昼は探偵、夜はレフェリー 2つの顔を持つ男
探偵はBARではなく、RINGにいた。
いや、お酒は大好きだからBARにいることも少なからずあるのだが(本当は主に居酒屋)、やはりRINGのほうがこの人にはお似合いだ。中村勝彦は国内のプロボクシングを統括する日本ボクシングコミッション(JBC)の公式審判員であり、探偵としての横顔も持っている。
「えっ、探偵? めっちゃかっこいいじゃないですか!」
SPOAL高須力カメラマンの素直にしてあからさまな驚きに、中村は「いやいや、そんなかっこいいものじゃありません。本当に地味な仕事なんです」と苦笑いを浮かべた。
探偵というとどうしても仰々しいイメージになってしまうが、中村が自ら代表取締役を務める東京エス・アール・シーは調査会社と呼んだほうがしっくりくる。では調査会社とは何をする会社なのだろうか?
たとえばA社がこれまで付き合いのないB社と取引を始めようとする。世の中に名の知れた会社であれば「怪しい」という可能性は極めて低いだろう。でも、まったく知られていないような会社であればそうはいかない。財務状況はどうなのか、何か後ろめたいことはないのだろうか。いずれにしても、あとになって「聞いてないよ!」という事態は避けたいものだ。
あるいは人事採用においても調査会社の出番がある。この人を採用したいのだが、はたして信用に足る人物なのか。もしかしたら面接では分からなかったけれども、前の会社をよからぬ理由で追い出されているかもしれない。たとえば詐病で長期欠勤していたケースなどは「よからぬ理由」にあてはまるだろう。
中村は面白い具体例を一つ教えてくれた。
「ヨット・ハーバーを経営する会社から、ヨットを係留したい、つまり会員になりたいという顧客の調査を依頼されることがあります。ヨットは贅沢品ですから、ヨットを買ってハーバーに係留しようという人はだいたいお金持ちです。ただ、はたして継続的に係留料を払えるのか、あるいは反社会的な勢力とつながりはないのか。経営する側としては気になるところですよね」
確かに日本でヨットを所有しようというお金持ちには、一定の割合(ものすごく低いとは思うけど)で“よからぬ人”がいそうな気がする…。
中村が得意としているのはテレビドラマにあるような尾行とか、身分を偽ってどこかに潜入するとか、変装をして調査対象に接触するということではない。もちろんネットワークを駆使して情報を手にすることは大いにあるのだが、合法的に入手できる資料にあたり、頭を使ってある程度の実態をあぶり出す―という方法を主な武器としている。
会社謄本の分析で企業の本質を見抜く
中村の著書に『会社謄本 分析事始』(税務経理協会)という硬派の本がある。会社謄本は会社設立のときに提出する資料というイメージがあるが、会社謄本を詳細に見れば、その会社の財務体質から商道徳まで、かなりのことを見極められるのだという。
「もちろん徹底的に調べようとすれば、いろいろな方法はありますけど、かなり細かい作業になってしまい、時間もお金もかかります。だから謄本である程度の白黒をつける。限界はありますけど、白か黒か分かることもあるし、かなりグレーだという判断をすることもできる。少なくとも調査の道標にはなるんです」。
中村が会社謄本を使った調査に初めて取り組んだのはかなり前の話だ。読者のみなさんは『商工ローン問題』をご記憶だろうか。銀行から借り入れができない中小企業に貸し付けを行う金融業者で、その貸し付け方法、営業手法が問題視され、多額の負債を残して破綻。2002年ごろから大きな社会問題になった。
大学を卒業して大和銀行に10年勤めた中村はバンカーを辞して警備会社に転じた。その警備会社がくだんの金融業者の幹部のボディガードを請け負っていた。
会社にはボディガードの精鋭がそろっていた。空手の高段者、フランス外人部隊や陸上自衛隊の習志野第1空挺団に在籍していた強者もいた。中村本人はボディガードではなく、主に“頭を使う仕事”を担当していた。
その幹部が都内の高級住宅地に不動産を購入した。ところがそこの土地には古い建屋があり、いつのころからか不法占拠者がのさばって簡単には立ち退きそうにない。
不法占拠者はどうやったら立ち退いてくれるのか。解決の糸口を探るべし。ミッションを授けられたのは元銀行員だった。
「どうしようと思って土地の謄本と会社の謄本を50通くらい集めたんです。もともとこの土地を持っていた人が左前になり、銀行から借り、ノンバンクに借り、サラ金に借り、さらにはヤミ金に借りて抵当権がベッタベタについていた。それをすべて調べて相関図を作りました。そうするとある程度のことが見えてくるんですね。この経験から謄本を分析すると会社のことがよく分かることを知ったんです」
第2話で書いたようにレフェリーの報酬は低い。だから彼らはなにがしかの本職を持っているし、安定した収入があるからこそレフェリーに身を投じることができるとも言える。
世界のレフェリーには会社の経営者もいれば、弁護士もいるし、学校の教員もいる。それにしても探偵をしているレフェリーは世界でも珍しいのではないか。試合会場で中村を見るとき、そのことをちょっと思い出してみると観戦の楽しみがまた一つ増えるかもしれない。
レフェリー ボクシング審判員 中村勝彦 おわり
2020年10月公開