闘志あふれるディフェンダー、松田直樹が練習中に倒れ、急性心筋梗塞で天国に旅立ってからはや10年が経つ。
彼を観てきた一人として、追い掛けてきた一人として、そして「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」を書いた著者として、8月4日の命日にあわせて松田直樹を描くことを決めている。
毎年テーマを決めているわけではないが、ある年はAEDをテーマにしたり、ある年は日本代表での思い出話にしたり。基本的には彼とゆかりのある人を取材することが多い。
みんなの心のなかに、松田直樹は生き続けている。
ちなみに今年はWEB媒体「The Answer」からの依頼で、彼が指導を受けた前橋育英サッカー部の山田耕介監督に高校時代の話を聞き、そして坂田大輔、那須大亮、栗原勇蔵の3氏には横浜F・マリノス時代の話を座談会形式で振り返ってもらった。
同じくWEB媒体の「Number WEB」では今回、松本山雅で一緒にしていたFCマルヤス岡崎の北村隆二監督、奈良クラブの飯田真輝に話を聞いて、記事を書くことにした。
変にセンチメンタルにはならない。彼らしい豪快なエピソードが多いからかもしれない。そして何よりもみんな松田直樹を愛しているんだなとつくづく感じる。自分としても取材を通して、彼と再会できたような気分にもなる。こうやって毎年、彼を描いたり、AEDについて書いたりすることで多くの人に松田直樹を思い出してもらえればうれしい限りである。
自分の著書をあまり繰り返して読むことはあまりないが、「闘争人」と「松田直樹を忘れない」は命日が近くなると1回は読むようにしている。
本に記した松田直樹の言葉は、文字としてつづっても凄くパワーがある。飾らない言葉でストレートに訴えてくるだけに、いつ読んでも新鮮に感じてしまう。
本に記した彼とのやり取りを紹介したい。
――好きな言葉というか、いつも肝に銘じている言葉は「努力」ですよね?
「そう。でも簡単にその言葉を使いたくはないよね。努力しているときは自分が努力しているとは思わない。逆に『楽しい』って思える。どの世界もそうだと思うけど、結果出してるヤツっていうのは、絶対、努力している。やんなきゃできないし、つかめないよ」
――プロに入ってから「努力」の重要性をまた認識させられた時期というのは?
「1995年にマリノスに入団して1年目で優勝したでしょ。ヨシ(川口能活)が1つ上にいて、すっごく真面目に努力してやってて。逆に俺はチャランポラン(笑)。なんだよ、能活って思ってたよ、そのときは。だから正直、煙たがってたね。そうしたら97年にシュン(中村俊輔)が入ってきて、アイツもヨシみたいにすっげえ真面目に努力してやるわけ。俺、ヨシとシュンのやってる姿見て、俺、やばいなって思ったもん。昔、やってた自分を思い出したし、多分、2人は別に努力だなんて思ってやってない。あ、俺もやろう、やりたいって思って。そこから意識を変えていったかな。ヨシとシュンが気づかされてくれた。あの2人がいなかったら今の俺はないよ」
――昔に比べるとF・マリノスの若い選手でも真面目な選手が多いようにも思うけど。
「そうだね、みんな真面目だよね。練習前に早くクラブハウスに来て準備しているし、居残りの練習もやる。でもなんだろうな、ちょっと違うんだよな。俺の言い方がおかしいかもしれないけど、それって努力なのかなって思う。練習の前も後もちゃんとやってんだけど、一番大事な練習のときにそうでもないっていうか。これは別に批判とか、そんなんじゃなくて。やっぱみんなでやる練習のときが一番じゃん。そんときにどう自分の力を発揮するか。昔、(オズワルド・)アルディレスに『集まってくれているサポーターのみなさんにアピールしなさい』って言われたけど、そうだと思うんだ。努力をやってりゃいい、じゃなくて。何のための努力なのかってこと」
――家にも「努力」とか自分を鼓舞する言葉を書いて貼り付けたりしてるよね。
「ちょっと昔は、パソコンの前に『松田直樹は終わってる』とか書いたりしてね(笑)。効果がなかったから後で『マジで』を付け加えたこともあったな」
――そうしたら?
「効果? あったね(笑)」
取材者の立場から見た松田直樹は努力家だった。
「松田直樹を忘れない」でも記したが、松本山雅時代にはケガを抱える右ひざが思うように動かなかったためか、左足アウトサイドのボールの扱いは中村俊輔が見とれるほどのレベルになっていた。センスはあっても、コツコツと練習でやっていなければその領域にはたどりつけない。サッカーが好きだからこそ、別に努力とは思わず「楽しい」と思って習得に励んでいた。
彼の言葉に触れると、何だか元気になる。
自分ももっと努力して……。いやいや、違いましたね。もっと楽しんで、スポーツライターの仕事をやっていきたい。私も「マジで」を付け加えておこうっと。
2021年8月公開