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SPOALの本棚 渋谷編 『将棋の子』

将棋ノンフィクション『将棋の子』

スポーツ総合誌の『Number』が2020年9月、創刊40周年で初めて将棋の特集を組んで大きな話題を呼んだ。いまをときめく若き天才棋士、藤井聡太九段が表紙を飾ったこの号は20万部突破の大ヒットを記録。同誌の販売部数が20万部を超えるのは2014年のサッカーW杯特集以来だったという。

そもそも「体を動かさない将棋はスポーツなの?」という疑問が持つ人もいるだろう。ところがスポーツ界に目を向けてみると、アジア版オリンピックと言われるアジア大会では、過去に囲碁、ビリヤード、チェス、ブリッジ(トランプ)が正式種目に採用されており、2022年の中国・杭州大会ではeスポーツがついに正式種目として実施される。IOC(国際オリンピック委員会)がeスポーツに興味津々、という事実をご存知の方もいるかもしれない。

つまりは知恵を絞り、戦略を練り、決まったルールの中で相手とコンテストする“対戦”はスポーツである――という考えが世界的に広まりつつあるということだ。もちろん賛否両輪はあるし、なんでも自分のところに取り込んでしまおうというスポーツ界の傲慢な姿勢も見え隠れするのだけど、それはさておき、今回はいまや小説家として名声を得ている大崎善生さんのノンフィクション『将棋の子』をぜひとも紹介したい。

しぶさんぽシーズン1で将棋会館を訪れた筆者

 

話の舞台は奨励会というプロ棋士になるための登竜門だ。奨励会には全国各地の天才少年たちが集まるのだが、ここに入ったすべての棋士たちがプロになれる訳ではない。この作品が書かれた当時は、21歳までに初段、26歳までに四段にならなければ退会という問答無用の年齢制限があった。奨励会はなかなか残酷な“虎の穴”なのである。

作者の大崎さんは将棋雑誌『将棋世界』の編集者として18年働き、そのうち10年で編集長を務め、将棋の世界をつぶさに見てきた人物だ。この本はプロ棋士を意味する四段昇段をかけたサバイバルリーグ「三段リーグ」の熾烈な争いの場面から始まる。その戦いはまさに生きるか死ぬかの世界。将棋をまったく分からない読者をも一気に物語に引き込んでいく荒々しいプロローグだ。

緊迫した場面を描きながら、大崎さんはプロローグでこう記す。

 10年間にわたり将棋世界編集長を務め、そして私は退職の決心を固めた。
 どうしても書かなければならないことがあったからである。
 それは、将棋棋士を夢見てそして志半ばで去っていった奨励会退会者たちの物語である。

奨励会は早い人になると小学生でその門を叩く。遅くとも10代のどこかで入会し、かつては高校へ行かず、退路を断って将棋一本に人生をかけるケースも少なくなかった。それが「将棋にかけている」ことの証でもあった。

たとえ高校に行かなくても、同世代の友人と遊んだり、アルバイトをしたり、部活動に励んだりしなくても、将棋の世界で成功してしまえば関係ない。確かにそうだ。しかし言うまでもなく、プロになり、一流になれる棋士は一握り。将棋しか知らない元天才少年がいきなり社会に放り出されたら、と考えると確かに恐ろしい気がしてくる。

「奨励会」は天才少年たちが振るいにかけられる虎の穴

筆者は奨励会を心ならずも退会していった将棋指したちをたんねんに追っていく。最初はまったく別の世界で苦しみながら、ビジネスの世界で成功したり、資格を取って立派に生活している者も少なくない。一方でこの作品の主人公、成田英二のように浮かばれない人生を送る者もいる。うまく社会に適応できず、人生のどん底をさまよう生活から抜け出せない。その境遇を知るにつれ、思わず涙してしまうのだが…。

私たちは敗者の物語に自分の人生を照らし合わることがよくある。人生の勝者なんて(何を勝利とするかによるけども)ごく少数。だからこそ敗れ去った者に共感する。一方で、スポーツの世界では「敗者には何もやるな」という言葉がある。ルールの決まった世界で勝敗をつけるのだから、勝つ者がいて負ける者がいるのは当たり前だ。敗者に同情する必要はない。負けは負け。敗者に何かを与える必要はないのだと。

スポーツノンフィクションにおいても敗者を礼賛するかのような記事は賛否が分かれるところだ。感情移入のほど良いコントロール、どこまで客観的な視点をキープするのかという作者の力量が、秀作と駄作の分かれ道と言えるかもしれない。

『将棋の子』の作者はいたずらに敗者を称えようとするつもりはなかった。いや、同情がないと言ったらウソになる。それでも、敗れ去った無名の素晴らしき棋士たちのことがどうしても忘れられなかった。だから書き残そうと考えた。そして奨励会を退会して日々の生活費さえままならなくなった成田と交流する中で、漠然と抱いていた退会者に対するイメージが少し違っていたという答えにたどり着く。読者はその答えを少し意外な気持ちで受け取り、やがて深く納得するのである。

2016年で史上最年少の14歳2ヶ月でプロになり(四段昇段)、その後も数々の記録を打ち立てる藤井九段(現在は19歳)は何度目かの将棋ブームを日本列島にもたらした。だからこそスポーツ雑誌である『Number』も特集を組んだ。

もし、少しでも藤井九段や将棋に興味を持ったのなら、あるいはスポーツを読むことが好きな読者がいたら、ぜひ『将棋の子』を手に取ってほしい。この作品はあの国民栄誉賞棋士、羽生善治が10代、20代で大活躍していたころの話だ。時代は流れたが、将棋という世界の生々しい本質はいまも変わらないだろう。ちなみに成田は一回り年下の羽生と奨励会で4度対戦して0勝4敗。本書を読み進めてこの数字にたどりつくと、その数字の重さにグッと胸が熱くなるはずだ。

おわり

2021年10月公開

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