スポーツのない風景--。
「ある」のが当然なのに、新型コロナウイルスの感染拡大によって風景は一変しました。Jリーグもプロ野球もトップリーグも動かない。日本のみならず、ヨーロッパも、アメリカも世界のスポーツが止まってしまいました。
試合を見ることも、そのあとに何だかんだと語れることもできなくなった経験はもちろん初めてです。何だか心にぽっかりと穴があいたような感じになりました。ステイホームのなか、スポーツを感じたい一心でテレビに流れるいろんなスポーツの過去の名勝負をむさぼるように見ていました。
緊急事態宣言も終わり、社会もステイホームからウィズコロナに入っていきます。スポーツも動くことになり、J1も7月4日に再開することになりました。
何だかホッとしたことを覚えています。無観客開催であろうとも、スポーツのある風景が戻ってくることに喜びを感じました。ただJ1なら全34節、本当にすべての試合を消化してシーズンを終えられるかどうか、誰も分かりません。チームでクラスターが起こったり、感染が広がったりしたら再び止まってしまう可能性がないとも言い切れませんから。その意味においてJ1からJ3まで、そしてプロ野球にもおいても予定していた試合がすべて消化できたことはとても感慨深く思います。選手、スタッフ、関係者はじめ関わってきた人の努力があったからこそだと思います。
感染対策の意識をしっかり持たなければならないのは報道するスポーツメディアも同じです。
J1が再開した7月4日、私は大阪に向かいました。ガンバ大阪とセレッソ大阪の大阪ダービーを取材するためです。東京の感染状況からすれば移動しての取材は控えたほうがいいのかもと考えましたが、定期的に取材している遠藤保仁選手(現在はジュビロ磐田にレンタル移籍)がJ1最多となる632試合出場を果たすメモリアルゲームとあっては絶対にスタジアムで見て、記事にしたいという強い思いがありました。
感染対策をしっかりしてなるべく人と接触しないようにしなければなりません。18時キックオフということもあり、宿泊の手配も必要になります。
まずは飛行機での移動を決めました。というのも伊丹空港内にホテルにしようと考えたからです。当日、午後の便で大阪に向かいましたが、やはり空港内も飛行機内もかなり空いていました。到着したらまずホテルにチェックインして、まだ16時過ぎでしたけど弁当を買って早い夕食を取りました。
従来ならちょっと早め、試合開始の1時間半前には大体、会場に入ります。メディアルームでクラブの人やメディアの人といろいろと話をしたりするためです。多少なりとも少し情報を入れてから試合を見るようにしています。これは新聞記者時代からの慣習となっていて、試合直前に到着すると何だか落ち着かないんです。
しかしコロナ禍の取材は、なるべくスタジアムにはギリギリ到着したほうが望ましく、感染対策の観点からメディアルームも用意されません。従来なら夕食もスタジアムグルメを楽しんだりしますが、それもできません。
このときは試合開始の20分前に到着しました。2週間分の体調管理シートを提示して体調に問題ないことを証明してから検温し、問題がなければ消毒を済ませてスタジアム内の記者席へと向かいます。記者席も普段ならびっしりと埋まっていますが、ここもソーシャルディスタンスが保たれています。席は指定され、前後左右には人がいないようになっています。
大阪は雨が降っていたようですが、空は明るくなっていました。大型ビジョンには吉村洋文大阪府知事の挨拶が流れていました。
サポーターの声はありません。聞こえるのは選手たちの声だけです。違和感はありましたが、試合開始のホイッスルが鳴ったときに「ああ、スポーツが戻ってきたんだな」と実感しました。
記者席に座る際、知り合いの記者を見つけて軽く挨拶したくらいで、試合中もハーフタイムもそして試合後も声を発することはほとんどありませんでした。会見もリモートになるので、記者席を動くこともありません。会見が終わるとすぐにスタジアムを出ました。
無観客なのでスタジアム周りも電車のなかもほとんど人がいませんでした。ただこれだと大阪に来た気分もしないので、コンビニでたこ焼きとビールを買い込んでホテルの部屋に戻って食べました。
私にとってスポーツ取材を再開した「特別な日」になりました。
あのときのたこ焼きとビールの味は忘れません。
Jリーグも無事、今季の日程を終えました。取材スタイルは変わりましたが、Jリーグが、スポーツが動いている日常の有難みをあらためた感じることができた1年でした。
2020年12月公開