初めて本格的にヨーロッパに足を踏み入れたのは、日本人にも馴染み深いデュッセルドルフでした。空港からドルトムントまでは、ドイツ国鉄DBのICE(Inter City Expressの略。日本でいう新幹線)で1時間ほどの距離です。券売機に右往左往しながらもチケットを購入して無事にドルトムントに着くことができました。
ジーコジャパンが戦う舞台はドルトムントのホームスタジアム、ジグナル・イドゥナ・パルクでした。当時はヴェストファーレンシュタディオンと呼ばれていて、外観を初めてみたときは、思っていたより小さい印象でしたが、足を踏み入れてみて驚かされました。客席の傾斜が日本の競技場ではでは考えられないほどキツイのです。このとき8万人収容のスタンドには8000人程度のお客さんしか入りませんでしたが、もし満員だったら、、、と思わずにはいられないスタジアムでした。
小雪が舞う中での試合は中田英寿さんのダイビングヘッドでドローとなり、撮影を終えた僕は初ヨーロッパ取材の余韻を味わう余裕もなく、先輩の車で次の目的地に急ぐことになったのです。
なぜなら、次の目的地はライン川を挟んでドイツと国境を接しているバーゼルだったからです。東京−大阪と同じくらいの距離を車で移動しなければなりません。ドルトムントでの試合が日本のテレビ中継の関係で、現地の日中に開催されたことが幸いして、夕方にドルトムントを後にすれば、日をまたぐ前にホテルに着くことできるはずでした。
しかし、それは決して楽な道のりではありませんでした。
この日の目的地はスイスとの国境際にある小さな街だったのですが、途中までは合流地点や工事箇所を除き、制限速度がないことで有名なドイツの高速道路、アウトバーンを疾走して順調でした。こちらでの運転に慣れている先輩はめちゃくちゃスピードを出すので、普段から車を運転する僕でもちょっと怖いくらいでした。
そして、高速を降りて街に入ったところでハプニングが待っていました。助手席に座った僕には地図が手渡されていたのですが、アウトバーンに乗っているときは特にやることはありませんでした。なぜならば標識に書かれたBaselの文字に従っていれば良かったからです。
しかし、街中に入ってからはホテルの住所を頼りに目的地に近づいていかねばなりません。先輩が用意したレンタカーにはカーナビは付いてなかったので、助手席に座った人間がナビゲートしなければならないのです。
今ではあまり見かけなくなった折りたたみ式の地図の表紙には見慣れたキャラクターが描かれていました。通称ミシュランマン、正式名称はムッシュ・ビバンダム。フランスのタイヤメーカーにしてレストランの格付けなども手掛けるミシュランが発行している地図です。タイヤメーカーが地図を作っていることに驚きましたが、タイヤを使ってドライブしてもらうためのアイデアだったのかも知れません。当時はスーパーやキオスク、サービスエリアなど至るところで売られていました。
おっと、、マニアック道への扉を開きかけてしまいました。話を戻しますと、僕は自らの役割(ナビゲーター)を果たさねばなりません。自分で言うのも変ですが、僕はそれなりに地図が読める人間です。日本ではの話ですが、、、。
そう、ここはドイツとスイスの国境にある小さな田舎街です。時間は23時くらい。田舎町の夜は街灯も少なく全体的に薄暗いのです。またヨーロッパでは街中の車道が石畳になっていることも少なくありません。舗装された道ですら、東京ほど滑らかではありません。東京の舗装道路はおそらく世界一です。
当然、車は常にガタガタ揺れています。道路の標識だって最初はどこにあるのかも分かりません。さらに外国の住所の読み方すら理解していませんでした。そして、高速を降りても先輩の爆走は止まりません。暗い夜道で舗装が悪いのにも関わらずなかなかのスピードで疾走しています。
ガタガタと小刻みに揺れる薄暗い車内で地図の小さな文字を読み取り、どこにあるか分からない標識を探してナビをする。想像していた以上にハードなミッションだったのです。
先輩「たかすくん、助手席座ったらナビできなきゃダメだよ!」
僕「すみません、、、(できるか!!)」僕の心の叫び
そんなこんなでホテルにたどり着いたのは日付が変わる頃だったのです。
続くッ
2021年11月公開