編集長 木崎さんはスポーツライター業界ではかなり珍しい理系の出身。物理学を専攻され、中央大学の大学院まで進んでいます。その大学院生時代に、スポーツライターの大御所である金子達仁さんが書いたNumberの記事に感銘を受けたとか。
木 崎 代表作と言える「叫び」「断層」を読んでファンになったんです。そこから日本代表の試合をテレビで観たりするようにもなりました。金子さんのコラムが掲載されていた「ぴあ」のサイトでスポーツライター養成講座の募集があったので、金子さんに会えるとか、2002年の日韓ワールドカップに何か自分が絡むことができるんじゃないかとか、そういうミーハーな理由で応募しました。2000年12月でした。
編集長 じゃあスポーツライターになりたいっていうわけじゃなかったんですね。
木 崎 最初は目指そうなんて思ってなかった。物理の勉強をしていたんですけど、ちょっとうまくいってなくて。奨学金の審査に落ちてしまった日に養成講座「金子塾」の合格通知が来たので、何かしら運命的なものは感じました。
編集長 かなり狭き門だったとか。
木 崎 そもそも社会人限定なのに、僕は大学院生ですからね(笑)。300人くらい応募して、15人くらい合格したそうです。理系の珍しさもあって、金子さんが興味を持ったんじゃないですかね。お医者さんや電通の社員、漫画編集者、プログラマー、テレビ朝日の社員……いろいろと凄い人が集まっていました。
編集長 授業も面白そうですね。
木 崎 最初、塾生の1人が金子さんをインタビューして、それを題材にして文章を書くっていうのがあったんですけど、みんなインタビュアーにはなりたくないわけですよ。ライターを職業とする塾生が勇気を出して金子さんをインタビューするんですけど、うまく聞き出せずに終わってしまって。みんなは「インタビューの仕方が悪い」という意見だったんですけど、金子さんが「取材を受けるほう(自分)が悪い」が言ったのは凄く覚えていますね。
編集長 木崎さんの文章は、どう評価されていたんですか?
木 崎 NaCl(塩化ナトリウム)だと。
編集長 ん?塩味?
木 崎 いや、大学院で論文ばかり書いていたので、無機質すぎる、と。塩は塩でもミネラルがたっぷり入った「伯方の塩」を目指しなさいと。
編集長 なるほど。物理を専攻しているので、敢えて化学式を使って説明されたんですね。ではどうやってミネラルを。
木 崎 金子さんの文章を読んだり、あと「フライデー」はよく読みました。
編集長 僕はスポニチでそのころボクシング記者をやっていて、「フライデー」は確かによく読んでいました。写真もそうなんですけど、記事がうまい。清原和博さんを撮って「おう、ワイや」って番長日記風に伝えるんですけど、なかなかこれが面白い。
木 崎 番長日記、読んでいました。
編集長 文章を書くことが好きになっていったんですか?
木 崎 あまり取り組んだことのない分野だったので、前向きにやれたところはありました。塾生が中心になって欧州CLのデータ分析の雑誌をつくったり、やり甲斐はありました。
編集長 スポーツライターを目指そうと?
木 崎 物理のほうのチャンスが狭まっていく一方でライターのチャンスが広がっていくような感覚を持ちましたね。
編集長 いきなり欧州に渡っちゃう(笑)。
木 崎 金子さんが日韓ワールドカップの前に日本の対戦国であるベルギー、ロシア、チュニジアをキャンピングカーでめぐるという企画をやるので、その仕切り役を任されたんです。旅が終わったときに、ドイツに行ってみれば?と言われて。
編集長 金子さんはスポニチでコラムを執筆していた縁もあって、スポニチの現地通信員になります。オランダで始まって次にドイツに行って、主に高原直泰さんの情報を現地から伝えてもらいました。僕が2003年からサッカー担当になったんで、木崎さんとは電話やメールを通じて情報を受け取っていました。
木 崎 通信員は定額でお金がもらえるので生活のベースになりました。
編集長 そこからNumberやほかのスポーツ雑誌でも書くようになって、木崎さんの名前が世に出ていくことになります。2006年のドイツワールドカップ後には金子さん、ライターの戸塚啓さんと共著で「敗因と」が出版されています。金子塾のつながりって、ずっと続いていきますよね。
木 崎 今、原作を担当している漫画「フットボールアルケミスト」の担当編集者も、金子塾の同期の方なんです。
編集長 えっ!そうなんですね。
木 崎 実はその方が関わったのがあの超人気漫画「GIANT KILLING」でして。もう2006年くらいから、一緒に何かやろうよと言われていたんです。主人公が代理人という設定も、その人が考えたもの。金子塾のつながりは今も強いとは感じています。
編集長 2014年のブラジルワールドカップや翌年のアジアカップも終わって、取材するほう、取材されるほうでガチンコ勝負していた本田選手との関係が、ちょっと変わっていったようにも見えました。
木 崎 きっかけは本田がACミランでプレーしていた2016年1月。僕が「きょう誕生日なんですよ」と言ったら、ミラノのレストランで初めて食事することになって。メディアの在り方について意見を言い合っていたら、「じゃあ一緒にメディアつくってみませんか」と誘われたわけです。
編集長 これが「REALQ」立ち上げにつながっていくわけですね。日本の食事や文化などを英語で伝える取り組みをしたり、2018年のロシアワールドカップでは選手が直接、ファンの質問に答えるということもやっています。
木 崎 やっぱり本田との距離感が変わってきて、ガチンコ勝負というところにはならないじゃないですか。方向性をどうしようかというのもあって一時期、スポーツライターの仕事を中断したんです。
編集長 でも距離感を変えたことで得たものもあったのでは?
木 崎 そうですね。メディアを立ち上げたこともそうですけど、本田を通じていろんなコネクションができたのも事実で、かつ、いろんな情報を得るようにもなりました。
編集長 2030年のワールドカップを題材にしたサッカー小説「アイム・ブルー」を発表されています。書き手として幅を広げている印象です。肩書きがスポーツライターで収まらないような?
木 崎 確かにそうやって言われると……。でもスポーツライターですよ、やっぱり。
編集長 カンボジア代表の経験も、いずれ作品としてまとめて読みたいですね。ちょっと聞いただけでもこれだけ面白いんですから。
木 崎 ありがとうございます。カンボジアの選手たちは本田から指導を受けて確実に成長しています。僕も楽しみにしています。
近 藤 ちょ、ちょっと待ってください、編集長、いや二宮研究員!
編集長 あっ、最後に撮影の時間つくんなきゃ、か。
近 藤 いや、木崎さんのかっこいい写真はもう撮り終えています。「超レア様」というなら、最後はラベリングしておかないと。
編集長 相変わらずマニアックなこと言うなあ。
木 崎 ラベリングお願いします!
編集長 うーん、「ガチンコ勝負が似合う人は、特等席も似合う」ですかね。
カンボジア代表選手と食事後にパチリ。(写真は木崎伸也さん提供)
超レア様に会ってきた! 木崎伸也篇 終
2020年9月公開