肩に掛けたスカイブルーのチャンピオンベルトが、誇らしく輝きを放っていた。
2021年3月18日、東京・後楽園ホール。
IBF女子世界アトム級タイトルマッチ10回戦は36歳の王者・花形冴美が東洋太平洋同級王者の松田恵里を相手にドローで2度目の防衛を果たし、ラストマッチを終えた。激闘を繰り広げた26歳の実力者と抱擁を交わし「少しは壁になれたかな。これからの女子ボクシングを任せたよ」とエールを送った。
世界チャンピオンのまま引退というフィナーレ。
リング上でマイクを握り、コロナ禍でも入場制限の掛かった会場に集まってくれたファンを見渡すと少し上擦った声で感謝の言葉を語り始めた。
「悔いはありません。5度目の世界挑戦で王座を奪い、思い起こせば苦しいことが多かったですけど、人に恵まれたボクシング人生でした。ありがとうございました!」
スポーツドクターの夢も、サッカーも、ハンドボールも志半ばで断念した。そんなときにボクシングに出会った。大学を中退して、花形ジムでプロボクサーになり、花形進会長から「花形」をリングネームとして譲り受けた。5度目の挑戦で世界チャンピオンとなった師匠と同じように、5度目でようやく世界のベルトを巻いた。そして2度の防衛。2019年11月に日本ボクシングコミッション審判員の岡庭健氏と結婚し、「子供が欲しい」「小学校教諭になりたい」という新たな目標ができた。
後楽園ホールの照明が、ブロンドの短髪を照らす。
悔いなく、ボクシングを引退する彼女の晴れ晴れとした表情を照らす。
それはベルトよりも光沢を帯びていた。
ボクサーのやめどきは難しいとよく言われている。
花形のように現役の世界チャンピオンとして君臨しているときに引退を明言するのはレアケースだ。引退から1カ月経って、インタビューすることができた。
ボクシングから離れてみて、喪失感みたいものはないですか?冒頭そう尋ねると彼女は笑って、首を横に振った。
「もうまったく。ボクシングをやりたいとか、ちっとも思わないです。それだけやり切ってやめられて、私は幸せ者だなって思います」
No Regrets、後悔なし――。花形はなぜボクシングをやり切ることができたのか。それを知るには彼女の半生を振り返っておく必要がある。
彼女は帰国子女である。
商社に務める父の仕事の関係で、小学校生活のうち4年間を中東のバーレーンで過ごした。治安も良く、いい思い出が多いという。ここでの生活が「小学校教諭になりたい」という次の目標にも関わってくる。
「日本人学校の先生がとても素晴らしい人で、いい影響を与えてもらうことができました。近隣諸国では暴動などのニュースもありましたけど、バーレーンは過ごしやすかった。Jリーグの東京ヴェルディの選手たちが日本人学校を訪問してくれたり、サッカー日本代表の応援ツアーにも行ったりもしました」
この応援ツアーというのは、隣国カタールで1993年10月に集中開催されたアメリカワールドカップのアジア地区最終予選。イラク代表に土壇場で追いつかれてワールドカップ初出場を逃がした「ドーハの悲劇」で知られる。彼女たちが応援したのはイラク戦ではないものの、サッカーとの縁ができていた。
文武両道の彼女は帰国して中学生になると、ジェフユナイテッド千葉・市原レディースに入団する。ポジションはサイドバックだった。
「セレクションを受けてAチームに入ることができたんですけど、社会人と大学生主体のチームでしたから出場機会には恵まれませんでした」
サッカーに見切りをつけ、将来の夢としてスポーツドクターを目指そうとする。超がつくほどの進学校で知られる東京学芸大学教育学部附属高に進んだ。バーレーン日本人学校時代にハンドボール日本代表が訪問してくれた接点があったことで、今度はハンドボールにチャレンジする。「弱いのは嫌だから」と先頭に立って引っ張っていき、勉強よりもハンドボールにのめり込んだ。
高校時代に勉強がおろそかになってしまって二浪したものの、目指した医学部には入れなかった。理学療法士に切り替えて北里大学に入学。そしてここでもハンドボールを続けた。だが、高校とは違う現実が待ち受けていた。
「高校では、強くなるためにと思ってみんなを怒ったこともよくありました。でもそれでもみんな私についてきてくれて、今でもいい仲間です。高校でやっていたことを大学の部でもやろうとしたら、かなり温度差があって……。ある日、4年生の先輩から"あなたにはやめてもらうから〟と言われて、ちょっと人間不信みたいになってしまったんです」
強くなるために自分が間違っていないと思うことは、先輩だろうがはっきりと言葉にした。なぜ自分が部をやめなければならないのか。理不尽だと思えてならなかったが、部を去るしかなかった。
サッカーも、スポーツドクターも、ハンドボールも、目指してはみるものの、うまくいかない。外的要因はあるにせよ、いつもモヤモヤ感が残ってしまう。
ハンドボールから離れた彼女は、アルバイトに精を出すようになる。だが心が満たされない自分がいた。
やっぱりスポーツがやりたい。でももう団体スポーツはいいや。
そう考えていたときに、キックボクサー魔裟斗のK―1の試合をテレビで観た。
ビビッと来た。私も何か格闘技をやってみたい、と思った。
調べてみると北里大学と自宅の間に「花形ボクシングジム」があることを知った。
2021年5月公開