90年代を語る① バスケットボール
――続いては1990年代をテーマごとに振り返っていきたいと思います。なにせ10年もありますので。まず前半からいきましょうか。バルセロナオリンピック(92年)など、スポーツ的にもアツかったですよね。
宇曽井:その頃は小学生だったので、あまりちゃんと観ていなかったと思います(笑) でも当時のバスケットボールチームの先生が、雨で練習なかった日にNBAのミックステープをみせてくれたのはよく覚えています。そこで初めてNBAを知ったし、その時オリンピックでも活躍したマイケル・ジョーダンを知りました。
――バスケットボールプレイヤーという側から観たマイケル・ジョーダンは、やはり衝撃的だったのでしょうか?
宇曽井:その時はマイケル・ジョーダンがどうというより、とにかくとんでもない動きをする人たちがいるんだなとしか思っていませんでした(笑) 『SLAM DUNK』の人気もありましたが、当時はテレビでもNBAの選手たちが見れるようになりましたよね。例えばチャールズ・バークレーがカップラーメンのCMに出ていたり、ジョーダンもゲータレードのCMに出てたりしてました。それにマクドナルドでもNBAのキャンペーンをやっていたのって知ってますか?そうやってアメリカバスケットボールのカッコいいカルチャーが、少しずつ少しずつ見えてきたんです。
――確かに1990年代はNBA選手たちが日本のお茶の間にもたびたび登場していましたね。
宇曽井:それにマンガ『SLAM DUNK』の中でも「エア・ジョーダン1」とか「エア・ジョーダン5」が登場してきて、こんなカッコいいバッシュがあるんだ!なんて思っていました。(ファッション雑誌の)『BOON(ブーン)』や『COOL TRANS(クールトランス)』にスニーカー情報が載っているんですが、10万なんて値段でしたから。中学生だった当時はどこに売ってるかも分からないし、手の届かない価格だったので、ナイキ「エア・フライト」とかリーボック「シャック アタック」とかハイテクなバッシュに興味を持っていました。
ちょうど店頭にはオリンピックカラーのジョーダンズーム’92が!
90年代を語る② エアマックスブーム
――スニーカーブームでもバッシュはマイケル・ジョーダンをはじめとするNBA選手達の活躍や、マンガ『SLAM DUNK』の人気といった要因があったと思うのですが、「エアマックス」のブームというのはどうやって生まれたのでしょうか?
宇曽井:僕も気付いた頃にはもう突然でした。ただウチ(山男)の社長の話を聞くと、当時は95という名前もついてなくて、「今度エアマックスの新しいやつが出るらしいぞ」という話だったそうです。鮮烈なデザインが印象的だったので、これはいっぱい買っておこうと賭けたんですよね。それが「めちゃくちゃ売れてます!」となったと(笑)
――読みの精度がスゴイですね(笑) そんなに売れるとは。
宇曽井:当時の世の中はすごかったんですよ。オフィシャルも並行輸入も関係なく売られていましたからね。金額も定価で売るのではなく「○万円でいいよ」なんてレベルで売られていたりしましたし。みんな世界中を飛び回って買い付けをしていたそうです。
――ニュースや記事では知っていましたが、改めて言葉で聞くと本当に凄まじいブームだったんだなと感じます。「エアマックス狩り」って言葉もあったくらい買うのも大変だったんですよね。
宇曽井: そうですね。エアマックスに限らず「ドラクエ狩り」なんてこともありましたから。小学生の頃に『ドラクエ6』を発売日に買いに行く時、本当にドキドキしていたのを今でも覚えています(笑)
――改めて90年代って恐ろしい時代だったんですね…
ブームの中心にあったエアマックス95(筆者私物:2020復刻版)
90年代を語る③ 買い物スタイル
――スニーカーブームだった90年代は、欲しいものを買うのも大変な苦労があったと思います。当時はどうやってスニーカーの発売情報を知ったり、買いに行ったりしていましたか?
宇曽井:情報源は雑誌でしたね。中学生~高校生だった頃は雑誌を見て「このスニーカーが欲しい」 と思ったら電話番号だけメモして、テレフォンカードや10円玉を用意して店の名前や場所を聞いていました。でも実際行ってもお店にたどり着けなかったりして帰ったこともありました。メジャーな店しか行けなくて(笑)
――今もスニーカーブームと言われていますが、90年代との決定的な違いはそこですよね。今は販売情報もまとめられているし、お店に行こうと思ったらスマホの地図で迷わずたどり着けますよね。後は並べばいいだけだから、買う側の苦労が体力だけになっているような気がします。昔はそれだけじゃなくて、どこに何があるか考えて動くセンスも必要だったのではないかなと。
宇曽井:それは僕も同感です。今って情報がSNSを通じて“平等”になってますよね。でもイーブンとフェアって違いませんか?みんな一緒にイーブンということじゃなくて、お店に通って仲良くなったからこそ、その人が得られる情報があってもいいですよね。お店と関係値を築いた人だからできることがある、それが僕はフェアであり平等だと思うんですよ。
――今は、購入金額に応じて付与するポイントで販売優位性を作るスニーカーショップもありますよね。
宇曽井:僕はそのやり方(購入金額に応じたポイント制)ってアリだと思いますよ。一回買ってくれたお客様がいいモノを買えるのって当然じゃないですか。ロレックスだって「まずは顧客から」ですしね(笑)
――スニーカーブーム真っ只中で欲しいと願う人が多い今だからこそ、本当の意味での“平等”は大きなテーマですね。
宇曽井:そうですね。実は僕紙媒体を作りたいなと思っているんです。お店で配るチラシで情報を見て、それを見た人だけが買えるみたいな。今となってはそういう方がいいんじゃないかなと。みんな一緒じゃなくて、お店に足を運んだ人だけが得られる情報があって。昔みたいにした方がいいと思いませんか?「情報欲しかったらお店に来てください!」って。僕自身がその楽しさを味わっちゃってますからね(笑)
――山男の紙媒体ですか!すごく面白いアイデアですね!
宇曽井:もちろんオンラインはちゃんとあるので全国に対応できるようにはしますが、店頭はそんなことができたら面白いんじゃないかなと思っています。(山男で)働くようになって気付いた事なんですが、カルチャーって人と人とで作るものなんだと。だから今のスニーカーブームは盛り上がっているんだけど、どこか冷めてる感じがしちゃうんです。
――冷めてる感じ、ちょっとわかるかもしれません
宇曽井:今は、情報もデジタル上で決まったところから得られて、ある程度クリアすればみんな買えるじゃないですか。でも1990年代当時って人と人でしたよね。電話もそう、(店員と)話して気に入ってもらったり、それでいいことがあったり。
――まさに人と人とがつくるカルチャーでしたよね。
宇曽井:そう。山男って上野にありますけど、原宿と比べたら街の雰囲気的にもローカルショップであるべきだと思うんです。だからカルチャーを、山男っぽいカルチャーを作っていくことが大事なんじゃないかなと。そういうチャレンジをしたいと思っています。
――最後のテーマは、特に今にリンクする内容でしたね。1990年代の思い出話に花が咲くだけじゃなく、現在のブームと比べた見方ができて面白かったです。まさか今後の構想までお伺いできるとは思わず、テンションが上がりました!そろそろ時間も近づいてきましたので、最後のお話にうつりましょう。
2021年4月公開