太くすれば、パンチを受けても衝撃をやわらげることができると考えた。
高校を卒業して、2020年4月からスポーツトレーナーを目指して日本工学院八王子専門学校に進学。コロナ禍のなかトレーニングを続け、2021年1月にプロテストに合格してプロボクサーとなった。
2ラウンドに入ると、よりプレッシャーを掛けていく。相手も打ち合いを臨むべく、逆に前に出てきた。
タイプこそ違うがお互いに右構えのオーソドックス。川上は距離を詰めると、ボディーの乱れ打ちだ。左も右も、相手の腹にのめり込ませるように体重を乗せて。一度離れてから、飛び込むようにして左ボディーフックを見舞う。
ボディーの乱れ打ちは、ずっと練習でやってきたこと。
「減量中は激しくサンドバッグを打たないと、なかなか体重が落ちなくて。3分間のうちラスト1分、ラスト30秒ってずっと打ってきて。あと、ジムの仲間で集まってみんなでボディー打ちの練習もやっていました。そういった成果はあったと思います」
ジムにある一番大きくて重いサンドバッグを、嫌になるほど打ち込んできた。減量のためでもあるが、一番はパンチ力をつけるためだった。
渾身のボディー打ちを、相手は嫌がっていると感じた。
だが2ラウンドに入っても、まだ足が思いどおりには動いていなかった。それがもどかしかった。
インターバルに入ってコーナーの椅子に座ると、田中トレーナーがその気持ちを察してくれていた。両足をバンバンと叩いてほぐしてくれるのだが、先のラウンドで戻ってきたよりも強くなっていた。
「筋肉が硬直していた感じだったので、あれは有難かったです。頭はいっぱいいっぱいなので何を言われたのかはあまり覚えてないですけど、ああやってバンバンやってもらったのは覚えています」
半分の2ラウンドを終えた。
余裕は一切ないし、リードできているかどうかも分からない。だがデビューに向けて積み上げてきたものを少しずつ出せている気はしていた。
2024年5月再公開