日本躍進のハンドボール世界選手権
信太弘樹の姿はそこになかった…
エジプトで開催されたハンドボールの世界選手権で男子日本代表“彗星ジャパン”が1次リーグを突破した。日本は2021年1月13日、2020年ヨーロッパ選手権2位の強豪、クロアチアと29-29で引き分ける“歴史的ドロー”で予選リーグのスタートを切ると、第2戦はアジア王者のカタールに29-31で惜しくも敗れる。
そして2次リーグ進出をかけてアフリカ代表のアンゴラを迎え、大接戦の末に30-29という劇的勝利を飾り、2次リーグ進出を決めたのである(最終的には6試合して2勝3敗1分。32チーム中19位)。
ハンドボール日本代表 24年ぶり2次リーグ進出!
彗星ジャパンの快挙に新聞にも景気のいい見出しが踊った。日本代表が世界選手権で2次リーグに進出するのは1997年の熊本大会以来、実に24年ぶりのこと。東京オリンピックを控える代表メンバーの熱い思いが形となり、自国開催のオリンピックに向け確かな一歩を刻んだのだった。
本稿の主人公、ジークスター東京の信太弘樹(31)は遙かアフリカ大陸での試合を自宅で静かに見守った。インターネットでライブ配信される映像を前に、自分が出場した場合にどうプレーするかを考えたり、チームの戦術の意図を理解したりしながら、ジャパンの戦いぶりに熱い視線を注いでいた。
「僕も行きたい気持ちはめちゃめちゃあったんですけどね」
日本にいる信太に話を聞いてみると、そんな答えが返ってきた。信太は日本体育大学2年生のときに代表に初めて選出され、ほどなくして代表チームに定着した。以来、日本代表の中心選手として活躍してきたものの、今回の世界選手権のメンバーが昨年発表されたとき、そこに彼の名前はなかった。
ところがその後、追加招集という形で突然声がかかる。2021年に開催予定の東京オリンピックを「ハンドボール人生の集大成」と位置づける信太にとっては存在感をあらためてアピールする絶好のチャンスと言えた。
しかし、信太が追加招集に応じることはなかった。
「追加招集ということは、途中から入っていくわけですからチームの雰囲気を変えるとか、チームの士気を上げるような役割を期待されていると思うんです。ところが僕はけがをしていて100パーセントのパフォーマンスができない状態でした」
多少無理をすればプレーはできる。ただし、シーズンを通してけがを引きずっており100パーセントのプレーはできない。このような状態で自分が加入することがチームにとってプラスになるのか。「めちゃめちゃ行きたかった」が本心ではあったとはいえ、一時の感情に惑わされず、状況を冷静にわきまえて、今回のエジプト行きは断念した。
スポーツ選手が日々苦しい練習に励んでいるのは勝利するためであり、より大きな舞台に立つためだ。世界選手権に出場できなかったことはさぞ無念だったと想像できる。ましてや信太がキャプテンとして参加した前回、2018年の世界選手権は7戦全敗の最下位に終わっているのだ。
自分は雪辱の機会を逃し、後輩たちは檜舞台で活躍している。元日本代表のキャプテンはさぞ複雑な思いだったのではないだろうか…。
エジプトの日本代表選手にラインでアドバイス
そんな胸中を想像してみたのだが、次のような話を聞くとイメージは少し違ってくる。信太はたとえ現場にいなくても、日本代表の一員であるように思えてくるからだ。
「エジプトにいる代表選手たちからけっこうラインをもらいましたね。試合が終わったあとに『今日の試合、どうでしたか?』みたいな。僕なりにアドバイスというか、気がついたことを書いて送っていました」
信太にとって代表メンバーの多くは長い間ともに戦ってきた仲間であり、同じ釜の飯を食べてきた盟友でもある。頼まれればアドバイスをするくらいむしろ望むところだ。チームから距離を置いているだけに、試合をしているメンバーは見落としているような冷静な気づきもきっとあるだろう。
中でも一番連絡を取り合ったのは東江雄斗(大同特殊鋼)だった。代表では信太と同じセンターバックというポジションを務める日本代表の司令塔である。信太さんはどう見たのか、信太さんならあの場面でどう判断するのか―。東江は何度もラインを入れ、信太も自分の思うところを率直にラインで返した。
信太の日本代表にかける思いは強い。
実は今回の世界選手権を最終的に辞退したのは、オリンピック本番に向けて開かれる最終的な代表合宿を見据えた、という理由もあった。日本リーグが終了する3月中旬以降、わずかなブレイク期間をはさんで日本代表選手が招集され、オリンピックが始まるまで合宿を重ねてチームを強化していく。その中でダグル・シグルドソン監督が選手のコンディションと適性を見極め、最終的に代表選手を決定する。
世界選手権でのプレー内容は代表選手選びの大きなポイントになるのは間違いない。ただしそれですべてが決まるわけでもない。信太はこのタイミングで無理をするのではなく、勝負となる最後の代表合宿に向け万全のコンディションを整えたほうがいい、と判断したのである。
あこがれのオリンピック―。
小学生でハンドボールを始めた信太は常に各カテゴリーの日本代表に選ばれ、トップ選手として国内のハンドボールを牽引してきた。そんなエリートにとってもオリンピックはなかなか手の届かない檜舞台だった。
2021年1月公開