第一印象は「ボクサーの体はガチガチ」
中村正彦はアスリートであった。
東京学芸大大学院出身。陸上競技・走り幅跳びの選手として飛躍を目指したが、大学ではケガに泣かされた。運動生理学や解剖学をもっと学びたい。そのことも理由にはあるものの、大学院に進んだのは走り幅跳びを納得するまでやりたいとの思いからだった。大学院2年のときに自己ベストを更新している。
陸上をやり切った後、次の目標が生まれた。ケガとの闘いだった自分の経験を活かしたい――。学生時代からトレーナーを始めており、卒業後はパーソナルトレーニングの会社を経て独立。スポーツトレーナーが日本には職業として定着していなかった時代。中村には師匠となる人もいない。
大学、大学院で学んだ知識を基に科学的なアプローチを試み、10年前にはその評判を聞きつけた帝拳ボクシングジムから声が掛かった。全米ストレングス&コンディショニング協会認定ストレングス&コンディショニングスペシャリストの肩書きを持つ中村の指導は、ボクシングのジム練習、ロードワーク中心だった日本のボクシング界に新しい常識を与えることになる。ボクシングのトレーナーとはまた別に、ストレングス&コンディショニングのスペシャリストを置くことがいかに大事かを証明していく。
最初に指導したのは世界王座返り咲きを目指していたベネズエラ人ボクサー、ホルヘ・リナレスと粟生隆寛である。ボクサーを請け負うのは初めてのこと。第一印象は「ボクサーの体はガチガチ」だった。
ボクサーは力を内に閉じ込めてパンチを放ち、そしてガードを固めて防御する。つまりボクシングの練習をしていれば、どうしても体を固めることが多くなる。中村は「下半身の筋力が弱いから、上が力んでしまう」と見立て、下半身の強化を2人に提案する。
走り込み、ウエイトトレーニングなどによって強化し、脚の「裏側」の筋肉を意識させる。というのも「前」はロードワークや普段のボクシングの練習で自然と鍛えられているために、「裏側」を強調することによってバランスのいい筋力をつけることができる。
上半身のガチガチを取り除くためには可動域を意識させる必要もあった。ストレッチを入念に行なわせるのもそのためだ。
やらせるのではなく、理論を伝えて納得してもらったうえで一緒になって取り組んでいく。のちに彼らは返り咲きを果たすことになる。そして彼らだけでなく、帝拳ジムの多くのボクサーのフィジカルトレーニングを担当するようになり、信頼を集めるようになっていく。
中村は選手に寄り添う。
これは選手の気持ちを最大限に理解しようと努めているという意味だ。
彼は言う。
「ボクサーには減量との戦いがあって、世界チャンピオンともなると年2、3回くらいしか試合がないわけです。他のスポーツに比べて1試合が重い。その分プレッシャーものし掛かってきて疲労は肉体的なものだけじゃない。トレーナーの立場として言うなら、本当はもっとやらせたい。でもやらせられない。選手一人ひとりに深くかかわっていく分、彼らのつらさも良く分かるんです。
今もそうなんですけど、プレーヤー感覚が自分のなかに残っていて、完全なるトレーナー目線になっていない。だから若干甘いところがある。選手とあんまり深くかかわらないほうが、じゃああれもこれもやってみようって言えるのかもしれないですね」
選手目線に立つから、どう言ったら納得してもらえるかを考える。週に1度、帝拳ジムに赴いて選手たちの練習を見届けるのも、肉体面のみならず精神面の状況を把握しておきたいからだ。
自分の体づくりも、理論のアップデートも
選手のトレーニングについていけるような体づくりも欠かさない。40代半ばながら引き締まった肉体を維持する。選手にやってもらうトレーニングも自分でテストする。たとえばワットバイク(インドアバイク)を使ったトレーニングで弾き出された酸素摂取量推定値が自分の感覚が近いかどうかも確かめておく。やらせるなら、まず自分でやる。理論だけに頼らず、実践した感覚を大切にしている。
理論のアップデートも怠らない。「アスリートのトレーニングは効果的かつ効率的でなければならない」が信条。トレーニング先進国であるアメリカの研究論文には目を通すようにしており、「参考にしつつ自分の経験を入れる」ことを心掛けている。
自分がケガに泣かされてきただけに、ケガをさせない体づくりが基本だ。瞬間的に力を発揮できても、それがケガのリスクを高めるのであれば意味がない。肉体改造請負人のベースは、「ケガをしない体」にある。実際、山中慎介は中村のもとでトレーニングするようになって、持病の腰痛が消えている。
信頼の証。
タイトルマッチになると中村がチャンピオンベルトを持って一緒に入場することが帝拳ジムの定番になった。西岡利晃から打診され、ラスベガスで入場したのが始まりだという。山中の試合も、村田の試合も。ベルトを高々と掲げ、堂々とリングに向かっていく。選手からすれば血のにじむような努力を見守ってくれ、肉体と精神を一緒になって高めてくれた言わば同志。この試合のためにすべてやり切ったという証明書が、中村が掲げる自分のベルトに映し出されている。「高々と堂々と」は選手に対する彼なりの敬意である。
村田が2019年12月、WBO1位にランクしていたスティーブン・バトラーを迎えた初防衛戦。中村はWBAのベルトを持って、入場の準備をしていた。そのときの村田の表情が忘れられないという。
「入場テーマのイントロが鳴って、リングに向かうときのあの表情。腹括っているなと思えましたから。勝負ごとだし、僕も含めて周りのスタッフは心臓がバクバクだと思うんですけど、このときは〝ああ、勝つな〟って感じました。もうそれくらい表情が決まっていたんですよ」
寄り添っているから、深くかかわっているから、その心を感じ取ることができるのかもしれない。
2020年7月公開