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SPOALの本棚 渋谷編 『オリンピックの身代金』

犯罪サスペンス『オリンピックの身代金』

今から57年前の1964年(昭和39年)、東京はアジア初のオリンピック開催に沸いた。高速道路や新幹線が開通し、戦後の匂いが残っていた街はきれいに整備され、〝東洋の魔女〟をはじめとする日本選手団の大活躍に国民は熱狂し、世界的な祭典が日本で行われたことを誇りに思った。

それに比べて今回のオリンピックときたら、コロナ禍に加え不祥事が次々と発覚。開催中止のデモが行われ、総理や都知事、IOC会長にいたるまで毎日だれかしらが叩かれている。ああ、古き良き昭和の時代、1964年のオリンピックがうらやましい…。

と、令和の時代に生きる私たちはなんとなく思ったりするのだけど、本作はそうした漠然としたイメージをいい意味で裏切ってくれる。当時もオリンピックに無関心だったり、反対だったりした人は当然いたし、高度経済成長やオリンピック景気の恩恵を受けず、息をひそめるようにしてひっそりと暮らす“陰”の人たちがたくさんいたのだ。

一方で、オリンピックを成功させるために身を粉にして奮闘した“陽”の人たちももちろんいた。陰であっても、陽であっても、ともに善良な日本国民であり、立場の大きな違いは、ちょっとした運やタイミングが生み出したケースも少なくない。筆者は双方に視点からオリンピックという巨大な“化け物”を見つめ、登場人物の個々のストーリーを巧みに絡ませながらサスペンスを紡いでいくのである。

あらすじを簡単に紹介しよう。

オリンピックの建設現場で働いていた兄が急死した東大の大学院生、島崎は兄と同じ建設現場で働き始め、そこで高度経済成長の恩恵に浴さない貧しい労働者たちの過酷な現実を知る。憤りを抱いた島崎はオリンピックをぶっ潰す犯行計画を練り、警察に脅迫状を送りつけ、ダイナマイトを手に入れて爆破工作にまっしぐら。さあ、国家の威信をかけて血眼になる警察は暴走する島崎を止められるのか!? 勝負は開会式当日、満員の観衆で埋め尽くされた国立競技場に持ち込まれた――。

この小説は2006年から08年にかけて小説誌『野性時代』に連載され、08年に単行本が、11年に文庫本が出版された。13年にはテレビ朝日開局55周年記念番組としてテレビドラマが2夜連続で放送されている。主演の刑事役を竹野内豊、島崎役を松山ケンイチが演じた。

さて、作者がこの小説を書いたきっかけ何だろうか。調べてみたけど分からないので推測すると、いま開催中の東京オリンピックと無関係ではなかったと思う。東京都の石原慎太郎知事が「もう一度、東京でオリンピックを」とぶち上げたのが99年のこと。紆余曲折をへて06年3月に、オリンピック開催地の立候補が都議会で正式に承認された。連載の開始がこの年の7月だから、やはりオリンピックの招致が作者の創作魂に何らかの影響を与えたと考えてそう外れてはいないだろう。

私がこの本を初めて手にしたのは文庫本が出たあとの12年くらいだったと思う。以来、何度も取り出してはかばんに入れ、電車の中で繰り返し読んだ。そして今回、2020東京大会に合わせて読み返してみると、本書がオリンピックというイベントの長所と短所、つまりは本質を見抜いていることにあらためて感心する。1964年の話なのに、2020東京大会を想起させられることが多く、「ああ、奥田さんって今日の混乱ぶりを予見してたんだな~」と作者の慧眼に驚くのは私だけではないはずだ。

言うまでもなく、直木賞作家にしてこの作品で吉川英治文学賞を受賞した当代の腕利きは、何か政治的な主張を試みているわけでも、オリンピック反対を叫んでいるわけではない。主人公である島崎が学生運動に背を向けるノンポリで、強い信念を持たず、多くの人たちから愛される素朴な青年というキャラクター設定はその証だろう。作者はあくまでもオリンピックというとてつもなく魅力的で、それゆえに罪つくりなイベントを題材にし、珠玉のサスペンスを我々に提供してくれるのだ。

昭和30年代の生活の匂いを細部に至るまで克明に表現しているところもぜひ味わってほしい。「ハイウェー」、「BG」、「バミューダ」、「ヒロポン」。なぜだか分からないけど、私は昔流行った言葉に心をくすぐられるのだ。1959年生まれの奥田さんは前回の東京大会のときに15歳。時代設定は最も多感な時期のど真ん中である。

さあ、オリンピックが開催されたこの夏こそ『オリンピックの身代金』を手に取ってみてはどうだろう。極上のサスペンスを楽しめる上に、この1年で多くの人たちが抱いた「オリンピックっていったい何だ?」という疑問に一つの答えのようなものが見つかるかもしれない。

おわり

2021年8月公開

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