マネージャーは試合のマッチメークを請け負うのも重要な仕事の一つ。最終的には花形進会長に決定を仰ぐことになるが、任せてくれることも少なくなかった。
基本的には「受けのマッチメーク」が中心になる。プロボクシング興行の「DANGAN」や他ジム主催の興行においてカードの打診を受けることが多いからだ。
南健司マネージャーの頭のなかには花形ジムのボクサーの情報がインプットされてある。相手のキャリアやタイプなども踏まえて、花形やトレーナー、ボクサー本人とも協議のうえで受諾するかどうかを決める。難しいのはデビュー戦やキャリアの少ないボクサー同士のマッチメークだという。
「やはり相手の情報が限られますからね。打診を受けて試合を組んだら実力差がかなりあった事例があって、そのときに花形会長から『これ(マッチメーク)はダメだな』と指摘されたこともあります。でも今の時代、インターネットで情報量は増えたし、デビューしていたら試合の映像もある。〝全部やります〟というスタンスじゃなく、より立ち止まって吟味するようになっています。ボクサーの命にかかわることですから」
大学時代に予想記事を書いたり、ジムに戻ってからは「花形月報」を出したりした経験もあって元々リサーチはお手のもの。人脈も広がっているため、いろんな情報も集まってくる。受けのマッチメークばかりではなく、花形冴美のようにカードの実現に自ら動くこともある。
マッチメークの醍醐味とは何か?
そう尋ねると南はすぐに言葉を返してきた。
「それはもう格上の相手に勝ったときですね。これはいけるかもと思って(打診を)受けて、実際に日本ランカーにノーランカー(ランク外)のウチの選手が勝ったことももちろんあります。みんな勝ってくれるのが一番ですけど、そういうときはちょっと喜びも大きくなるというところはありますね」
試合会場でのメディアや関係者とのコミュニケーションも大切にしている
花形ジム主催の興行も以前は年1、2度のペースで行なっていた。今は興行会社が手掛ける「DANGAN」が定着しているため、無理して自分たちで興行を開催しなくてもよくなった。これも時代の流れだと言っていい。
自前で興行をやるとなると当然ながらマネージャーの仕事は増える。
メーンカードを含めて主体的にマッチメークし、会場を押さえて、チケットやポスター、パンフレットなどの作成や、チケット価格の設定、配分、それに出場選手のファイトマネーも準備しなければならない。スポンサーの広告の設定や、会場の演出、控え室の割り振りなどすべての業務に絡む必要がある。
現時点で最後の花形ジム主催興行となっているのが2015年12月27日、新宿FACEで開催された「花形プレゼンツin 新宿」。「DANGAN」とのダブル主催という形で実現している。日本バンタム級5位(当時)齊藤裕太、前東洋太平洋ミニフライ級王者(当時)花形冴美らのカードが組まれ、興行は無事、成功に終わった。
「花形ジムで興行をやるとなると大変でしたね。出る選手を決めて、開催日を決めて、それで会場を押さえるんですけど、埋まっているケースもよくありますから。特に土、日曜日となると難しい。このときはちょっと日程も迫っていて日曜日の試合だったので大丈夫かなと心配していたんですけど、空いていて助かりました」
花形冴美の横断幕を会場の目立つところに取り付ける南マネージャー
1998年にマネージャーライセンスを取得してもう20年以上になる。
マッチメークも興行の準備も、所属ボクサーやスタッフの管理、収入確保から知名度アップの広報的な活動もすべてに目を配っていかなければならない、それがボクシングジムのマネージャーのお仕事。その経験値を買われ、2013年には日本ライトフライ級、フライ級の2階級制覇を果たした黒田雅之の世界初挑戦の際に、川崎新田ジムに〝助っ人マネージャー〟として期間限定で招聘されている。
マネージャーとして活躍できているのは、それもこれも「花形会長のおかげ」だという。高校1年生のときに、花形のパンチパーマ&サングラス姿にびびって花形ジムの門を叩いていなかったら今の姿はないのかもしれない。花形の人柄に惚れ、この人に付いていきたいと思ってきたからこそ頑張ることができた。
「会長って何があっても動じないんですよ。星野(敬太郎)が世界戦に臨むときも、会長は普段の試合のときと雰囲気が何ら変わらない。だから陣営の雰囲気も当然そうなりますよね。会長が普段と一緒だから落ち着くことができる。現役のときにいっぱい試合をして世界タイトルマッチも8回やっている方ですから、そうなるんでしょうね」
世界タイトルマッチには大体「予備カード」というものがある。これはテレビの中継が入る場合、対象試合に合わせて時間調整が必要になるからだ。調整用で設定されるため、その日のどのタイミングで行なうかはマチマチ。メーンまでに行なわれなかったら、そのメーンの「後座」としてやることになる。4回戦の試合が組まれることが多い。
星野は2002年1月、ガンボア小泉(フィリピン)とのWBA世界ミニマム級王座決定戦に勝って世界チャンピオンに返り咲いた。花形はメーンイベント後の「後座」に出場する花形ジムのボクサーのセコンドにも付いていた。普通なら誰かに任せてもいいところを、花形はそれをしなかった。
「星野が勝った後も自分のジムのボクサーが試合をするからって、セコンドに付いていました。本当に何があっても動じないし、普段と変わらない。凄いなって思います」
ジム生一人ひとりへの愛情と情熱。
これは花形の背中から学んできたことだ。
「マネージャーだって結局、選手に育ててもらっているところが大きいんです。星野や花形冴美もそうですけど、選手があってマネージャーが活きると思っていますから。だからやっぱり選手のことを一番に考えないといけないと思っています。会長は1月21日で74歳になります。いつまでも元気でいてほしいし、このジムを引っ張っていってもらいたい。会長あっての花形ジムですからね」
コロナ禍の現在、本業との兼ね合いもあってジムに行く機会はめっきりと減ってしまった。電話で花形会長や元日本チャンピオンの木村章司トレーナーと連絡を取り合いながら、マネージャー業を行なっている。
2021年3月18日にIBF女子世界アトム級王者・花形冴美の2度目の防衛戦が予定されており、彼女はこの試合を最後に引退すると表明している。
世界タイトルマッチとなれば、マネージャーとしてやらなければならない仕事も増えてくる。南健司の多忙な日々がまた始まろうとしている。
記事中の3枚の写真及びタイトル写真は花形ジム提供
終わり
2021年1月公開