ボクサー薄命 4戦目で悔いの残るラストファイト
14年前に閉店した阿佐ヶ谷の洋食レストラン『チャンピオン』のマスター、チョウさんこと山本晁重朗さんは若かりし日、極東ジム所属のフライ級ボクサーだった。かの海老原博幸と同じ日にプロテストに合格してプロボクサー人生をスタートさせたが、世界タイトルを獲得して国民的スターとなった海老原とは対照的に、チョウさんのボクシング人生は1年ほどで幕を閉じることになった。
撮影=高須力
プロ3戦目のことだった。チョウさんが右ストレートを打ち込むと、腕が伸びきらないうちに、相手がパンチをよけようと下げた頭とチョウさんの右の拳が激突した。グキッ!という鈍い音。交通事故でいえば正面衝突のような形となり、チョウさんは右小指を骨折してしまう。60年以上たった今でもチョウさんの小指は薬指に覆い被さるように曲がったままだ。これが致命傷となった。
ジムの会長には指の骨折を告げないまま、プロ4戦目が組まれた。けがをしたなんて言わないものだと思っていたし、痛みを我慢して試合をするのは当たり前だと思っていた。
迎えたプロ4戦目、対戦相手はアマチュア出身で確かな技術を持っていた。フットワークを巧みに使い、ディフェンスもしっかりしている。1ラウンド、チョウさんのパンチは空を切るばかりだ。2ラウンドに入っても展開は変わらない。劣勢のチョウさんは一計を案じた。
「よし、3ラウンドに勝負しようと思ったんですよ。だから2ラウンド、ラスト30秒の声が聞こえたとき、ブロックで防御だけして手を出さなかった。力を蓄えて次のラウンドに一気にいこうと思ったんです。それが…」
相手の攻撃をブロックで防いでいると、無情にも会長が棄権の意思を示すタオルを投げ込んだ。会長はチョウさんの戦意喪失と見たのか、一方的にやられていると見たのか、いずれにしても白旗を掲げ、これでチョウさんのTKO負けが決定したのである。
閉店間際の店をバックにファイティングポーズのチョウさん=提供写真
チョウさんはタオルを投げた会長に腹を立てたのか? いや、そうではなかった。
「試合が終わってトレーナーが会長に『山本は次のラウンドでやるんですから、なんでタオルを投げたんですか?』というようなことを言ってくれましたけど、僕は自分で勝手に考えたあんな作戦で負けたことがすごく悔しかったんです。なぜ、自分はあそこで30秒休んでしまったのか。本当はコーナーに詰められて苦しいときほどがんばらなくちゃいけない。それを僕はしなかった。あの経験がその後の人生に役立ちました。苦しいことがあると、あのラスト30を思い出すんですよ」
小指の骨折はいかんともしがたく、チョウさんは実質1年ほどのプロ生活で4戦2勝2敗という成績を残して引退した。以後、「苦しいときこそ戦う姿勢」を胸に、人生を送るようになった。
さて、ボクシングを引退したチョウさんは、これまでと同じように料理人として生活していくことになるのだが、短い期間だったとはいえ、ボクシングの世界に身を置いたことがそれからの人生に大きな影響を与えた。
引退して九段会館で働いていたころ、勝又行雄さんから声がかかった。勝又さんは東洋ジュニア・ライト級王者に輝いた当時の人気ボクサーで、現役時代は串田ジム所属ながら、チョウさんが在籍していた極東ジムで練習しており、チョウさんにとっては先輩にあたる存在だった。
「袴田事件」の袴田さんも同じ年にプロデビュー
その勝又さんが引退してJR新小岩駅近くにジムを開いた。勝又さんが連絡をよこした用件は、「おい、うちの女房に料理を教えてくれないか。近所の奥さんたちも呼ぶから」というもの。先輩からの頼まれごとでもあり、チョウさんは二つ返事で引き受けて、勝又宅まで行って“料理教室”を開くことになったのである。
こちらは“名作”を生み続けたチャンピオンの厨房=提供写真
ある日、勝又宅を訪れると、先客が来ていて勝又さんと一緒に一杯やっていた。「おい山本、そっち終わったらお前もこっちに来い」。勝又さんに言われて畳に上がると、そこにいたのが袴田巌さんだった。ご存じの方もいるかもしれないが、袴田さんはのちに強盗殺人放火罪で死刑判決を言い渡され、冤罪を訴えているあの「袴田事件」の袴田さんである。
ちなみに袴田さんはチョウさんと同じ年にプロボクサーとなり、こちらは日本フェザー級6位まで上り詰めた。何よりの勲章は年間19試合という今後も更新は不可能と思われる年間試合数の日本記録を持っていることだろう。
第1回で書いたように、チョウさんはこのあと「帝銀事件」で冤罪を訴え続けた「平沢貞通氏を救う会」の事務局員になるのだから不思議な縁を感じさせる。もちろんこのときの出会いは「袴田事件」が起きる前。チョウさんは袴田さんが釈放されたあとの2016年、静岡県浜松市で開かれた集会で袴田さんと再会をはたしている。
「勝又さんのお宅で一緒に飲んだことを話したんですけど、覚えてはいないみたいでしたね。でも、僕が袴田さんのボクシングのマネをしたときは『オレはそんな下手くそじゃないよ!』とぎこちなく拳を振り回してみんな爆笑です。彼にはユーモアのセンスがありますね」
話を戻そう。5年勤めた九段会館を辞めたチョウさんは友人がレストランを開くというので料理人として店に入ったものの、程なくしてやめてしまう。さて、どうする―。そんなとき「平沢貞通氏を救う会」の縁で人を紹介してもらい、阿佐ヶ谷のとあるビルの1階、休業中のバーだったところを居抜きで借りることになった。いよいよ“伝説の名店”チャンピオンが産声を上げるときがきた。
2021年3月公開