スポーツ実況で幅広く活躍、フリーアナウンサー西達彦
心地よいスポーツ実況を耳にする。スポーツ観戦の醍醐味の一つだ。個人的にはあまり大げさでないほうが好ましい。それなりに抑制が効き、アナウンサーの存在が目立ちすぎないあたりがちょうどいい。
本稿の主人公、フリーアナウンサーの西達彦もそんな腕利きの一人。活躍の場はプロ野球、Jリーグ、女子サッカー、ラグビー、ボクシング、総合格闘技と多岐にわたり、かつては全日本まくら投げ大会の実況までしたというからフィールドの広さには驚くばかりだ。実況以外にも全国のコミュニティーFMを結び、北は北海道から南は沖縄まで届けられているラジオ番組『アフタヌーン・パラダイス』も担当しているから、野球で言えば走・攻・守のそろったユーティリティープレーヤーと言えるだろうか。
「今はスポーツ実況を中心にお仕事をいただいています。『アフタヌーン・パラダイス』は『かもめが跳んだ日』でお馴染みの歌手、渡辺真知子さんがパーソナリティーを務める4時間番組で、私はアシスタントという立場です。実は私、中学、高校とブラスバンド部で音楽はけっこう好きなんですよ。スポーツですか? いや、それがまったく経験ゼロ。完全に文化系の人間です」
よく通る声でよどみなく話す姿はアナウンサーそのものだが、スポーツの経験がないというのは驚きだ。そんなスポーツとは無縁の人生を送っていた若者が、どうしてスポーツ実況の世界に足を踏み入れたのか。西がアナウンサーになるまでの道のりは決して平坦ではなかった。
大学1年生で患った病気が大きな転機に
きっかけは学生時代に遡る。神奈川県内の高校から青山学院大に進学した春のこと、予想もしなかった異変が西を襲った。体の様子がどうもおかしい。そう感じて病院で診てもらうと、バセドー病と診断されたのである。
「大学に進学してすぐ、5月か6月くらいの話です。なんか疲れやすい。おかしい。病院でバセドー病と判明しました。甲状腺のホルモンが出過ぎてしまう病気で、心臓がバクバクするんです。体重は15キロから20キロくらい減りました。いや、食欲はあるんですよ。普通に食べるんですけど、心臓がバクバクでそれ以上に消費するということです。学校に通うのは難しくなりました。結局、大学は1年で退学することになりました」
大学に入学したばかり、20歳手前の若者である。これは辛かったことだろう。西は相模原市の自宅でしばし療養生活に入った。日々やることはない。自ずと生活の友はテレビとなる。朝は日本テレビの『ズームイン!!朝!』をよく見た。あるとき、全国のネット局をつないだ天気の列島リレーを見てふとひらめくものがあった。
「あっ、北海道いいな、住みたいなって思ったんですよ(笑)。画面からきれいな雪景色、自然の雄大さが伝わってきました。そうだ、北海道の大学に進学しよう。親の負担も考えるとさすがに私立は厳しく、国立じゃないとまずい。そう思って1年間勉強して北海道大学に入りました」
青山学院大に入る前に浪人1年、療養生活に1年、療養しながらの受験勉強で1年を要し、現役の学生からは3年遅れで北海道大学に入学した。病気のほうは幸いにも薬を飲めば日常生活に問題はなくなり、こうしてあこがれの北海道で大学生活が始まった。
アナウンサーになりたいという思いが少しずつ膨らんだのはこのころだ。北海道の地元局のアナウンサーにあこがれた。少しでも放送の現場に近づこうと、コミュニティーFMのアルバイトを見つけ、音を調整するミキサー卓の操作をした。西がアナウンサー志望だと伝わったのだろうか。やがて短くはあるが、マイクの前でしゃべる機会も得た。
4年生になると就職活動が始まる。もちろんテレビ局のアナウンス職を志望した。最終面接まで進んだ局が2つもあった。北海道でアナウンサーになる。そんな夢があと少しでかなうところまできた。ところが最終結果は残念ながら不合格。西はいくらか落胆したものの、運命に素直に従って旅行会社への就職を決めた。
就職先では北海道の大学出身ということもあって函館市に赴任する。仕事の内容は函館市内の中学校の修学旅行をアテンドすることだった。添乗員として中学生を連れて京都や奈良、東京に出かけた。仕事は忙しく、1日1日はあっという間に過ぎていく。就職して2年がたち、仕事にも慣れたころ、「ちょっと待てよ」と思いが頭をよぎり始めた。やがてその思いは無視できないほど大きくなる。自分は本当はアナウンサーになりたいのではなかったのか…。
「添乗員の仕事は、それはそれで面白かったんです。でも、やっぱりアナウンサーになりたい。あきらめきれなかったんですね。就職活動でいくつか最終面接まで残った事実も大きかったと思います。あとちょっとだったわけですから。もし、箸にも棒にもかかっていなかったら、そのままあきらめていたと思います」
このとき27歳。ゼロからアナウンサーを目指すには既に手遅れなのか、まだ間に合うのか―。アナウンサーになるための厳しい戦いが始まった。
2021年11月公開