失意のバルセロナを離れて僕が向かったのはミラノでした。イタリアではトリノ、ミラノの順番で取材する予定でしたが、バルセロナからの直行便が多いのはミラノ郊外にあるマルペンサ空港で、ミラノとトリノは電車やバスで移動するのが良いと旅行代理店の人にアドバイスされたからです。
UEFAチャンピオンズリーグは言わずと知れたヨーロッパのクラブNO.1を決める大会です。これはつまり世界一のサッカークラブを決める大会と言っても差し支えがありません。すでに日本でも中継がみられる時代でしたが、写真を撮るのはこのときが初めて、、、のはずでした。
バルセロナでの一件ですっかり臆病風に吹かれた僕は、予定にあったユヴェントスとブレーメンの試合には行きませんでした。なぜなら、バルサのときと同じように申請に対する返事がまったくなかったからです。拙い英語で窓口とされるところにメールを送ってみましたが、こちらにも返事はありません。
わざわざミラノから赴いて、また門前払いをされてしまってはさすがに心が保たないと判断した僕はミラノの安宿で安ワインに溺れることにしたのでした。そして、翌日はミラノで予定されていたACミラン対バイエルン戦のためにジュゼッペ・メアッツァ、通称サンシーロに向かいました。
僕にとってセリエAは特別な意味を持っています。僕がサッカーに興味を持つキッカケになったのは93年アジア最終予選のドーハの悲劇と、好きになったキッカケは、94年のワールドカップアメリカ大会で不死鳥のように蘇って、チームを決勝まで導いたイタリアのエース、ロベルト・バッジョの存在でした。
今でも決勝のPK戦で最後のキッカーとして登場したバッジョが大きく枠を外し、両手を腰に当ててガックリと項垂れている奥にブラジルのGKタファレルが両手をあげて喜びを表現している写真は、ワールドカップ史上もっとも美しい写真だと思っています。
高校生だった僕はこのシーンに痺れまくって、彼のファンになってしまいました。その彼が活躍していたのが当時、世界最高峰と呼ばれていたセリエAです。そして、ワールドカップ直後のシーズンには日本のエース、三浦知良選手が挑戦することになったのだから興奮しないわけがありません。日本のサッカーファンが固唾を飲んで注目したデビュー戦でフランコ・バレージと接触して大怪我を負ってしまったのが、息も絶え絶えにたどり着いたサンシーロだったのだから、感動もひとしおでした。
さて、いつまでも思い出に浸っている暇はありません。周囲を見渡すとIDカードをぶら下げた同業者がチラホラと歩いています。どこでIDをもらえるのか教えてもらい、受付に直行しました。そして、数日前と同じように申請書のコピーをスッと差し出します。
※イタリア語もまったく分かりませんので、脳内変換にてご紹介します。
受付「ボンジョールノォ、どれどれ?」
僕「ボ、ボンジョールノ、、(愛想笑)」
受付「名前がリストにないなぁ。プレスIDを見せて」
やっぱりね! プレスID!? なんだそれは?? そんなもの持ってないぞ、、。チラリと横をみると現地の同業者が小さなカードを渡しています。あとで知ったことですが、これは国際スポーツプレス協会(AIPS)が発行している記者証のようなもので、日本人でも所有している人は多くいましたが、当時の僕は所有していませんでしたし、存在すら知りませんでした。焦った僕がパスポートを見せたとき、それまで陽気で上機嫌だった受付のオヤジの顔が曇ったのを僕は見逃しませんでした。
受付「悪いけど君を受け入れることはできない、ごめんな」
※脳内翻訳です。
ガーーーン、、、必殺捨てられた子犬の目を発動しましたが、オヤジの視線が僕に向くことはありませんでした。これで2連敗、、、いや、ユヴェントスも同じ結果だったこと思うと3連敗。このシリーズは全7試合を予定していたので、3勝3敗のタイになりついに後がなくなりました。日本シリーズみたい!
駅に向かってトボトボと歩いていると声をかけてくる怪しいオヤジがいました。そう、ダフ屋です。いつもならガン無視するところですが、せっかくここまで来て、中に入らないのはもったいないと考えた僕は値段を聞いてみることにしました。すると100€だといいます。正規の値段がいくらなのか知りませんが、もはや自暴自棄、破れかぶれ状態だったので即購入してやりました。チケットに記された座席を探すとゴール裏の上層階でした。
うおおおおおおお、急勾配のグルグルまわる階段がキツイ! 機材を背負っていることもあってかなりキツイ! 太ももに乳酸が溜まりまくっているううううううううッ
階段を登っている途中で、UEFAのアンセムが流れてきました。これまで眠い目を擦りながら深夜の生中継で聞いていたアレです。本当はピッチで聞きたかったところですが、生で聞けたのはやっぱり嬉しい! グラッツェ! ダフ屋のオヤジ! グラッツェ、イッターリア!!
ということで、いよいよこのシリーズ最後の目的地でもあるアムステルダムにやってきました。アムステルダムへ行くと話したところ「コーヒーショップ」に行ったほうが良いよと教えてくれた友人がいました。へー、オランダってコーヒーが名物なのかなぁと無知で素直だった僕は、街中を散策しているときにコーヒーショップを探してみました。
街中には「COFFE SHOP」と書かれた看板や窓ガラスがチラホラありました。しかし、どこもドアが閉まっていて、スモークガラスで店内の様子を伺えない店ばかりですし、派手なネオンが設置された店もチラホラ。
ハッキリ言って、、、怪しい。
僕はオシャレなカフェをイメージしていたので、そのギャップに気圧されてとても中に入る勇気が持てませんでした。あとになって知ったことですが、オランダではマリファナが認められていて、コーヒーショップはマリファナを嗜むお店だったのです。友人はからかうつもりで言ったのだと思いますが、無知すぎてまんまと引っかかってしまったのでした。
さて、いよいよ最後の取材です。スタジアムはアムステルダムアレーナ。アヤックスのホームスタジアムで対戦相手はPSVアイントホーフェン。オランダを代表する2大クラブの好カードで、この試合はオランダ国内では「トッパー」と呼ばれて注目を集める試合でした。
この日、スタジアムに向かう僕の足取りは久しぶりに軽かったです。その理由は簡単です。3日ほど前に取材許可を意味するメールをもらっていたからです。嗚呼、取材できるって素晴らしい。取材者として認めてもらえるってこんなにも嬉しいものなのか。それまで取材できるのが当たり前になりすぎていたのかも知れません。忘れかけていた初心を思い出すいい機会になりました。
あれから15年。駆け出しだった新米フォトグラファーは、幸運なことに様々な国や街にいって経験を積むことができました。大きな変化はIT技術の革新ではないでしょうか。飛行機や宿の予約に至るまでiPhone1台で済む時代になり、行き方も事前にGoogleで調べてストレスを感じることなく取材できるようになりました。
僕自身が旅慣れたこともあると思いますが、最近ではトラブルに見舞われることも少なくなりました。仕事で行くのだからその方が良いに決まっていますが、どんどん味気のない取材旅行になっていったのは間違いありません。
記憶に残るという意味でトラブルやアクシデントをどうやって乗り越えるのかが旅の醍醐味でもあり、その中で必死に藻掻くからこそ身につく感性や能力があるのかなと今は思います。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と昔の人はいいました。
15年前に勢いだけで乗り切った初めての欧州取材は失敗も多かったですが、僕の礎になっているように思います。
終わりッ
2021年11月公開