マイク・タイソンも、オスカー・デラホーヤも、マニー・パッキャオも。
世界最高峰のボクシングに出会えるのがWOWOWのプロボクシング番組「Excite Match~世界プロボクシング」である。1991年の開局以来続く長寿番組であり、30周年の節目となる2021年は「タイソン特集」など魅力的な特別プログロムが組まれている。
ボクシングを取材する渋谷、二宮のSPOAL勢も「Excite Match」の長年のファンであり、私はパパパパ~パパパ、パパパ、パパパ、パパッパ~とつのだ☆ひろ氏の「Fighting Blood」がオープニングで流れるだけで無意識のうちに心でファイティングポーズを取ってしまうクチ。20年前には目覚ましの音楽に採用していたこともある。
髙柳謙一アナウンサー、評論家でマッチメーカーのジョー小泉氏、元WBC世界ジュニアウェルター級王者・浜田剛史の掛け合いが何よりも好きというコアファンも多いはず。正式に番組が始まった1991年からずっと実況を担当している髙柳さんを迎えて、30年間の思い出話や実況へのこだわりを聞くことにした。
ボクシング実況未経験で「Excite Match」のメインアナに
二宮 よろしくお願いいたします。いつもどおりタカさんと呼ばせていただき、進めていきたいと思います。
渋谷 じゃあ僕はこれまでどおり髙柳さんと。
髙柳 どうぞ、どうぞ、ご自由に(笑)。
渋谷 プロフィールを見るとWOWOW開局の1991年に入社されているんですよね(1997年4月からフリーに)。
髙柳 そうそう。ABC朝日放送を退職して1月1日付で。
二宮 スポーツでは野球の実況が多かったと伺ったことあります。
髙柳 野球だけじゃなく、サッカー、ラグビー、何でもやっていましたよ。まだサッカーもJリーグ前のJSL(日本サッカーリーグ)時代で、ヤンマーの実況をしていても「お客さん少ないな」と思っていた。そのあとにあんなにサッカーが盛り上がるとはね。
渋谷 ABCのときにボクシング実況はあったんですか?
髙柳 それがないんだよね。ただ新人のころに赤井英和さんの試合の中継の手伝いで大阪府立体育会館に行って、入場の際の先導役をやれって言われて。どうしてそんなことやらされるんだろうって思っていたら、凄い人気だからファンが押し寄せて花道がなくなっちゃうんだよね。
二宮 花道に柵なんか置いてない時代ですもんね。
渋谷 二宮は学生時代にスポーツ会場の警備員やっていたから、そのあたり詳しいんだっけ。
二宮 想像しただけで大変だなって思います(笑)。
髙柳 いや、本当に凄かった。赤井さんを触ろうとするから、僕もボコボコ体を叩かれちゃって。
渋谷 ボクシングにいいイメージがなかったのでは?
髙柳 そうね。あの試合以外でボクシングの現場に行ったことはなかった。昔、具志堅(用高)さんの試合をテレビで観たことはあっても、別にボクシングファンとかでもなかったからね。
二宮 ABCでキャリアを上げていたなかで、どうしてWOWOWに転職しようと?
髙柳 元々東京出身だから、そろそろ戻りたいなっていう気持ちもあった。併行してラジオ局への再就職も考えたんだけど、衛星放送で海外のスポーツもバンバンと放送できるってところに魅力を感じて。
渋谷 「Excite Match」は髙柳さんが入社する前の試験放送のときからやっていたんですよね?
髙柳 そうそう。だからWOWOWに入って少し経ってから、担当することになって。タイソンとアレックス・スチュワートの試合(1990年12月)などは別の方が実況しているんです。
渋谷 その年の2月に東京ドームでバスター・ダグラスに負けて再起2戦目の試合ですか。翌年になるとレイプ事件を起こして収監されてタイソン不在の期間が続きました。でも僕はそのころの「Excite Match」は見てないんですよね。
髙柳 2人はいつくらいから見始めたの?
二宮 はっきり覚えてはないですが、僕はスポーツ新聞社に入社して2年目の1996年くらいだったような。タイソンとイベンダー・ホリフィールドの試合(第1戦、ホリフィールドの11回TKO勝ち)を興奮しながら見ていた記憶があります。
渋谷 社会人にならないと、視聴料があるからWOWOWに手を出しにくいってあったよね。
二宮 今では見たいチャンネルにお金を払うのは普通になりましたけど、当時はやっぱり贅沢感があったからね。
渋谷 僕はボクシングを取材するようになってから。2000年くらいだったと思う。
「あるがままに」から「エキサイト」に変化
二宮 だから僕も最初のころの「Excite Match」はあまり知らなくて。1990年後半から見ている僕としては、ライブ中継する試合じゃなくてもリングサイドで見ている感じでジョーさんの情報と、浜田さんの解説、そしてタカさんの臨場感ある実況で楽しめるっていうイメージなんですけど。
髙柳 スタートはそうじゃなかったんだよね。最初は〝あるがままに〟とプロデューサーからも言われていて。たとえばタイトルマッチでも、あんまり面白くない試合であれば「なぜかみ合わないんだろうか」とか、そういう視点で浜田さんに解説してもらったり、ジョーさんに語ってもらったりしていた。僕としては選手目線で喋らないように、2人が喋りやすいようにというのは変わらないけどね。ただ、今振り返ってみると、初期のころは「俺、かったるい喋りをしているな」と思うよ。
渋谷 そこから変えていったわけですか?
髙柳 制作にプロダクションのヴィステックエンタテインメントさんが番組に入るようになって、ヴィステックの副社長さんに『「Excite Match」なんだからもっとエキサイトしてやりませんか』って言われたんですよ。そのとおりにテンションを上げてみようかなって。それから今のようなスタイルになってきたんだよね。
二宮 ライブだけじゃなく、収録して後づけの場合でも、ということですか。90年代後半ですよね。
髙柳 そうです。激しい試合はより激しく、たとえつまらない試合でも「なぜかみ合わないのか」の視点を忘れずに、それでも楽しくっていう方向が定まった。
渋谷 なるほど、スタジオもエキサイト。
二宮 僕はちょうどその移行期にはまっていった感じになるのか。
2021年2月公開