編集長:山口さんの肩書きは「写真家」ではなく「写心家」です。いつからこの肩書きに?
山口:いやもう最初から。金子ジムの後輩ボクサーに、引退後、イラストを勉強している人がいて名刺をお願いしたんですよ。彼が写心家と入れてくれたのか、僕がそう入れてくれってお願いしたのか覚えてはいないんですけど。
編集長:山口さんのルーティンに、試合後のボクサーの表情を撮影するポートレート写真があります。
山口:試合後って、勝っていれば興奮しているし、負けてしまえば動揺しているし、ボクサーのつくっていない表情を撮れるんです。今、自分のサイトには統一した背景で80人くらい掲載していますけど、背景とか気にしないで撮っていたものを含めればその倍くらいのボクサーを撮っていると思います。
2005年に開いた個展。ボクサーの顔が並んでいます(山口裕朗さん提供)
編集長:スポーツの撮影はボクシングだけにとどまりません。浜口京子さんとの出会いがありました。
山口:そうなんです、2002年から2年ほど京子さんを追っかけていました。
編集長:何故に浜口選手を?
山口:窓ふきのアルバイトの同僚に、アニマル浜口ジムでトレーニングをしている人がいて「京子ちゃん、頑張ってるんだよな」って聞いていたんです。僕も興味を持って見ていたし、撮ってみたい、と。それで失礼を承知でジムに手紙を書いてFAXで送りまして。「怪しく思わないでください」って一文を入れて。
編集長:十分、怪しいですよ(笑)。
山口:ですよね(笑)。でもお母さんから連絡をいただいて「どうぞ」と。そこから約2年、継続的にトレーニング風景や試合を撮影させてもらったんです。京子さんは凄くトレーニングに真摯に取り組んでいて、僕も本当にいい経験をさせてもらいました。その縁で吉田沙保里選手も撮ったりして、憧れのスポーツ雑誌「Number」に最初に使ってもらったのは吉田選手の写真でした。
編集長:ボクシングじゃなく、先にレスリングだったんですね。
山口:Numberでボクシングの写真を初めて使ってもらったのは2010年の長谷川穂積―フェルナンド・モンティエル戦ですかね。
編集長:写心家・山口さんは次々にアクションを起こしていくことになります。2008年からは集団で大型動物の狩猟を行なう東北のマタギに心を惹かれ、撮影を始めます。このきっかけは?
山口:二宮さん、子供のころ「釣りキチ三平」は読んでました?
編集長:友達にハマっているヤツはいたけど、俺はあんまり。
山口:そこに阿仁マタギの三四郎っていう回があって、将来、マタギになりたいって思ってしまうほど感銘を受けたんです。
編集長:ずっと撮りたかった、と。
山口:違うんです。とんねるずさんの番組のなかに「細かすぎて伝わらないモノマネ」ってあったじゃないですか。
編集長:大好き。
山口:そこで芸人のくじらさんがマタギスターシリーズってやってて、昔の感動を思い出して。それで取材できないかと思って本を読んだり、インターネットで検索して北秋田市の阿仁に比立内(ひたちない)という場所に14代にわたってマタギを続けている方がいらっしゃると聞いて、まず市役所に問い合わせをしたんです。そうしたらハッキリとは言わないですけど、狩猟の場で危険でもあるのであまり受け入れはしたくない、と。
編集長:次はまたFAX攻撃だ。
山口:いや、今度は直接うかがいました。14代にわたってマタギを続けている方は旅館を経営されていたのでそこに泊まって「実は……」と切り出しまして。もう娘婿さんが引き継がれていまして、熱意を伝えたら、猟の責任者に許可をもらえたらいいですよ、と。それで親方と呼ばれる人に会いに行って、同じように熱意を伝えたら「じゃあ来ていい」と許可をいただいたんです。2008年から現在まで継続して、一緒に山に入らせていただいて撮影させてもらっています。
編集長:よく許可が下りましたね。
山口:失礼がないようにマタギに関する本をたくさん読んで知識を増やして、こういうときには音を立てちゃいけないとか、そのあたりの決まり事も頭に叩き込んでいましたから。
編集長:狩猟の対象はやはり熊?
山口:はい、ツキノワグマです。ただ何日掛かっても獲れないことは良くあります。
編集長:ボクシングと比べるものじゃないですけど、ここにもヒリヒリと緊張する戦いがあるんですね。
山口:人を撮影したいというのもありますけど、山の風景も凄く良くて。10年以上経っていますし、そろそろ作品として発表したいなと思っています。
現在の山口さん。写心家として活躍中(山口裕朗さん提供)
編集長:2015年6月から1年半、アメリカ・ニューヨークに滞在することになります。これもびっくりしました。何か仕事があるわけじゃなく?
山口:はい、まったく(笑)。だからその時期はマタギの撮影も空白ができてしまいます。
編集長:何故ニューヨーク?
山口:昔ボクシングをやめようかどうしようか悩んでいたときに、マグナム展が東京で開催されていて、兄からチケットをもらって見に行ったことがあったんです。
編集長:あのロバート・キャパら写真家グループの?
山口:はい、そこにブルース・デビッドソンがニューヨークのセントラルパークを撮影していて、美して凄くいいな、と。そういうのもあってニューヨークに住んで、撮影したいなと思いまして。ニューヨークの風景はAflo(ストックフォト検索ダウンロードサイト)に預けるために、撮り歩いていました。
編集長:メジャーリーグ、ボクシング、MLS、大学バスケットなどアメリカのスポーツも撮影することになりますけど、やっぱり「人」「生活」「風景」「心」を撮りたいってことなんでしょうね。山口さんの写真はモノクロが多いような気が……。
山口:あんまり色って意識しないんですね。人の表情とか視線とか、風景の構図の面白さとか、そっちを先に考えてしまうからモノクロが多いのかもしれませんね。
編集長:コロナ禍もあって今は現場の仕事も減っていると聞いています。そのなかでウーバーイーツの配達員のアルバイトを始められました。
山口:まあ、やれるときだけですけど。自転車に乗るのが好きなので、楽しんでやってますよ。
編集長:新たな発見もあるとか。
山口:あります、あります。この道だと東京タワーがこんなふうに見えるのか、とか。だから最初はミラーレスのカメラを持ってやっていたんですけど、さすがにカメラ持ちで何時間も走ると体にジワジワと疲労がくるので、今はやめてます。
編集長:ボクサーやって、フォトグラファーやって、スポーツに限らずいろいろ撮って、ニューヨークに住んで……。写心家って被写体の心を映す意味だとばかり思っていましたけど、自分の心を写してもいるんですね。いろんな経験が、作品としてあらわれるのだ、と。これからの作品がとても楽しみです。
山口:精進します。
編集長:フォトグラファーになるって決めた有明海の夕陽、そろそろ撮ってみたらどうです?
山口:じゃあ自転車で一緒に旅しますか?
編集長:いずれ行きましょう(笑)。
超レア様に会ってきた! 終
2020年7月公開