もともとボクシングは好きではなかった!?
伝説の洋食レストラン『チャンピオン』。チョウさんこと山本晁重朗さんがこの店を開いたのが1964年、最初の東京オリンピックが開催された年だった。店名から想像される通り、チョウさんは元プロボクサーという異色の経歴の持ち主である。だからてっきり子どものころからボクシングが大好きなのかと思っていたら、そんなことはないのだという。店を閉じてから14年目、84歳になったチョウさんから意外な事実を聞いた。
「いや、あんな殴り合いなんて最初は興味なかったんですよ。テレビで見る程度でね」
撮影=近藤俊哉
時は昭和20年代から30年代にかけて。学校を出たチョウさんは洋食料理人の道を歩み始め、ビフテキで有名な銀座のスエヒロで働いていた。あるとき、中学時代の同級生がボクシンググローブを持って店を訪れた。どうやら高校でボクシング部に入ったらしい。店が終わるとその同級生がチョウさんを外に連れ出してこう言った。
「殴っていいよ」
なんだかよく分からないまま、言われるがままに手渡されたボロボロのグローブに拳を突っ込み、同級生にパンチを振るってみた。同級生はチョウさんのパンチをスイスイとよけながら時々軽いパンチを打ち込んで楽しんでいる。なんだこれは? 10代だったチョウさんは不思議な感覚に襲われたという。
「ああ、ボクシングってただの殴り合いじゃないんだ。そう思ったんですよ。相手のパンチを外すことができる。これは面白いと思った。それからはテレビでボクシングを見ても技術的なところを見るようになりました。どういうよけ方をして、どう攻撃につなげているのか。そういうところを見るようになったらすごく面白かったんです」
見ているうちにやりたくなる。若くて体力のある青年なら当然のことだったかもしれない。チョウさんはある日、東中野にあった極東ジムに足を運んだ。ジムの前にはギャラリーがたくさんいて、みんな窓から練習生たちがサンドバッグを叩く姿をのぞき見ていた。入門を志願するつもりだった。ところが…。
「面白そうだな、入門したいなと思ったけど、入り口に『極東拳闘倶楽部』という剣道の道場にあるようなでっかい看板があってね。怖くて入れなかったんですよ」
1回目の訪問はあえなく“敗退”に終わるも、2度目は意を決して「入門させてください」と口に出すことができた。この時点でプロになろうと思っていたわけではないが、晴れて名門ジムの末席に名を連ねることになったのである。
名門と書いた。当時の極東ジムにはフェザー級やライト級で日本王座や東洋王座を獲得した大川寛、日本ライト級王座を19度防衛して東洋チャンピオンにもなった秋山政司が在籍していた。東洋チャンピオンや日本チャンピオンが今よりもずっとステータスの高かった時代である。極東は紛れもなく名門だった。
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さあ、夢はチャンピオンへまっしぐら――と思いきや、山本青年のスタートはそれほど芳しいものではなかったという。
「昔は勤務時間が長いでしょう。レストランに勤めていたから練習に行けるのは月に3回。そうすると同じ時期に入った連中が僕よりどんどんうまくなっていく。スパーリングをしてもずいぶんやられました」
同期生に置き去りにされるのだからさぞ悔しかっただろう。ところがスエヒロから九段会館に職場を移すと事態は好転する。九段会館は1日おきに早番か遅番というシフト勤務で、早番は夕方5時には終わる。つまり早番の日は仕事が終わればジムに直行できるのだ。転職を機にジム通いは1日おきとなり、チョウさんのボクシング熱もグングン高まっていった。
海老原博幸の同じ日にプロテストを受験
自転車にはねられて1年のブランクを余儀なくされる不運に見舞われながら、20歳にときにようやくプロテストを受験することになった。まだ後楽園ホールはなく、ましてや東京ドームもなかった時代。テストは後楽園にあった卓球会館で行われた。チョウさんはテストを受けるにあたり小さなウソをついている。
「紙に生年月日を書くんだけど、周りを見たらみんな16歳とか17歳なんですよ。僕はなんだか恥ずかしくて20歳なのに17歳と書いたんです。まあ、身分証明書の提示とか何もない時代でしたからね」
現日本プロボクシング協会長でのちに世界王者となる花形進氏が年齢を1歳偽ってプロデビューしたのは有名な話だが、チョウさんがテストを受けたのは花形会長よりももう少し前。こうしたケースは珍しくなかったのかもしれない。
現在の後楽園ホール。今はプロテストもここで行われる。撮影=高須力
当時のプロテストに筆記試験はなく、テスト生はシャドーボクシングとサンドバッグ打ちとスパーリングの3種目で合否を決められた。チョウさんが今でも覚えているのは、スパーリングの順番を待っているとき、自分の前にのちの国民的スター、日本人で3人目の世界王者となる海老原博幸がいたことだ。
「驚いたのは海老原がリングに上がったとき、デビュー前なのにもうファンがいたんだよね。それで海老原は1ラウンドで相手をノックアウトしちゃった。僕が逆側に並んでいたら、海老原の相手になってノックアウトされたかもしれなかったね」
テストのスパーリングは体重が同じくらいの選手を適当に組み合わせて行う。海老原もチョウさんもフライ級だから“対戦”はあり得ない話ではなかった。
さあ、海老原の次はいよいよチョウさんの出番だ。会場にはのちに“カミソリパンチ”で一世を風靡する海老原の鮮やかなノックアウトの余韻が残っている。リングに上がると会場中の視線を感じた。緊張はいやが上にも高まった。チョウさんはゴングと同時に無我夢中でパンチを振り回した。
「先輩がリングサイドでイケイケとうるさくてね。緊張もしているし夢中でパンチを出しました。気がついたら相手がいなくなっていた。なんとノックダウンしていたんですよ」
既にファンがいた海老原が倒し、無名の山本も負けずに倒した。若き2人のボクサーが高き志を胸にスタートラインに立ったのである。
2021年3月公開