「いいよ、その感じで打ってみな。そうそう、そうだよ」
ボクサーがサンドバックを打っているのを見守っていた花形進会長がそっとアドバイスを送る。身振り手振りで熱心に伝えて、そのとおりにできるようになるとうれしそうにほほ笑む。73歳の元世界チャンプはいつもこのジムにいる全員に目を配っている。
1985年に花形ボクシングジムがオープンして35年が経った。北澤鈴春、岡田明広ら多くの日本チャンピオンを輩出し、2000年12月には星野敬太郎がWBA世界ミニマム級王座を奪取して、日本では史上初となる師弟チャンピオン誕生となっている。現役チャンピオンにはIBF女子世界アトム級王者の花形冴美、日本女子フェザー級王者の若狭与志枝がいる(2020年12月時点)。ちなみに「花形」のリングネームは、尊敬する花形会長から授かったものだ。
1976年に現役引退してからジムの開設まで時間を要した。
いや当初は「いずれ自分でジムをやってみたい」という思いはあっても現実的ではなかった。現役時代はボクシングだけに明け暮れ、ファイトマネーは家族を養っていく生活費に充てるだけで精いっぱい。子供もいるのだから、まずは家族を食べさせていかなければならなかった。
テレビのボクシング解説をこなしながら、まずは焼き鳥の居酒屋で働くことになった。ジムの後援者が経営している縁もあって、厨房に入って鶏肉を炭火で焼く担当を任された。
「80人くらいお客さんが入れる大きな焼き鳥屋さんでね。仕込みをやったり、焼いたり……いずれジムを開くことを考えておるならお客さんと接して顔を売っといたほうがいいだろうって社長に言われて注文を取るホール係もやることにもなって、毎日が大変だったよ」
4年ほど働いた後、お客さんだったスナックのママにスカウトされる。妻も朝から仕事に出ていくため、息子を「カギっ子(学校から帰ってきたときに親が仕事でいない)にさせたくない」との思いもあって、夜から働けるスナックを選んだ。
「お酒をつくってお客さんにボクシングの話をするだけで喜んでくれた。焼き鳥もそうだけど、お客さんにどうやって接すればいいかは勉強になったね」
嫌でも「元世界チャンピオン」の肩書きが付いて回るのだから、社会人としてしっかりしていかなければならない。
誰か自分のことを知っている人に会ったら、必ず自分から頭を下げるようにした。というのも以前、声を掛けられて気づかなかったら「いつもお前の試合の切符を買っていたのに知らんぷりされた」と言われたことがあったからだ。誰と会っても自分の知り合いと思い、ニッコリと笑ってあいさつすることを心掛けた。
ボクシング解説で名古屋に行ったときのこと。
仕事を終えて会場を出ようとした際に、こっちを向いて笑顔で挨拶してきた人がいた。どこか見たことがあるようで、ないようで……。もちろん花形もスマイルを忘れない。
話を聞くと同じジムで一緒に練習していたボクサー仲間だった。気さくな人柄の花形はボクサー時代からみんなに慕われていた。そのボクサー仲間は立派なスーツを身につけていて、仕事で成功しているようだった。
聞けば仕事で横浜に来ることもよくあるという。営業のつもりでスナックの名刺を渡しておいたら、本当に来てくれた。
昔話として練習が終わって、花形が牛乳をおごったことが2度ほどあったという。
「俺はまったく覚えていないんだけどね。ジムの傍に売店があったから、そこで何人かで牛乳飲んでね。誰にいくらおごったなんか覚えてないよ」
そのボクサー仲間は忘れられない大切な思い出にしてくれていた。スナックで「お金がたまったらジムを開こうと思っている」と夢を語ったら、その昔の仲間はすぐにこう返した。「じゃあやりましょうか」
ん!? 一瞬、耳を疑った。
そのボクサー仲間は会社の経営者になっていた。いずれにせよ会社の社員寮をつくるので、その1階をボクシングジムにすると言ってくれた。お酒の席だと思って話半分に聞いていたら、本当になった。
これ、夢じゃないの? 3階建てのビルに1階の広いスペース。正規と同じ規格のリングが中央にあり、大小のサンドバックもそろっている。会長室もある。
支援者となってくれたボクサー仲間はこう言ったという。
「おごってもらった牛乳のお返しです」
もしあのときプイと知らんぷりしていたら、花形ボクシングジムはなかったかもしれない。花形は言葉を続ける。
「だからあいさつする、頭を下げるって大切なんだよ。牛乳がジムになっちゃんだから(笑)。本当に感謝の言葉しかないよ。今も彼はときどき顔を出してくれるけど、ボクシング仲間っていうのは本当にありがたいよ」
栄光というものはすぐにつかめるものじゃない。
それは誰よりも花形自身が分かっている。16歳でプロボクサーになって、最初は勝ったり負けたりで、何とか日本チャンピオンになって世界タイトルに挑戦してもなかなか頂点には立てなかった。それでも腐らずやってきたからこそ62試合目で世界チャンピオンになったのだ。
ジムの経営も同じ、指導も同じ。
弟子の星野敬太郎が世界チャンピオンになったのはジム開設から15年が経ってから。花形が53歳のときだ。何にしても根気強く、長く続けるのが大事だと花形は言葉に力をこめる。
「ボクサーっていうのは、誰がチャンピオンになるかなんて分からない。ずっと続けてやってりゃ、何とか成績が出ていりゃ、可能性はゼロじゃないんだよ。でもね、途中でやめちゃったらどうなる?ゼロでしょ。
人生、いいときばかりじゃないよ。悪いときでも我慢してやる。ずっと続けていりゃ、いいことだってあるんだから」
ジム生には「我慢が大切だぞ」と教えている。ただ、自分を追い込みすぎてはいけない。一生懸命に真面目にやりつつ、心にどこか余裕を持たなくてはいけない。そうしないとボクシングが嫌になってしまうから。ボクシングを好きでいることが最も大切なこと。彼を見ていれば心からそう思うことができる。
花形は昨年72歳にして東日本ボクシング協会会長、日本プロボクシング協会会長に就任した。頼まれたらなかなか嫌とは言えない花形会長らしい。
続けていりゃ、いいことだってある。
一人でも二人でも、ここからまた世界チャンピオンが生まれることを信じて。
ジムの窓から見える夕焼けが美しい。
学校や仕事終わりでジム生が次々にドアを開けて入ってくる。
「おいよ、こんちは!」
挨拶のお返しも元気がいい。
花形ボクシングジムは本日も、アットホームで活気に満ちあふれている。
1勝7敗の名チャンプ 終
2020年12月公開