大手旅行会社を2年で退社、アナウンサーを目指す
現在、フリーアナウンサーとして活躍する西達彦は大学を出て勤めていた旅行会社をわずか2年で辞めた。アナウンサーになるためである。そのためには大学時代の4年間を過ごし、勤務地でもあった北海道にとどまるのは得策ではない。そう考えて東京に舞い戻り、27歳にしてアナウンサーになるための道を模索し始めた。アナウンサーの養成学校に入った? いや、そうではなかった。
「お金もありませんでしたから、同じようにアナウンサーになりたいという同志を募って勉強会を立ち上げたんです。その活動を通して山本勇先生を紹介してもらいました。山本先生はアナウンサーを多数輩出している『山本勉強会』という塾を開いている有名な先生です。同志で一人いくらという形で受講料を出して、山本先生の指導を受けました」
旅行会社を辞めて安定した収入を失った西はアルバイトをしながら勉強会の活動に精を出した。当時、フリーアナウンサーといえばテレビ局のいわゆる局アナがフリーになるのが通常のコース。まったくの素人がフリーアナウンサーとして活躍するというケースは極めて少なかった。
厳しい道のりである。それでも西がひるまない。いろいろと模索する中で気がついたことがあった。それは男性アナウンサーとして仕事を得るには、スポーツ実況ができると望ましいということ。どうやら実況にはニーズがある。ならばやらない手はない。西は早速、神宮球場を訪れ、今まで目にしたことのない光景を見ることになる。
「アナウンサー志望の学生が上のほうの席で実況の練習をしてるんです。大学野球を見ながら、みんな一人で実況をしている。ああ、こうやって練習するのかと。私も見よう見まねでやってみました。そうしたら意外にできた(笑)。私はスポーツ経験がありませんから難しいのかなと思っていたんです。でもけっこういけた。しかもなかなか面白い。実況を練習する日々が始まりました」
神宮球場に足繁く通い、東京六大学野球や東都大学野球のゲームを見ながら実況の練習を重ねた。サッカーも必要だと考えてFC東京のホーム、味の素スタジアムでも練習した。スタジアムの一番上、人のあまりいないところでしゃべる、ひたすらしゃべる。4、5万円したという年間シートはもちろん自腹だ。明るい光はまだまだ見えてこない。それでもアナウンサーを志した以上、トレーニングを続ける以外に道はなかった。
ビッグチャンス到来! プロ野球の仕事が舞い込む
風向きが変わったのは30歳のとき。当時の西は「何か放送に関わる仕事を」と考え、コミュニティーFMの調布FMでミキサーのアルバイトをしていた。そこで番組パーソナリティーをしていた一人に、大西友子という人物がいた。のちに西が所属することになる事務所「ボイスワークス」の女性アナウンサーである。西は大西に「サッカーの実況をやりたい」と打ち明けたところ、事態は大きく前に進むことになる。
「大西さんに『だったら事務所にテープ送って聞いてもらえばいいじゃん、アドバイスもらえばいいじゃん』って言ってもらったんです。それで事務所に実況練習を録音したテープを送りました。これが始まりでした」
このときのやり取りをきっかけに西はボイスワークスの所属となる。そしてすぐさまビッグチャンスが到来した。
「ちょうどそのころ、千葉テレビさんから事務所に若い実況アナウンサーを探しているという相談があったんです。今は力がなくてもやる気があれば育てると。実は私、千葉マリンスタジアムでもよく練習をしていて、千葉ロッテマリーンズの実況練習テープも渡しました。そして、じゃあやってみるかということになったんです」
6年ほど前のプロ野球中継現場で。同じ事務所所属の喜谷知純アナウンサーと=ボイスワークス提供
これが2006年4月の話で、西の“デビュー戦”は5月の千葉マリンスタジアム、千葉ロッテマリーンズ×阪神タイガースに決まった。プロ野球セ・リーグとパ・リーグの交流戦で、ロッテと阪神といえば前年の日本シリーズのカードという注目の一戦だ。大きな舞台をもらえた喜びは大きかった。同時に押しつぶされそうなプレッシャーとも向き合うことになった。
「野球の実況では資料付けをするんですけど、当時の私は準備の仕方もよく知りませんでした。しかも試合までは2ヶ月もない。先輩に教えてもらって、毎日ほとんど徹夜状態で調べものをして資料を作りました。なんとか仕事を終えて、OKが出たときはほっとしましたね。以来、千葉テレビさんとのお付き合いは続いています」
2年間で生活できるレベルにならないとしんどいよね――。
西が事務所と契約するとき、事務所の社長とはこんな話をしていた。はたして自分は2年で自立できるのか? 西は不安な気持ちを抱えながら、無我夢中で仕事に取り組んだ。初めて担当する競技は一から愚直に勉強した。総合格闘技を実況するため、実際にジムに通って格闘技の指導を受けたこともあった。そうやって1本の仕事を終えると、まるでフルマラソンを走り終えた長距離ランナーのようにクタクタになった。
ボイスワークスと契約して2年がたった。西はアナウンサーの仕事だけで生活できるようになっていた。
2021年11月公開