スポーツ好きの聖地、それが東京ドームシティだ
JR水道橋駅西口。改札を抜けて左手に足を向けると、すぐに後楽園ブリッジが出迎えてくれる。駅側から見ると緩やかに上りアーチを描く橋を歩き、神田川と外堀通りを超えると、交差点を渡らず、そこはもう東京ドームシティ。タイトル画像に使われている写真は、外堀通りから上に向かって撮影した後楽園ブリッジである。
水道橋駅方面から見た東京ドームシティ入口
ブリッジを渡りきるとここが黄色いビルの2階部分。ビル自体はバッティングセンターやボウリング場などの遊戯施設や飲食店が入っているが、大きな存在感を示しているのがウインズ後楽園。週末にはレースを楽しむ紳士、淑女たちの「うおっっ」といううなり声や、「ああっっ」という深いため息を聞くことができる。
右手に見える東京ドームホテルは41階建ての高層ホテルで、そびえたつ姿は東京ドームシティの門番のよう。ボクシングの年間表彰式が開かれるほか、記者会見などで使われる機会も多く、よく足を運ぶホテルだ。
2011年3月11日はドームホテルのラウンジで就活中の大学生と待ち合わせをしていた。ホテルにたどり着く5分前に発生したのが東日本大震災。そのままラウンジで学生とお茶を飲みながら話をしたけど、2人ともどこか上の空だったことをよく覚えている。
1度は泊まってみたい東京ドームホテル
さて、ブリッジを渡りきり、黄色いビルを抜けて階段を降りるとボクシングやプロレスの会場として有名な後楽園ホールの入口だ。おっと、その手前にある書店を忘れてはいけなかった。オークスブックセンターは野球、格闘技、競馬、芸能の本の品ぞろえが豊富なことで有名な書店。かつて同じ場所にあった山下書店もそうだった。
本屋さんが出てきたところで、東京ドームシティの歴史を少し振り返ってみたい。まずは最初に渡った橋、後楽園ブリッジである。竣工は1964年8月27日とあるから東京オリンピックが開催される少し前だ。後楽園球場を本拠地とする巨人の監督は川上哲治、昭和を代表する名選手、長嶋茂雄と王貞治のON砲がそろって活躍し始めたのがこのころで、巨人のV9は翌65年から始まる。
もちろんこのときはまだ東京ドームシティではなかったが、敷地内には後楽園球場、後楽園競輪場、後楽園ホールのほか、アイススケート場やローラースケート場、遊園地を兼ね備えた一大娯楽施設だったから、この街のはたす役割は半世紀以上変わっていないことになる。
大観衆を渡し続けてはや56年!
ドームシティの中心施設、東京ドームは32年前の1988年に開場した。同年3月17日にオープニングセレモニーが挙行され、翌18日のプロ野球オープン戦、巨人vs.阪神が行われた。さらに21日、こけら落としのイベントの目玉として開催されたのが、ボクシングのヘビー級3団体統一戦、王者マイク・タイソンと挑戦者トニー・タッブスのビッグファイトだった。
タイソンというボクシング史上まれにみるキャラクターと、日本初の屋根付き球場(この表現に当時はみんな興奮した!)のオープンが相乗効果を発揮し、ドームには5万人超えの大観衆が詰めかけた。試合は期待通りにタイソンがタッブスを2ラウンドで粉砕して怪物ぶりを披露。WBC・WBA・IBF王座の防衛に成功し、デビューからの連勝記録を34(30KO)に伸ばした。タイソンはまだ21歳だった。
そのタイソンがプロ初黒星を喫したのも東京ドームだった。2年後の90年2月11日、タイソンは格下と思われたジェームス“バスター”ダグラスに10ラウンドKO負け。“トーキョー・ショック”のニュースは世界中を驚かせた。あわれタイソンはこの敗北をきっかけに迷走していくのである。
後楽園ホールの住人はドームのイベントから逃げる!
東京ドームでボクシングの試合が行われたのはタイソンが来日した2回だけで、普段はドームの手前にあるビル(昔は青いビルと呼んだ)の5階にある後楽園ホールで営まれている。
収容は2000人程度で、どの座席からも、どの角度からも試合がよく見える。小規模な会場だから、野球の巨人戦のように試合が終わるとドバーッと客が流れ出し、駅にたどり着くのにひと苦労、なんてこともない。格闘技の“聖地”は実にこじんまりとしているのだ。
後楽園駅側から東京ドームをバックにポーズ
後楽園ホールに足しげく通う人間は小さな家の住人だけに、大きな家(東京ドーム)の動きには敏感だ。双方のイベントが終盤に入る午後9時ごろになると、スマホで野球の進捗状況をチェックする記者がホールの中にちらほら出始める。
「やばい、9回表で巨人がリード。早く帰らないと巻き込まれるぞ!」
急ぎ足で後楽園ホールをあとにするボクシング記者…。こればかりは仕方のないことなのだが、中には「巨人ファンなんかと一緒に電車に乗りたくない。しかも巨人が勝った日には」なんていうアンチジャイアンツの記者もかつてはいた。
大群衆に飲み込まれるのは巨人戦だけとは限らない。コンサートも東京ドームの重要なコンテンツだ。ドームでコンサートができるアーティストは限られていて、ジャニーズのスマップとか、嵐とか、K-POPの東方神起はすごかった(スマップは2016年に解散、嵐は20年末に活動休止予定)。
こうしたグループのコンサートになると、グッズ販売が始まるコンサート前日からドーム周辺には人がうじゃうじゃ増えはじめ、いつも閑散とした東京ドームシティを歩いている私などは、妙に警戒心を抱いてしまう。翌日もホールに足を運ぶようなら覚悟を決めなければならないからだ。
ドームシティに足しげく通うようになっておよそ20年。私の経験に限ると、ドーム周辺がとてつもなくごった返したアーティストはEXILEだった。
2020年6月掲載