福田直樹が30代半ばでカメラマンを目指して渡米
――福田さんは30代半ばの2001年にボクシングのカメラマンを目指してアメリカに旅立ちます。そのとき福田さんはカメラマンでもなく、海外にも住んだ経験もありませんでした。香川さんは親友の行動をどのようなお気持ちで見守っていましたか?
香川 彼の多趣味さみたいなのはずっと知っていたんですよ。家の中にカヌーがあったり、小学校のときからゴルフをやってシングルくらいの腕前だったし、サッカー部にも入っていたし。中学生のころイエローマジックオーケストラがはやったとき、ローランドのシンセサイザーを買ったりとか。わんちゃんも飼ってたね。そのうち1日で百匹くらい金魚を食べる熱帯魚を飼い出したりとか。もうワニだか魚だか分からないような魚で金魚をバクバク食べるんですよ(笑)
福田 あった、あった。
香川 その中のひとつにカメラがあったと思うんですけど、プロではないのでそこは不安でしたよ。あとは英語ですね。もともと口数少ないタイプだから、英語の前に日本語が危ないというくらいですから(笑)。でも決意が固いのは分かっていたし、まだ30代半ばでしたし。我々はノストラダムスの大予言で1999年に世界が滅ぶ、オレら34歳までしか生きられない、という共通認識もあったし。
――ありましたね、ノストラダムスの大予言。
香川 それが2000年になって地球もどうやらあるようだし、止められないし、行くしかないなという。この人が決意したからよっぽどだと思ったんです。分かったとしかいいようのない決断だと思いましたね。
――両手を挙げて行ってこいというよりは、行くしかないなら行ってこいと。
香川 実際に最初の数年はすごく苦労したと聞いてました。根性って派手な根性と地味な根性があると思うんですけど、福田は地味な根性の持ち主だと思うんです。そういのがないと耐えられなかったと思うんですよ。
福田 あのころは嫌なことがあると香川にしか聞いてもらえないんで、香川だけにいつも長文のメールを送ってました。それを彼は全部聞いてくれて、思った通りのことを言ってくれたし、ためになることも言ってもらいましたね。それが相当助かりましたね。
香川 東洋人というハンディがあって、なおかつ言葉で対抗できない性格だし、きっとひどい目にあったと思うんですよ。そこから16年かけて写真でアメリカ人を一発KOしてきたわけですよ。本当にすごいことです。福田は天職を勘で見分けたんじゃないですかね。
提供=福田直樹氏
福田 全米ボクシング記者協会のアワード受賞のニュースを聞いたとき神戸にいたんですけど、香川に知らせたら「授賞式に着るスーツを作ってやるから東京に来い」と。すぐにアメリカに帰らなくちゃいけなかったので実現しなかったけどうれしかったですね。
香川 福田の写真ってオリジナリティーがすごくあって、これは福田の作品だと分かるわけですよ。鮮度が高いし、匂い立つものがあるし、生っぽいし。それでいながら黒みが強いというか、ビビッドっていうのかな。
福田 僕の中で香川がOKを出すものは間違いないというのがあって、よく「香川がこれを見たらどう思うだろう」と考えながら写真の整理をしていました。写真の合格と不合格ってほんとに紙一重で、金庫のカギを合わせてカチッとあくみたいなときがあるんです。そのギリギリを見極められるのも香川と一緒にボクシングを見てきた経験が生きていると思いますね。
本当にどうなっているかをとことん追求する
香川 福田もそうだと思うんだけど、本当がどうなっているかを知らないと気が済まない体質なんですよ。だからビデオで繰り返し見る。どのパンチがフェイントになっていたのか、肩のどんな動きがフェイントになっていたのかとかを知りたい。子どものころにテレビを見ていて、例えばパンチで切っている(出血する)のに解説の人が「これはバッティングですね」とか言うのが本当に嫌だったんですよ。
福田 どのパンチが効いたかも大事だよね。
香川 そう。たとえば井上尚弥くんとロドリゲスの試合も、2度目のダウンにつなげたパンチは左ボディなんですよ。その次に右ボディがかすめてダウンになるんですけど。その前の左が時間差で効いていて、僕の見立てでは右ボディはすでに効いたあとのパンチなんですね。
――2019年5月、イギリスのグラスゴーで行われた井上とエマヌエル・ロドリゲスのWBSS準決勝ですね。確かにあのシーン、倒れる直前のパンチは右ボディでした。
香川 あそこでアナウンサーが「右ボディ、ダウン!」というのは分かるんですけど、僕だったら「その前の左ボディが致命傷になってますね」と言っただろうと思うんですけどね。
福田 香川は絶対にあきらめないんですよ。話は違いますけどロサリオvs.チャベス(第5回参照)のときに、HBOの映像があったじゃない。会場の俯瞰映像から入って音楽が流れるという。その音楽も含めて我々にとってはロサリオvs.チャベスの楽しい記憶なんですけど、その曲の名前が最初は分からなかったんです。
香川 ああ、そうだった。
福田 そしたらたまたま2人で見ていたテレビ東京のバラエティー番組でその曲が流れた。「あの曲だ!」と思って、香川が一視聴者としてテレ東に電話で問い合わせて、何十分も待って映画『オーバーザトップ』の中の曲だと分かった。
香川 シルベスター・スタローンが主演のアームレスリングの映画だ。
福田 香川はそういう追求する姿勢がすごいんですよ。いま思うと『オーバーザトップ』でアームレスリングの決勝をやる舞台がラスベガス・ヒルトンで、あの試合もラスベガス・ヒルトンだったからそれにこだわった選曲だったのかなと。曲が分かって今度はHBOがすごいなと思いましたね。
香川 HBOといえばマイク・タイソンが来日した89年、トニー・タッブスとの試合の放送もかっこよかったね。音楽はすべて喜多郎さんだった。
福田 そうだった、そうだった。
香川 日本庭園を歩いているタイソンとか。それに喜多郎さんの神秘的なシンセサイザーが流れて“タイソン・イン・ジャパン”みたいな。当時のHBOという番組のキラキラ感は一つあこがれでしたからね。
――お2人のお話を伺っているとリング外の記憶も盛りだくさんで驚かされます。
香川 そう言われて思い出したのが、ラファエル・リモン(第1回参照)がクリンチ際にトランクスを脱がされちゃって、ノーファールカップいっちょになったことがあって、次の試合からリングに入ってくるときに必ずサスペンダーをつけるようになったとかね。
福田 あった、あった。
香川 「今回は脱がされないぞ」というね。あれは粋だったな。
福田 リモンってそんなことやりそうなタイプじゃないんだけどね。
第7回に続く
2020年12月公開