世界陸上北京大会でボルトが走るのは6回目。そして、僕がボルトを撮れる最後のレースでもあります。200m決勝。200m決勝をどこから撮るか悩んでいました。まさか決勝でスタートの瞬間を狙うわけにもいかず、コーナーリングはすでに撮れています。100mと同じようにスタンドから撮る? いや、あの絵は100mだからこそ活きる撮り方です。
悩んだ挙げ句、僕は地蔵になることに決めました。地蔵。それはフォトグラファー業界の隠語(もしかしたら僕の周辺だけの言葉かも知れません、、)で、同じポジションから移動しないフォトグラファーのことを意味します。
この決断に至った理由は100m決勝の経験が活かされています。あのとき、他の種目を撮りながらレースを待っていた僕がポジションに入ろうとしたら、すでに多くのフォトグラファーが3重にも4重にもなり、中にはゴール地点が見えないポジションにまで人が溢れていました。中途半端なことをすれば、また同じことの繰り返しになることは目に見えていました。
そして、これまで今大会では「普通の写真は撮らない」とフォトグラファー仲間に豪語していた僕でしたが、やっぱりボルトが先頭でゴールする瞬間を素直に撮ってみたかったんです!! だってスーパースターですよ? フォトグラファーが余計な味付けなんてしなくたって、それだけで絵になるのがスーパースターのスーパースターたる所以です。素材の味を殺すことなく存分に味わってみたいじゃないですか!!?
しかし、ここでただの地蔵になってしまっては意味がありません。
「俺は地蔵王になる!!」
そう決意した僕は同い年でフリーランス仲間のTくんと協力体制を作りました。というのも、今大会では荷物を置いての場所取りが禁止されていたのです。一人だとトイレ休憩すらできなくなってしまうので、二人で交互に休憩を取りながらレースを待つことにしました。
世界陸上は朝から競技が始まり、お昼くらいに一度終了して、19時から競技を再開する2セッション制でした。いつもならレストランで昼食を摂り、マッサージを受けてからナイト・セッションに臨んでいたのですが、このときはプレスルームで簡単な食事を摂ってから、14時くらいから動き出しました。200m決勝が始まるのは21時前です。ボルトのレースまで7時間弱、僕たちは待ち続けました。そして、待つこと5時間。ナイト・セッションが始まりました。僕たちはトラック競技以外の撮影を諦め、スタートとゴールシーンをひたすら撮り続けたのでした。
スタート前とゴール直後はアスリートの感情が動く瞬間が多いが特徴です
ついに本日の最終レース、200m決勝が始まります。この頃になると僕らの周りには多くのフォトグラファーが群がっている状態で、油断をすると僕とTくんの間に割り込んで来ようとする人もいる混乱状態でした。しかし、そこはTくんと阿吽の呼吸で鉄壁の守備を築き上げて侵入を防ぎます。
さぁいよいよレースです。僕の位置からはスタートや最後の直線すらよく見えませんでしたが、場内アナウンスとジャイアントスクリーンに映し出された映像でレースの状況は把握できました。そして、大きな波を打つような歓声が僕たちに向かってくることで、シャッターチャンスを知ることができました。
僕の位置から視認できるのはゴール手前20mくらいにでしょうか。ウサイン・ボルトが視界に飛び込んできました!
喜び方が世界一のカッコいいと思うのは僕だけでしょうか?
これですよ、これ! やっぱり、カッコいい!! と、気分が上がって呆けている暇はありません。実はこのとき僕にはもうひとつ大きな野望があったのです。
この作戦を思いついたのはこの日まで5日間に渡ってボルトを撮影してきた経験があったからこそです。
100m決勝後のビクトリーランでの一コマ
ちょっと分かりにくいかも知れませんが、上の100m決勝後の写真の右下にボルトが写っています。レースを制した彼はビクトリーランでトラックを一周しながら声援に応えていました。このシーンを撮影したとき、200m決勝のあとはここに食らいついてやろうと心に決めていました。
そして、もうひとつは100m準決勝の入場シーンでのことでした。
ウサインと目が合っちゃったよおおおお!!!!
トラックに入る直前のことでした。なんとボルトがカメラ目線でポーズを決めてくれたのです! このときはメーカーが貸し出してくれた新型の超広角レンズを使っていたので、遠く見えると思いますが、僕と彼との距離は1mくらいでした。
この2つの経験活かした合わせ技で僕だけの一枚を撮る。それが最後の秘策でした。
「Hi, UB(Usain Boltのイニシャル)!!」
至近距離からボルトに声をかけて僕だけにカメラ目線を貰う作戦は、地蔵中にTくんと話していた中で思いついた作戦でもありました。
陸上のビクトリーランは通常、右回りで行われます。しかし、ここでもインフィールドとアウトフィールドのフォトグラファーでは決定的な差があります。基本的にインフィールドの彼らはどこで選手に食らいついても許されていますが、アウトフィールドの僕たちは選手たちがスタンドを向いたときくらいしか撮ることができません。
200m決勝を走り終えたボルトとライバルのジャスティン・ガトリン
白いビブスを付けているのがインフィールドフォトグラファーです。ちなみにこのあとアクシデントが起こりました。大きなニュースにもなったのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、セグウェイに乗っているビデオカメラマンがこのあとボルトに衝突してしまうのです。幸い両者に怪我はなく、翌日にはカメラマンを気遣うコメントまで発表したボルトはやはりスーパースターでした。
さて、このあとボルトはトラックを右回りで一周するのですが、ほとんどのフォトグラファーはそれを追いかけていきます。しかし、相手は人類最速の男です。運動不足の僕が追いかけて追いつくはずはないと確信していた僕は、メインスタンド側で待ち構えることにしたのです。
ここからは一枚一枚、僕の心の声と共にご紹介します。
ハイタッチを狙うなら人混みの中に紛れるのが一番です。このときは看板の後ろに控えていたボランティアさんの集団に入り込みました。
すかさず看板の切れ目を目指して走りました。先程は広角レンズを使ったので、今度は全身を入れて狙います。ちなみに手前でカメラを構えているのがTくんです!
ついにファンゾーンにボルトが侵入してきました!! ご覧のようにファンもフォトグラファーもカオス状態です。ここに突っ込もうかと思ったそのとき少し先にジャマイカ人らしき集団を発見。その前で待機することに!
キターーーーー!!!! 誰だか分かりませんが、ボルトと2ショット撮ろうとしてます! いいぞ、その調子だ!! 狙い通りベストポジションをキープ! 僕とボルトの間に邪魔をする人は誰もいません!
ボルトが振り向きました! 今だ! 言え!! 叫べ!!!
「ユービィィィィィィ!!!」
UB、、たった2文字を叫べば良かっただけなのですが、このとき僕は声をかけるどころか、ボルトが振り向いた瞬間、とっさに道を空けてしまいました。そのためかは分かりませんが、折り重なるように取り囲んでいたフォトグラファーの壁が、モーゼの十戒ばりに割れたのです。
このとき、少し前にボルトと接触したセグウェイのことが脳裏を過りました。アスリート全般に言えることですが、特に短距離の選手たちはF1マシンのように精巧な身体の作りをしています。それ故にちょっとした反動で怪我をしてしまうこともあります。だからこそ、接触事故を目撃したときは血の気が引きました。もし彼に怪我でもさせたら、、、。
僕とボルトの間には誰もいなかったですし、声をかけて目線をもらうなら完璧な状況でしたし、サービス精神旺盛な彼ならきっと応えてくれたでしょう。しかし、いざそのときが来たら完全にビビってしまったのです。
プレスルームで写真整理をしていたとき、Tくんが僕の真後ろに控えていたことを教えてくれました。
T「さすがタカスくん、いいポジション取ってたね~」
僕「途中まで良かったんだけどね~」
T「UBって声かけるって言ってたから期待したのに~」
僕「ねー、言う気満々だったんだけど、ボルトがデカすぎてビビった笑」
T「わかる~笑」
こうして僕のウサイン・ボルトを追った夏は終わりました。
つづくッ
2021年6月公開