編集長 木崎さんが本田選手に出会ったのはいつごろ?
木 崎 まだドイツでスポニチの通信員をやっていた2008年1月でした。本田が名古屋グランパスからオランダのVVVフェンロに移籍してきたのでそのときに取材したのが始まりですね。
編集長 第一印象を聞きたいですね。
木 崎 別に尖った感じとかもなくて、フレンドリーでオープンで。取材した初日に連絡先を交換したくらいですから。
編集長 確かに2010年の南アフリカワールドカップ前くらいまでは、メディアの前でも結構、自分の考え方をしゃべるっていうイメージは持っていました。それが活躍したワールドカップ以降、あまりしゃべらなくなってしまう。
木 崎 ワールドカップが終わってNumberが本田にインタビューをしたい、と。それで僕に書いてほしいとオファーをくれて。でもワールドカップのときはNumberに岡田武史監督の記事を頼まれていたし、彼のことは専門誌で少し書いていたくらいで、凄く知っているわけでもなかったんです。
編集長 何度もインタビューしている関係ではなかったんですね。
木 崎 いや、まったく。
編集長 会った日に教えてもらった携帯電話に連絡したことは?
木 崎 一度もないですよ(笑)。まあでもワールドカップであれだけ活躍した選手をインタビューできるのは有難いし、素直にやってみたいと思いました。
CSKAモスクワのクラブハウス入り口。木崎さんはここで本田選手を待ち受けて、直撃取材を敢行していました。(写真は木崎伸也さん提供)
編集長 Numberの名物記事になる直撃シリーズがここから始まっていきます。スタートも結局はインタビューを断られたとか。
木 崎 CSKAモスクワでの練習を見ているときに、Number編集部から連絡が来て「インタビュー、受けてもらえなかった」と。さすがに、えっ!て思いましたよね。
編集長 もうロシアにいるわけですからね。
木 崎 関係者以外はクラブの施設には入れないので、彼に声を掛けられるのは公道を歩いているときや、車でクラブの施設を出るときくらいしかない。一応取材には応じてくれるんですけど「ワールドカップのことは話さへんよ」と頑なにしゃべらない。
編集長 インタビューができない代わりに毎日の取材で積み上げていくしかないとはいっても、肝心のことをしゃべってくれないとなると僕なら多分あきらめてしまいますね。「また今度来ますから、考えておいてください」くらいのことを伝えて。でも木崎さんはあきらめなかった。
木 崎 本人に「ある意味、それは勝ち逃げだよ」などと言って粘ったら、ちょっとずつ話をしてくれるようになって。
編集長 たきつけてみたんですね。イチかバチかですけど、それが成功した。
木 崎 何としても聞きたかったので。
編集長 伝説の直撃がありました。2013年6月の本田圭佑特集で木崎さんのモスクワ直撃が冒頭のページに来るわけですけど、読み進めても本田のコメントが出てこない!最後に車のウインドウが下がって「オレのコメントなしの記事、楽しみにしてるよ」って一言を残して、去っていく。僕正直、読んでいて身震いしたのって久しぶりの感覚で。取材するほうと取材されるほうのガチンコ勝負が伝わってきて、凄く面白かった。
木 崎 「今はしゃべる時期じゃない」という彼の考えもあったんですけど、テレビのドキュメント番組がちょうど本田を追っかけていて、それも(理由に)あったんじゃないか、と。
編集長 テレビカメラが回っていると……というところなんでしょうね。
木 崎 その2年前の直撃取材ではクラブハウスから出てきた本田の車に乗せてもらって自宅近くのカフェで話を聞くことができたので、それからはもっと踏み込んで聞けると考えていたんですよ。そうしたらテレビのドキュメントの密着が始まってコメントを取るのがどんどん難しくなり、ついには3週間でその一言だけ。
編集長 でもその一言が実に効いています。
木 崎 ウインドウを下げてニヤッて笑いながら。でもその一言で救われました。だって別に言わなくてもいいわけじゃないですか。わざわざ車を止めてですからね。
編集長 嫌だったら、言わないと思いますよ。ガチンコ勝負を本田選手も楽しんでいるように見えましたね。
編集長 モスクワでの直撃は大変ですよね。渋滞は激しいし、冬は寒いしで。
木 崎 冬に外で待っていると結構、地獄ですよ。でもいつ本田が出てくるか分からないので待ってなきゃいけないし。
編集長 門のなかは、やっぱり入れない?
木 崎 銃を持った警備員が立っていますからね。でも日本からおせんべいとかちょっとしたお土産を持って渡すようにしたんです。そうしたら仲良くなれて、本田を取材しているときは門のなかに入っても見逃してくれるようになって凄く助かりました。
編集長 おせんべい効果だ(笑)。「アイツは別に変なことしない」ってなったんでしょうね。
木 崎 お土産って大事だなって実感しました(笑)。
2011年アジアカップ優勝翌日。ドーハの空港内で直撃インタビューを敢行(高須力撮影)
編集長 木崎さんのなかで印象深い直撃ってどれか一つ選んでもらうとすると。
木 崎 結構難しいですね。うーん……カタールで開催された2011年のアジアカップで日本は優勝したじゃないですか。優勝翌日にドーハのホテルで記者会見があって、その夜にヨーロッパでプレーする選手は飛行機で移動するからそこを直撃したんです。
編集長 僕はその日の夜に日本に戻ることになったんですけど、空港にいてNumberの原稿を書いていたように記憶しています。木崎さんはまだ取材を続けていたんですね。
木 崎 やっぱり聞きたいこともありましたから。あのときカメラマンの高須(力)さんが「本田選手、空港内のラウンジに入っていきましたよ」と教えてくれて。でもラウンジに入れるステータスではなかったので残念がっていたら、高須さんが「僕ラウンジ入れるので、一緒にどうですか?」と。あのとき高須さんが初めて神様に見えました(笑)。
編集長 高須さん、珍しくナイスアシストですね(笑)。
木 崎 ラウンジでちょうど彼が一人でエスプレッソを飲んでいて、大会MVPだったこともあってひっきりなしにファンの人がサインをもらいに来ていました。僕は偶然を装って目の前に座って、別に嫌な顔もしていなかったのでこれはチャンスだ、と。話を振りつつ途中から「録音させてほしい」ってインタビューモードになって。
編集長 直撃に向こうもノッてきたパターンですね。
木 崎 でも基本的には南アフリカワールドカップ以降の数年間はあまりしゃべらなかった印象のほうが強いです。
編集長 実際、木崎さんが書くNumber記事って雑誌になってから本田選手本人は読んでいたんですかね?
木 崎 モスクワで一言しかしゃべらなかった本田特集号はどうも読んでくれたようです。
編集長 反応が知りたい!
木 崎 本田のトレーナーさんから電話があって、本人の言葉として「コメントないのにやるやんけ」と。
編集長 ハハハ。感想を直接言わないあたりが本田選手らしいし、2人の真剣勝負ぶりが伝わってくるような気もします。「直撃本田圭佑」(文藝春秋社刊)をもう1回読み直してみたくなりました。
2020年9月公開