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クローザー JFE東日本 須田幸太 VOL.2

中学は弱小チーム 高校で甲子園に出場して早稲田大へ

須田幸太は早稲田大卒業後、社会人野球のJFE東日本に入って2年プレーした。社会人1年目、チームは都市対抗野球大会出場を逃したものの、須田はHondaの補強選手として同大会に出場。助っ人の立場でクローザーを任され、チームの優勝に大いに貢献した。翌年はJFE東日本のエースとして文句なしの活躍を見せた。プロ野球のスカウトがこれを見逃すはずはない。2010年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズが須田を1位で指名した。

「Hondaの補強選手で優勝したあたりからプロは意識するようにはなりましたけど、もともと小さいころから『プロ野球選手に絶対になる』というタイプではありませんでした。だからベイスターズに指名してもらって、振り返ってみてうれしかったとは思うんですけど、あんまりテンション上がったという記憶はないんですよね」

もともとプロ野球を強く意識したことはなかった。須田の生い立ちを知ると、その言葉を額面通りに受け取っていいような気がしてくる――。

茨城県石岡市に生まれた須田は小学生のときに野球を始めた。当時としては珍しくなかったスパルタ式の厳しいチームに入った。「高校時代はラグビー部。大学時代は落研」という父親もコーチに加わっていたが、「親子でプロ野球選手を目指す」というような雰囲気ではまったくなかったという。

中学校でも野球部に入って主力選手として活躍した。ただしチームは弱く、3年生の春に出場した地区予選であっさり敗退し、中学の部活動はあえなく終わってしまう。高校で野球を続けようとは思っていなかった。須田は野球から解放されると、学校に行かなかったり、遅刻を繰り返したりするような生活を送った。それでもスポーツの才能は確かで、高校のスポーツ推薦の話はきていたという。

「野球は市内の大会であっという間に負けたんですけど、陸上の110メートルハードルで県大会の4位に入ったんです。だから陸上で推薦入学の話がくるかと期待したんですけど、なかったですね。野球の推薦話もあったんですけど、遅刻が多すぎて中学校のほうが推薦できなかったみたいです(笑)」

須田は一般受験で高校に進学した。実は滑り止めと目していた学校の入試に落ち、1日8時間の猛勉強をして“短期決戦”で受験を突破した。進学先の茨城県立土浦湖北高は甲子園出場の実績こそなかったものの県ベスト8というからなかなかの強豪である。ただし、須田は「電車通学ができて近いところ」という野球とはまったく関係ない理由で進学先を選んだ。

ところが――。

「土浦湖北の小川監督が中学時代の自分を評価してくれて、推薦の話を持ってきていたというんです。それが断られたと思っていたら一般受験で入ってきた。そういう縁もあってまた野球部に入りました。僕の代はたまたまいい選手が集まって甲子園にも出場することができたんです」

再び野球に熱中した須田は2年生の夏、県大会のベスト4まで進んで甲子園まであと2つまで迫る。準決勝では藤代高の美馬学(現千葉ロッテマリーンズ)と投げ合い、9回に点を取られて逆転負けした。

それまで甲子園には一度も出場していなかった土浦湖北高だったが、続く秋季大会では周囲から優勝候補と持ち上げられた。本命視されてその気になったチームは快進撃を続けて関東大会優勝。須田はエースで4番、11連投という大車輪の活躍を見せ、チームは翌年の選抜高校野球出場を決めたのである。

甲子園というプロの登竜門とも言える舞台に立っても、須田に「プロになりたい」とか「プロになれるかも」という欲は出てこなかったという。

「甲子園では1回戦で済美高(愛媛県)と対戦して0-9で負けましたし、秋の明治神宮野球大会でも大阪桐蔭高(大阪府)にボコボコにされました。自分たちは茨城では強いけど、日本は広いなという感じで。これは無理だなと素直に思いました」

3年生で夏の甲子園出場を逃すものの、須田は早稲田OBの目にとまり、トントン拍子に東京六大学野球の名門、早稲田大への進学を決める。六大学野球へのあこがれ? いや、「当時は六大学の名前すら全部言えなかったと思う」というほど興味はなかった。

それでも高校に続き大学でも野球に真剣に取り組んだ。努力は実り、3年生になってエースナンバーの背番号11を与えられた。1年生には甲子園で“ハンカチ王子”フォーバーを巻き起こした斎藤佑樹(現北海道日本ハムファイターズ)が入学してきた。須田は斎藤とともに先発投手として力を発揮し、六大学野球の春季リーグ優勝を果たした。4年生でもチームの主軸として働き、卒業後は声をかけてくれた社会人野球のJFE東日本に就職することになったのである。

こうして須田の野球人生を駆け足で追いかけてみると、何が何でもプロ野球選手になろうとはしていなかったことが分かる。須田自身もそう自覚している。

「そうですね、目立つのは好きでしたけど、絶対に野球選手になるとか、そういうのは持ちたくない性格だと思いますね。“絶対”は言わないようにする。絶対を言ったのはJFEに戻ってきて都市対抗で『絶対に優勝する』と言ったときくらいですね」

絶対にプロ野球選手になろうと思っていたわけではない男がプロの世界に足を踏み入れることになった。そこはタフな野球エリートたちがしのぎを削る厳しい世界だった。

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