開店当初はカウンターのみ 冤罪で逮捕のピンチも
元プロボクサーのチョウさんこと山本晁重朗さんが1964年に東京・阿佐ヶ谷駅近くに開いた『チャンピオン』。地元でとても愛される店になったのだが、その経営は最初から順調だったわけではない。バーを居抜きで借りたというだけあって、当初の客席はL字のカウンターのみ。やはりバーという雰囲気で、チョウさんが学校を出てから腕を磨いてきた自慢の洋食を出す環境ではなかった。
店を切り盛りしたチョウさんと妻の初子さん。1987年撮影=提供写真
「あそこは駅から近いんですけど表通りでじゃなくて要は場所が悪い。だから僕が店を出す前に同じ場所で3軒も4軒もつぶれているんです。うちの店が出たとき、『今度の店は何ヶ月でつぶれるか』なんて賭けしてた人たちがいたくらいでしたから」
では、この地でいかに店を成功させるのか。チョウさんは時間があるとき、必ず営業に出るようにした。阿佐ヶ谷の人通りの多い地域に出かけてチャンピオンをアピールする。特に遅い時間に「ちょっと小腹が」とラーメンを食べるようなお客さんには、「だったらチャンピオンに来れば、お酒を飲みながらおいしい洋食が食べられますよ」とアピールした。
衣にチーズをまぶしたオリジナルメニューのフレンチカツ=提供写真
やがてカウンターしかなかった店を増築し、テーブル席を設けて本格的に修行してきた洋食を出せるような環境を整えた。そして何より、料理人として客に自慢できるメニューにはとことんこだわった。
「普通の店じゃやっていけない、いろいろなことをやらないといけないと思いましたね。創作メニューはその最たるものです。スパゲティーを使った“チャンピオン麺”はその一つ。ボイルしたスパゲティーをラーメン風にして味噌味にしたりしました。他にもチキンソテーとかフレンチカツとか。僕の作ったドミソースは独特で、肉の嫌いなお客さんから、『チャンピオンのハンバーグなら食べられる』と言われたときはうれしかったですね」
チョウさんは出かける先々でさまざまな料理を口にし、なにがしかのヒントを得て自らのメニューに生かそうと研究を重ねた。斬新なメニューも作ったし、定番のメニューであってもオリジナルを加えることに腐心した。あるとき、「チャンピオンのトム・ヤム料理は絶品」とのウワサを聞きつけたタイの料理人が来店し、「こんなにおいしいトム・ヤム料理はタイにはありません」と脱帽したというエピソードは今や伝説だ。
グリルチキンもファンが多かった=提供写真
チョウさんは2002年に次男の寛朗さんと交代するまで、厨房に立ち続けた。そのフライパンさばきはとにかくダイナミック。ガッ、ガッ、ガッと力強い動きであっという間に料理を作り上げる。「料理は一瞬の芸術」。妻の初子さんによればそれがチョウさんの口癖だったという。
独創的な料理に魅了され、それと同じくらいチョウさんと初子さんの人柄にひかれて客が集まった。『ボクシングマガジン』の編集長だった前田衷さんはその一人だ。のちに『ワールドボクシング』を立ち上げる名物編集者は、豊富な人脈をいかしてたくさんのボクシング関係者、本物の“チャンピオン”も店に連れてきた。
「前田さんがいろいろなボクサー、関係者を連れてきてくれたんです。そうした縁もあってか、僕は前田さんが立ち上げたワールドボクシング誌に10年間もコラム『我らTVファン』を連載させていただきました。取材にもたくさん行きました」
料理人の枠を超えボクシング誌に寄稿
チョウさんは多芸な人でもある。絵も描くし、文章も書く。そして行動力もあった。ワールド誌に連載していたころはタイに足を運んで世界タイトルマッチのレポートを書いたこともある。タイとのコネクションが生まれたのも実は『チャンピオン』。店に来ていた馴染みの青島律さんがタイに移住して家庭を築いており、現地での取材をアレンジしてくれたのである。青島さんは現在、タイ在住の国際マッチメーカー(国際試合をアレンジする人)として活躍している。
「青島さんがタイで生活するようになって、チョウさん一度遊びにおいでよと。それでタイまで行って世界王者でタイの国民的ヒーロー、カオサイ・ギャラクシーのジムに取材に行ったりね。海外では“チャンピオン”という名刺が大いに役立ちましたよ」
こちらは2代目、寛朗さん=提供写真
1993年には旧ソ連のペレストロイカにより来日したWBC世界フライ級王者、ユーリ・アルバチャコフの防衛戦をタイで取材した。このとき現地でばったり出会ったテレビ東京ディレクターの伴田昭典氏、ワールドボクシング編集者の春原俊樹氏は、ともにチョウさんが開いていた“日曜ボクシング”の練習生だった。
「タイでいきなり伴田くんに会うんだからビックリしたよね」
日曜ボクシングとはチョウさんが屋外で開いていた青空ボクシング教室のこと。もともと後にプロライセンスを取得し、『チャンピオン』の2代目となる寛朗さんを教えていたのだが、ヨネクラジムのボクサーだった高橋純さんが「自分にも教えてほしい」とチョウさんに頼んだことをきっかけに教室に発展した。高橋さんはのちに歌舞伎町で道行く人にパンチでストレスを発散してもらう独特な商売“殴られ屋”を考案し、そのとき名乗った晴留屋明として知られるようになった人物である。
タイでチョウさんが会った春原氏は『チャンピオン』の近くにある喫茶店「ポエム」の店長をしていたところ、チョウさんの仲立ちもあって前田編集長のワールド誌に転職。伴田氏はその後、テレビ東京のボクシング中継を一手に担う敏腕プロデューサーとなった。
おいしい食事とおいしいお酒にボクシング。『チャンピオン』を通して人と人がつながっていく。多くのファンに愛された店にはレストランの枠を超えた力があった。
2021年3月公開