慶応大学ラグビー部に、新たな目標ができた。
正月越え—―。
つまりは大学選手権でベスト8を突破して、正月に行なわれる準決勝に駒を進めること。2014年シーズンを最後に、その壁を越えることができていない。
準々決勝敗退から2日後の12月21日から新チームをスタートさせ、2週間の正月休みを経て再び集まった。大学選手権決勝の早稲田-天理を映像で観戦した。天理は自分たちが勝てなかった早稲田を55-28と圧倒した。
栗原徹監督は思わず息をのんだ。天理の強さが想像以上だったからだ。
「自分たちが思っていた日本一のラインは、もっと上なんだなって認識させられました。あまりに強すぎて逆に笑ってしまうようなレベルの高さ。でもすぐにこの天理とやってみたいって思ったんです。天理は強烈なアタックで粉砕していくラグビー。逆に我々はディフェンスが売り。あのアタックを止められるのは慶応しかなかったんじゃないか、と。天理のアタックを防げるかどうかは分からなかったけど、ぶつけてみたいと感じました」
目標ができると、トレーニングにも一層、力がこもる。新キャプテンHO原田衛のもとで意欲的かつ自立的に、日々を送っていく。
だがここで試練がやってくる。4月に新型コロナウイルスの陽性者が確認され、チームの活動がストップ。2カ月にも及んだ。
全体で集まれないため、個々でトレーニングをやっていくしかない。だがその点は心配していなかった。養ってきた自分で考える力、自分で動いていく力を、試していける機会だと考えたからだ。
栗原は「自分がやるべきこと」として全部員の個人面談に着手した。毎年やっていることだが、今回はリモートで。4年から1年まで約120人の選手、約30人の学生スタッフ一人ひとりとじっくり話をすることにした。
慶応ラグビー部はトップのAチームからFチームまで6チームに振り分けられている。一人ひとりにしっかりと目を向けるなか、一番下のFチームに所属している部員たちにヤル気を促すことに力を入れている。
「レギュラーやレギュラーに近い部員は、何も言わなくてもモチベーションは高い。でもFチームの部員はそうじゃない部員もいます。本気で取り組めば、見返りはある。その過程で得られる経験は本人にとって宝物になりますから。本気じゃなかったら、言葉は悪いですけど、ただ苦行に耐えただけになってしまう。そこの本質的なところに気づいてほしいという思いがあります。
FチームからEチームに上がるには、何をしなければいけないか。キミのプレーの強みはこれで、弱みはこれだと伝えてあげる。この年代を教えて思うのは、能力を持っていても発揮できないことが少なくない。たとえば足が速いという強みがあるのに、抜けそうなところで違うプレーを選択してしまう。自分の強み、弱み、そして性格を把握する。面談ではそのところを伝えるようにしています」
約120人の選手の、ストロングポイントとウイークポイントはすべて把握しているつもりだ。これだけ大所帯となると才能ある選手、モチベーションの高い選手に目が行きがちだが、栗原はそうしない。
試合に出られるかどうかじゃない。本気で取り組んだことの対価、成果をこの4年間で味わってほしい。慶応ラグビー部で活動してきたことを誇りにしてほしい。その思いが一番大きい。
ヤル気がないんじゃない。自信がないだけ—―。
これもNTTコミュニケーションズ・シャイニングアークス時代に教わったことだ。出番がなくなった現役晩年、ミーティングの席で発言できない自分がいた。
「若いころから、積極的に発言するタイプでした。〝次の試合はキック主体だぞ〟となっても、〝いやいやパスを回したほうがいいんじゃないですか〟とか思ったことは口にしていました。逆にあんまり言わない人は、そうやってディスカッションに自分の言葉で入っていかないからレギュラーになれないんだと勝手に思い込んでいました。
でも最後の1年、試合に出られなくなって、ある試合のミーティングのときに〝今回のディフェンスはこうやろう〟っていう話になったんです。僕は絶対に違うなと思った。それこそ相手の思うツボだぞ、と。でもそこで手を挙げて発言できなかった。なぜかなと思ったら、試合に出ていないから(発言に)自信が持てない。結局、その試合は僕が懸念したところを突かれて負けてしまった。僕はノンメンバーだったので、食事しながら試合を観ていました。言っておけば良かったと思った一方で、発言しない人の気持ちも理解できました」
ちょっとでも自信をつけさせたい。
過信はダメだが、やっぱり自信がないとつらいトレーニングにも能動的に取り組めない。自分のストロングポイントを知ることで、ウイークポイントを克服しようというマインドにもなる。
だから日ごろから声を掛ける。反応を見ることで、心の状態が見える場合もある。だから1対1の面談を大事にする。
シャイニングアークスのコーチ時代、くすぶっている選手たちに声を掛けることが少なくなかった。数えきれないくらい面談もやった。
「スター選手だったクリさんに、俺の気持ちなんて分からないですよ」
そう言われたら、こう返した。
「俺の最後の1年、知っているだろ?」
出番がなくて苦しんだ栗原の最後の1年を、目に焼き付けている後輩たちは多くいた。
「そうでしたね。あのときクリさん、結構走らされたり、ウエートやらされたり。しんどかったですよね」
「だろ? でもあきらめないで腐らずにやってきて、良かったなって思っている。だから腐らないでやることって大事だよ」
後輩たちのマインドが変わる瞬間を何度も見てきた。試合に出る、出られない、じゃない。やるか、やらないか。結局それが、己の力となっていく。
母校に戻って指導者になってからも、ここは大事にしてきたつもりだ。
2カ月間の活動停止は、チームにちょっとした〝分断〟も起こした。
トレーニング再開にあたってラグビー部としての感染防止対策をどうしていくか、意見が真っ二つに割れたという。
意見の相違があるのは、むしろ当然。ぶつかったことで、トレーニング再開してからは逆に一つになった気がしている。新型コロナウイルスによる長期活動停止になってしまうと、他の大学では退部する学生も出てくるという。だが慶応ラグビー部は再開から2カ月経った時点で誰も退部に至っていない。
「2カ月ストップしましたけど、コロナ陽性者が出るまでの3カ月間みっちりトレーニングできたことと、活動停止期間に個人でしっかりとやってくれた部員が多い。確かに2カ月間も全体でやれなかったことは痛いですけど、シーズンに向けて楽しみなことのほうが多いなと感じています」
禍(わざわい)を転じて福と為す。
最大のピンチを、全員の力で潜り抜けた。
2021年8月公開