4戦目でリーグ戦初出場、初得点も、そこからチームは低迷
2020年8月29日、日本リーグ初参戦のジークスター東京は愛知県刈谷市のウイングアリーナ刈谷でリーグ初戦を迎えた。強豪チーム、トヨタ車体を相手に結果は27-34の敗戦。森下はメンバー入りしたものの、最後までベンチを温めて終了のホイッスルを聞いた。
キャプテンとしてインタビューを受ける機会も多かった
その翌日、静岡県の富士宮市民体育館で行われた第2戦は、トヨタ自動車東日本を31-28で破り、チームは早くもリーグ戦初勝利を挙げる。続く琉球コラソン戦は22-22で引き分け。終盤に追いつかれた第3戦の引き分けは痛かったものの、新規参入チームが1勝1敗1分のスタートは悪くない。ジークスター東京の船出は決して悲観するものではなかった。
キャプテンの森下将史にプレーヤーとしてのチャンスが巡ってきたのは第4戦、9月13日に東京都立川市のアリーナ立川立飛で行われた大同特殊鋼との試合だった。同じ右45度のポジションのエース、東長濱秀希との交代が告げられた。最初は短い時間だったが、後半に入って東長濱が負傷。大黒柱が抜けた穴を埋めるのは森下だった。
森下のプレーは十分に通用した部分もあった
中学生のときから夢に描いたリーグ戦の舞台。特に緊張したのはディフェンスだった。上位チームに勝利するためには、ディフェンスでいかに粘れるかがチームとしての課題だった。森下は緊張のあまり普段はしないようなミスを犯してしまうが、それで気持ちがくじけることはなく、チーム一丸となって強豪の大同特殊鋼にくらいついた。東長濱を失った状態で大健闘と言えた。
オフェンスに関しては「いつも通り冷静にできた」という森下は後半17分すぎ、右45度からディフェンスの逆を突いて中央に切れ込み、体勢を崩しながら放ったシュートでゴールネットを揺らした。日本リーグ初ゴール。20-22から1点差に詰め寄る価値あるゴールだった。その後、森下は2ゴールを追加するものの、チームは大同に振り切られて28-30で惜敗した。
初ゴールの感触は今でも忘れることができない。
「大同戦の初ゴールはやっぱりよく憶えていますね。あの試合はチームとしても内容は悪くなかった。さあ、ここからだと思ったんですけど…」
トップレベルとの差を感じる日々
信太弘樹と並ぶエースの東長濱を失ったジークスターはここから一気に下降線を描いた。森下は東長濱が抜けた穴を埋めるべく、以前に比べて多くの出場時間を与えられた。しかし続く4試合で起用されたもののチームは4連敗を喫し、個人でも思うような結果を残せなかった。
「やっぱりトップレベルとの差はすごく感じました。今までのディビションや学生のリーグとはまったくレベルが違います。プレーがうまくいかず、勝ち星にも恵まれず、かなり苦しい状態が続きました。練習に行くのさえ気持ち的にちょっときついと感じたこともありました。そんなふうに感じたのは自分のキャリアの中でも初めてのことでした」
コートに立ち、国内最高峰のリーグの選手たちにもまれる日々。プロ選手も、企業の社員選手も、ただでさえ才能に恵まれた選手たちが、己の生活をかけてプレーしている。結果を出さなければ明日はない。そうした日本リーグの厳しさ、重みというようなものが森下に襲いかかっていた。厳しい環境の中で、いっぱい、いっぱいの状態が続いた。
調子が上がらず、チームも復調のきっかけがつかめないまま迎えた11月、森下は腰を痛めて戦線離脱してしまう。時を同じくしてチームにはフレッシュな大学生が短期契約選手として加入してくる。日本代表にも選ばれている部井久アダム勇樹、アンダー世代で日本代表を経験している中村翼と蔦谷大雅の中央大トリオだ。
日本リーグは肉体的にも精神的にもタフだった
3人の若武者が加入したことによりチームに活気が生まれ、どん底の状態から抜け出すことができた。3人の活躍はめざましく、東長濱の復帰もあり、森下の出場機会は遠のいた。「自分がこのリーグでやっていくのは難しいな」という思いが少しずつ膨らんでいった。
「結果を出す選手が試合に出るのは当たり前だし、キャプテンとしてチームの勝利を願っていました。だから大学生が試合に出て士気が落ちるということはありませんでしたね。もちろん自分だって試合に出たい。だから出られるように自分なりにがんばってはいたんですけど……」
森下はジークスター東京の前身である東京トライスターズ出身者でいわは“生え抜き”の選手と言うことができる。生え抜き組でも左サイドの細川智晃、ピボットの高橋恵吾、檜垣颯のようにコンスタントに試合に出場する選手もいた。森下は彼らの活躍に頼もしさを感じながらも、自分が彼らと同じように継続して試合に出て、活躍するイメージをどうしても描くことができなくなっていた。
森下は選手としてのハンドボール人生を終えようと心に決めた。
振り返ってみれば大学を卒業した時点で選手としては終わるはずだったのだ。それを救ってくれたのが今から3年前、2018年に創設された東京トライスターズだった。
2021年4月公開