「さわると怖いぞ三四郎」
皆さんご存知、映画「姿三四郎」(1943年)からの一言。黒澤明監督デビュー作!巨匠のイメージしかない世界のクロサワも、当たり前ですがデビュー作があるんですね。
必見なのはクライマックスの決闘シーン。一面のススキが強風になびき、物凄い速さで流れていく雲も、ただならぬ雰囲気を出しています。監督はイメージどおりの風が吹くのを2日待ったとの事。デビュー作から風のためだけに2日も撮影しないとは流石の一言。ちなみに私も天候を待つことを“クロサワ待ち”と勝手に呼んでおりますが予算の都合上、待っても30分がいいところなのが悲しい現実です。
さて、今回のSPOALの本棚は、冒頭で紹介した映画の原作となった作品。富田常雄(柔道五段!)作「姿三四郎 天の巻」(講談社)を紹介します。
小説の舞台は文明開化真っ最中の明治時代。この時日本にはまだ「柔道」というものはなく、様々な流派の「柔術」が乱立していました。そんな中、学士である矢野正五郎(講道館柔道創設者、嘉納治五郎がモデル)は理論に基づいた近代柔道を編み出します。その下に姿三四郎が弟子入りするところから物語はスタート。激しい稽古の末、三四郎は天才柔道家と呼ばれ、(どのような稽古で強くなったかが書かれていないのが残念)、敵対する柔術家、唐手(空手)家達を得意の「山嵐」で倒していきます。ただ、勧善懲悪なストーリーではなく、強いが上の苦しさ。自分自身との闘い。人間としての成長がここには描かれています。
「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知る」
矢野正五郎の教えが心に響きます。
ところで「三四郎」と聞いて、この姿三四郎が思い浮かんだ方は少ないのではないでしょうか?夏目漱石の「三四郎」はもちろん有名ですが、最近ではお笑い芸人の名前のほうが多く耳にします。マニアックな方はセガのCMでおなじみ、“せがた三四郎”でしょうか。藤岡弘、はいつの時代でもインパクトあるCMを残すのは何ででしょう。
話を戻して、柔道界で「平成の三四郎」と呼ばれているのは、古賀稔彦、野村忠宏の二人。「女三四郎」は山口香。ただ強いだけではこう呼ばれず(山下泰裕は重量級なので三四郎とは呼ばれません)、小説の主人公のように、小柄なのに大きい相手も倒すというところが三四郎と呼ばれる所以となっています。
私にとって平成の三四郎と言えば古賀稔彦さん。柔道部に所属していた高校時代、身体の小さい私が教わる技と言えば「背負投げ」。相手の懐に潜り込んで低い姿勢から繰り出す古賀さんの背負投げをお手本に練習していました。
高校を卒業してから柔道着に袖を通すことはないまま、時は流れて私はスポーツも撮るカメラマンに。古賀さんが監督を務める全日本女子のある選手を撮影に訪れた時の事。監督に取材に来た旨を挨拶すると同時に言いたかった言葉は「僕を投げてください!」ちょっとアブナイ人に聞こえるかもしれませんが、猪木にビンタされたい。長州にラリアットされたい。このファン心理と同じで、高校生から始めたヘナチョコ柔道部員が古賀さんと試合なんかできるわけがないので、せめてあの背負い投げの衝撃を自分の身体に受けてみたい!というのが本音。柔道経験者ならたぶんこの気持ちをわかってもらえると思います。
古賀さんの取材に来ているのであれば、「僕も柔道やっていたので憧れでした」とかなんとかから、「投げてもらっていいですか?」と0.01%ぐらいは可能性があったかもしれませんが、この時はそんな話をするチャンスもなく。そもそも仕事で来ているので個人的な願望は表には出しません。
緊張感あふれる全体練習が終わってから、選手のインタビュー写真を撮っている時に事件が。撮影している私の背中に衝撃が走ったのです!振り返ると、転がっていくバランスボールと満面の笑みの古賀さんの姿が。
「なんか真面目に撮ってるからさー、ちょっかい出したくなったんだよ。ハッハッハ!」と。
姿三四郎の世界であれば、「無礼者!いざ、勝負じゃ!」と私が言うべきところでしょうが、もちろんそんな事言えるわけでもなく、「すいません、僕も緊張しちゃってて、真面目すぎました?」と。なんとなく硬い空気を古賀さんなりにほぐそうとしてくれたのでしょうか。そのおかげか選手のリラックスした表情が撮れたのを覚えています。ただ、けっこう天然なところもあると後から聞いたので、単純に私にボールをぶつけたかっただけかもしれません。
その後、取材の機会は恵まれず、古賀さんと私の接点はこの瞬間だけに。嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、突然の訃報を目にした時、背中の右側がジンワリと熱を帯びました。
そう、そこは十数年前、古賀さんにバランスボールを当てられた場所……。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
終
2021年4月公開