マイク・タイソンの試合を海外で13回実況
二宮 「Excite Match」の30年史のなかで、やっぱり強烈な印象を残しているのがマイク・タイソンだと思うのですが。
髙柳 ちょっと調べたらタイソンの試合を現地まで行ってしゃべっているのは13試合もあったね。
渋谷 現地で実況したなかで特に印象に残っている試合ってどれですか?
髙柳 刑務を終えて4年ぶりに復帰したピーター・マクニーリー戦(1995年8月)かな。ラスベガス・MGMでの試合だったけど、歓声がもの凄くてね。
渋谷 1ラウンドで決着した試合ですね。アッパーでダウンさせた後に、マクニーリーのセコンドが入ってきて、相手が失格になった試合。
髙柳 試合内容というよりも、インパクトがあったのは入場。切り裂いたバスタオルを首から突っ込んで着るいつものスタイルで入ってきて、もう観客も凄い雰囲気で、僕自身もゾクゾクッと電流が走った。何回か体が震える体験はあったけど、その一つですよ。
二宮 タイソンの耳噛み事件で知られるイベンダー・ホリフィールドとの第2戦(1997年6月)について、聞いてもいいですか?
髙柳 どうぞ。
二宮 クリンチが多くなった3ラウンドの終盤、ホリフィールドが飛び上がって痛がったじゃないですか。耳を噛んだ情報がどうやって入ってきたのか、そのときの状況を教えてもらいたいな、と。
髙柳 割と前のほうに我々の放送席があって、最初は何が起こったか分からなかった。
渋谷 そうですよね。
髙柳 映像を確認すると何かを吐き出しているなって分かって、我々の制作スタッフから「耳を噛んだらしいとメディアが騒いでいる」という情報が入って、僕もそのまま伝えた記憶があるね。
二宮 最初は右耳を噛んで、再開後に左耳を噛んでいましたよね。
パチリ! 収録風景①
渋谷 みなさん、ちょっといいですか。タイソン戦での髙柳さんに関する現地エピソードをちょっと入手してきたのですが。
髙柳 えっ、何かありましたっけ?
渋谷 試合とは直接関係ないのですが、イギリスのマンチェスターで行なわれたタイソンとジュリアス・フランシス戦(2000年1月)。
二宮 タイソンが2ラウンドTKO勝ちした試合ですね。
渋谷 何と宿泊していたホテルで火災があったとか。
髙柳 そうそう、ありましたね。フロントから電話が掛かってきたんだけど、あまりに早口で何言っているのか分からないし、寝ていたから一度切ったんだよね。そうしたら2回目の電話が掛かってきて「逃げろ」と。ブザーも鳴って大変だと思って、何も持たないで非常階段で下に降りようとしたんだよね。でも待てよ、と、アイツ大丈夫かなって。
二宮 火事を知らないスタッフがいるんじゃないか、と?
髙柳 そう。WOWOWのスタッフが隣の部屋にいたから気になって引き返したら案の定、部屋のなかにいて。火事だ、逃げるぞって。結局無事でした。
渋谷 仕事には影響がなくて良かったですね。
ニューヨークでは試合が直前にキャンセル
髙柳 そのマンチェスターの試合かな。番組冒頭に出すスタンドアップの映像を町で撮っていたら、目が座っちゃっている危ない感じの人が近づいてきたというのもあったね。
二宮 30年もやっているといろんなことが起こりますね。
髙柳 アメリカ・メンフィスでタイソンとレノックス・ルイスが戦ったときだったかな。会場のピラミッドアリーナの前でスタンドアップを撮っていたら、コットンの産地だから綿毛がタンポポみたいにフワフワ飛んでいて口に入ってくるのよ。あれは、気持ち悪かったなあ。
渋谷 わざわざ海外まで行ったのに、試合が中止になったケースもあったとか。
髙柳 ホリフィールドとヘンリー・アキンワンデの試合ですね。場所はニューヨークでした。
渋谷 1998年6月に予定されていたあの試合ですか。
髙柳 アキンワンデがどうもB型肝炎になっちゃって、キャンセルになったんだよね。でもせっかくニューヨークまで来たんだからって、スタンドアップだけやって「こういう事情で試合をお伝えできません。代わりの番組をどうぞご覧ください」みたいなことを喋ったと思うよ。仕事がなくなったから、ニューヨーク・ヤンキースの試合をヤンキースタジアムで観戦して。いい思い出にはなったね。
パチリ! 収録風景②
二宮 僕がびっくりしたのは、イギリスのスコットランドが舞台となったタイソンとルー・サバリースの試合(2000年6月)。この頃、スポーツ新聞社でボクシング担当になっていたからタカさんと面識を持つことができていたんですけど、タカさんが民族衣装を着けて出てきたからビックリして。
渋谷 スカート状のキルトね。
髙柳 いや、恥ずかしかったですよ。浜田(剛史)さんが着けるのを拒否したくせに、こっち見てずっと笑って、スタンドアップもNGばかり出して。あのときばかりはさすがにムッとしたなあ(笑)。
渋谷 やっぱり海外にはかなりの回数行ってますね。
髙柳 1999年に3カ月連続でラスベガスに行ったことがあって。9月にオスカー・デラホーヤとフェリックス・トリニダードの一戦、10月にタイソンとオーリン・ノリス、11月にホリフィールドとレノックス・ルイスの再戦。でもデラホーヤとトリニダードの試合って歴史的な一戦なのに、まったく記憶がない。
二宮 記憶がないというのは?
髙柳 いや、入院している父がもう危ないっていうときに後ろ髪を引かれる思いで日本を発って、それでも仕事だからと気持ちを切り替えたんだよね。試合が終わったあとに帝拳プロモーションの本田(明彦)さんや浜田さんから「大丈夫?」って声を掛けてもらったことを覚えてますよ。記憶がないというのは、親父のことが頭の大部分を締めていたんでしょうね。日本に帰国して翌々日に父は旅立ってしまったけど、僕のことを待っていてくれていたんだなって。
※収録風景写真はヴィステックエンタテインメント提供
2021年2月公開