編集長:1998年6月、A級トーナメントのフェザー級1回戦で当たったのが、後に日本スーパーフェザー級王者となるキンジ天野選手でしたね。
山口:お互いに似た距離感なので、どちらのパンチも当たりやすい。ハラハラしますけど、試合していて、楽しいなって思いました。先にいいパンチもらってダウンして、結構メッタ打ちされて。
編集長:それでも何とか持ち返して。
山口:5回にキンちゃんのパンチでカットしてドクターチェックが入ったんです、大槻穣冶ドクターが「うーん」って判断を迷っていたので生意気にも「まだできる!」って言ったら「君が決めることじゃない」と。そのシーンを今でも凄く覚えています。
編集長:試合再開となりましたけど、かなり不利な展開です。
山口:キンちゃんは俺よりも速い、強い。戦ってみて、ここまでの選手は初めてでした。でもここで行かなきゃ負ける。パンチを当てる糸口も見つけていないのに、前に出ていって持っている〝タマ〟が切れて、一息ついたところで(オスカー・)デラホーヤが(バーナード・)ホプキンスに倒されたようなレバー打ちをもらって……。体が丸まったところでレフェリーストップになりました。
山口さんが出場したA級トーナメントの組み合わせ(山口裕朗さん提供)
編集長:6連勝のあとに3連敗かあ。チャンピオンになるっていう目標が遠ざかっていきますね。
山口:キンちゃんには勝てないと思ったし、かといってボクシングをやめるという覚悟もない。どうすればいいんだろうって考えました。
編集長:そこで山口さんはマウンテンバイクを購入して鹿児島に飛び、そこから自転車旅行をして自分を見つめ直すことになります。
山口:ジムや窓ふきのバイト先にも休みをもらって、体力を落としちゃいけないと思って自転車旅行にしました。テントを持っていったので基本的には野宿しながら。「兄ちゃん、旅かい?」って差し入れしてくれたり、「ウチ泊まってもいいぞ」って泊めさせてもらったり、人の温もりに触れて、凄くいい旅になりました。
編集長:でも「ボクシングをやめる」って決断する旅になるんですよね。
山口:熊本に本渡っていう町があって、ボクシング専門誌が売っていたんです。僕の試合の記事が掲載されていて、キンちゃんのパンチを受けて僕の顔がゆがんでるんですよ。それを目にしたときに、もうやめどきだなって。
編集長:悩んで悩んで、そこはスッと。
山口:そこは不思議でしたね。
編集長:旅に持っていったのが一眼レフだったそうですね。
山口:別にカメラが趣味でもないんです。中2のときに一眼レフを自分でお金を貯めて買ったんですよ。せっかくだからとこのとき持っていって、風景とか撮ろうと思って。でも引退したらフォトグラファーになろうとか、そういう考えはありませんでした。
編集長:とはいえ、ここで写心家になるきっかけを得ることに。あれはどこですか。熊本ですか。
山口:はい、有明海に面した町で入浴できる施設に入ったんです。そうしたら風呂場の窓から夕陽に照らされた海が、凄くきれいで、目を奪われてしまって。純粋に、写真を撮ってみたいって思ったんです。それに人の温もりに触れて、感動している気持ちをあらわすことができる職業って何だろうって。それでフォトグラファーっていうのが心のなかに出てきたんです。
編集長:この流れでいくと帰京後に引退してフォトグラファーの道へって思いますけど、旅から帰ってもう1試合やるんですよね。ここはまた何故?
山口:もう言い訳にしたくないからです。ジムにも2階級上げてライト級で戦いたいって言って、フィットネスクラブで働いていたジムメイトに、筋力をアップするメニューを組んでもらって。最後、田中光吉くん(元日本ライト級1位)と試合をやって負けてしまうんですけど、試合もトレーニングも何一つ悔いがない。未練なく引退することができました。
編集長:もし勝っていても、やめていた?
山口:そうです。渋谷にある日本写真芸術専門学校に入学が決まっていましたから。
自転車旅の一コマ。体力ある山口さんもちょっとひと休み中(山口裕朗さん提供)
編集長:写真の学校も働きながらですか?
山口:フォトグラファーになるんだからと最初は現像所にバイト先を変えて。日本写真芸術専門学校は夜間があったので、バイトしながら通っていました。ただ、写真って凄いお金が掛かるので、後に窓ふきのバイトを復活させることにはなるんですけど。
編集長:撮りたいのは別にボクシングじゃなかったんですよね。
山口:有明海の話じゃないですけど、風景とか町とかだよなって思っていましたから。
編集長:ここで師匠と呼ぶ人に出会うことになります。
山口:写真家の鈴木邦弘先生です。いつも辛口の方なんですけど、先生の写真はやっぱり素晴らしくて。鈴木先生からは多大な影響を受けました。ただ、ボクシングはジムの後輩が試合をするときにチケットを買って自分の席で撮っていたんです。撮影の練習も兼ねて。そうしたらJBC(日本ボクシングコミッション)の人が、リングサイドで空きがある状況ならそこから撮っていいよって言ってくださって。後輩の試合の写真を先生に見せたら、「いいぞ」って褒めてくれて。だって辛口の先生ですから、そりゃうれしいに決まってます。
編集長:結局はボクシングも撮っていくことに。
山口:ジムメイトや、後は僕と戦ったキンちゃん、光吉くんも追っていきたいなって。
編集長:卒業後はスタジオに就職するんですよね。
山口:まずはアシスタントとして、いろんな写真家の方のテクニックを学びたいって思いましたから。でも10日でやめちゃったんです。
編集長:えっ!
山口:僕が見たい写真の世界じゃないなって思ったので。そこから独立というか、フリーというか、自分でやっていくことになっていきます。
編集長:生活は大変だったのでは。
山口:風呂なしアパートに引っ越して、ウエディングの撮影のバイトとか、窓ふきのバイトをしながら何とか食いつないでいました。
編集長:それでもボクシングは撮っていくんですよね。
山口:キンちゃんと光吉くんをずっと追いかけていたので、2人を対象にして撮ってきたものを集めて個展を2005年に開いたんです。2人が凄く喜んでくれて、僕もうれしかった。
編集長:フォトグラファーとしてやりたいことが段々と見えてきたわけですね。次回の最終回は「写心家」としての話をじっくりお聞きしたいと思います。
2020年7月公開