ジークスター東京の横地康介監督は41歳。現役時代はHONDA、大崎電気、トヨタ車体でプレーした。これらのすべてのチームで日本一を経験し、日本代表選手としても活躍するという華々しいキャリアの持ち主だ。そんなハンドボール界の実力者はなぜジークスター東京の監督になったのだろうか―。
横地は「ここしかない」という気持ちで監督になった
選手としてすべてのチームで日本一を経験した監督
――現役を引退されてから監督になるまでは何をなさっていましたか?
横地 普通に働いていました。現役を引退してからは知り合いの会社に入って営業職を1年半くらいやっていました。そのときですね、東京に新しくチームができるという話を耳にしたのは。話を聞いてみると監督もまだ決まっていない状態だというので「私にやらせてください」と。で、会社を辞めました。
――魅力的な話だったかもしれませんが、かなり思い切った決断だとも思います。
横地 そうですね。コーチや監督をやりたいという気持ちは昔から持っていたんです。ところがHONDAはもう日本リーグのチームではありませんし、大崎電気、トヨタ車体になると私は移籍選手なんで、なかなかスタッフとして入るのは難しい。やっぱり生え抜きの社員を普通は監督にしますよね。そうなると日本リーグのチームで監督になるには、ここしかチャンスがないと思いました。
――お気持ちは分かりますが、当時のジークスター東京(東京トライスター)は大きなスポンサーもついてなくて、まだ海のものとも山のものともつかないチームだったと聞いているのですが…。
横地 その通りです。最初はもうブレブレのフワフワの沈没船みたいでした(笑)。でも、それでもやってみる価値はあると思ったんです。おもしろそうだと思った。私自身は日本リーグのチームにいたことはあるけど、これから日本リーグを目指そうというチームは初めてです。日本リーグを目指すってどういうことなんだろう。逆にやってみたいと思ったんです。
――実際にチームに関わってみていかがでしたか?
横地 正直に言うと最初はチームの運営もまったく機能していない状態で、日本リーグなんて本当に夢物語という感じでしたね。まずは練習場所がなかった。大学の体育館で学生たちと一緒に練習させてもらったり、借りた体育館も半面しか使えなかったり…。
――かなり苦労されたようですね。
横地 チームができて早い時期に国体や日本選手権の東京都予選に出ましたけど、いま振り返るとよくあれで予選を突破できたと思います。でも、大変だったけど楽しかったんですよ。選手と一緒に電車に乗って練習に出かけて、終わってまた電車で帰ってきてみんなでご飯食べたりとか。
――なにか中学生とか高校生の部活動みたいな感じですね。
横地 本当にそんな感じでした。いまはまったく変わりましたね。
チームを引っ張る信太弘樹。日本代表でも活躍する
――そうした状態から日本リーグ参戦が決まり、日本代表の東長浜秀希、信太弘樹、甲斐昭人の3選手がプロ契約で加入しました。彼らは横地監督が口説いたのか、それとも本人の強い意志で新チームに?
横地 まあ半々というところだと思いますが、大きな決断をしてくれたと思います。ただ最初は来てくれるにしてもオリンピックが終わってからだと思っていたんです。そうしたらオリンピックが延期になってしまって。
――確かにオリンピック出場、日本代表での活動を考えると強豪チームにいたほうがいいような気がしますね。
横地 代表活動を考えればそうでしょう。うちに移籍すると周りの選手のレベルも落ちますから、質の高いプレーを追い求めることが難しくなります。それでも移籍したい、新しい環境で何かを得たいという気持ちが彼らの中にあったということでしょう。これだけ負けるという経験を彼らはしたことがないでしょうから、そういうこともプラスに変えてほしいと思っています。
ハンドボール界に新しい風を吹き込む
――さて、ジークスター東京は強くなるだけでなく、17年ぶりに東京を本拠地とする新しいクラブチームとしてハンドボール界に新しい風を吹き込む期待もあると思います。
横地 私自身、ハンドボールの価値を高めたいという思いは強いですね。いくらこのチームが強くなっても日本ハンドボールリーグの価値が高まらないと、ハンドボールが日本で認知されないと思うんです。そのきっかけとしてこのチームが新しいことをやっていく意味がある。東京だからできることもあると思います。注目されるようになり、なおかつ強くて、利益を生み出す。それをまずこのチームがやらないといけない。そう思ってます。
「日本でハンドボールが認められるようになりたい」と横地
――日本においてハンドボールは残念ながらメジャースポーツとは言いがたい状況です。横地監督の中でそのあたりの悔しさみたいなものはありますか?
横地 それは現役のときからめちゃくちゃありましたよ。全然知らない人たちに「自分はハンドボールをやってる」って胸を張って言えなかったんですよ、僕は。
――日本代表選手でもあったのに!?
横地 そうです。友だちに「彼はアスリートなんだ」と紹介されます。絶対に「何のスポーツですか?」と聞かれますよね。サッカーや野球なら「プロ野球です」、「Jリーガーです」と胸を張って言えるでしょう。ところが「ハンドボールです」、「大崎電気です」と言っても、フワーッとした微妙な反応になるわけですよ。そこがすごい悔しかったですね。別に「すごい」と言われたいわけじゃないですけど、選手たちが「ハンドボールをやってます」と胸を張って言えるようになってほしいという思いは強くありますね。
――う~ん、それが現実ですか…。
横地 「昔、ハンドボールをやってました」って人はけっこういるんですけど、みんなあまり表に出さないんです。僕らみたいにやっている人に会うと「実は私もやってたんです」という人がほとんどですね。そういう文化を変えていきたい。フットサルみたいに気軽にできるようにもしていきたいです。
――試合を観戦するとハンドボールって面白いんですけどね。スピード感があって、迫力があって、アクロバティックなところもあるし、得点もよく入るし、スリルも味わえますし。
横地 みんな見ると楽しいと言ってくれます。だからポテンシャルはあると思うんです。そうなると見てもらう機会を増やすことが重要ですよね。そこに東京のチームという価値もあると思うんです。
――確かにハンドボールリーグの試合は地方が多く、なかなか取材にいけないと嘆いていたハンドボール好きの記者がいました。
横地 球技のトップリーグで東京にチームがなかったのはハンドボールだけなんですよ。だからこそこのチームががんばらなくちゃいけないと思っています。盛り上げたいですね。
2020年11月公開