家を出てから24時間以上経ったでしょうか。疲れてはいましたが、荷解きして一息つく間もなくスタジアムへ向かうことに。この日は試合前日だったので運が良ければ公式練習や記者会見を見られるかも知れません。最低でも報道受付の方法を確認しなければなりませんでした。タクシーで少し郊外にあるスタジアムに着くとそこに人影がありません。スタジアムの周りは何もなく、たまに通る車はかなりのスピードで飛ばしています。「帰りのタクシー拾えるかな、、、」とまたも新たな不安にかられます。しかし、そんなことを気にしている暇はない。まずは報道受付を探さなければ!
入り口を探して右往左往していると、関係者のADカードをぶら下げた白い民族衣装・ガンドゥーラの男を発見。チャーンス!! 自分が日本からきたカメラマンであること、取材申請はファックスで送ったことを身振り手振りで伝えると男は一言いいました。「フォロミー」。いざなわれるままに男に着いていきます。スタジアムに隣接した建物の一室で出迎えてくれた男は「オー、アッサラーム(こんにちは)」と歓迎してくれました。再び事情を説明するとデスクの上に無造作に置かれていたADカードを手渡して渡してくれました。「え? なんの照合もしないの? あー、これって事前申請はまったく意味なかった系だな、、」などと思っていると、そこに日本人がやってきました。
短い髪をツンツンとセットさせたその日本人は流暢な英語でバーレーンサッカー協会の人たちともフレンドリーに会話しています。落ち着いたところで、声をかけると偶然にも僕のクライアントの雑誌で原稿を書く予定があるライターさんでした。しかも、やたらと現場慣れしている。心強い! 彼に着いていけばスムーズに取材できると確信し、このシリーズで初めて一息つけました。
彼の名前は森本高史さん。英語とフランス語を武器に主に中東やアフリカでの取材が多いとのことでした。聞けばこのあとイラン代表の宿舎にいって取材する予定だと言います。おおお、なんだか急に取材っぽくなってきたぞ!
「アポ? 取ってないですよ。ラウンジでくつろいでると思うので適当に声かけます」
ホテルに向かう車中で何気なく聞いたこのあとのスケジュールだったのですが、突撃取材だったようです。仮にも代表チームの宿舎での取材です。俄には信じがたい話でした。晴れたばかりの僕の心に暗雲が立ち込めてきたのは言うまでもありません。
ホテルに到着すると確かに代表選手と思しき大柄な男たちがラウンジでお茶を楽しみながら、関係者と歓談していました。よく見るとテレビ局の取材クルーもいて、中には日本メディアの姿もあります。森本氏が真っ先に声をかけたのはイヴァン・ブランコビッチ監督でした。おおお、代表監督がこんなにも怪しい取材に快く応じてくれている。日本代表では絶対にお目にかかれない光景です。会話の内容はあまり聞き取れませんでしたが、明日の試合に対して絶対的な自信があるような素振りでした。インタビューを終えて「シーユー、グッドラック!」と固い握手を交わしブランコビッチ監督と別れます。
日本メディアの取材に応じるブランコビッチ監督
森本氏が再びキョロキョロし始めました。誰かを見つけたのか、急に小走りになります。あとを追うとその先にはなんとアリ・ダエイがいるではありませんか! ジョホールバルで繰り広げられた日本とのワールドカップフランス大会のアジア第三代表決定戦を戦ったイランのエースストライカーです。当時、浪人生だった僕はその死闘を馴染みのラーメン屋さんで観戦し、山本浩アナウンサーの「(中田英の)左足ぃぃ! どうか!? 溢れているぅ(やったぁぁぁぁby松木さん)岡野ぉぉぉ! 最後は岡野ぉぉぉぉぉ!!! ニッポン、勝ったぁ! ニッポン勝ったぁぁ!! ワールドカップゥゥゥゥ!!!」のときには見ず知らずのおっさんと抱き合って喜びあったものでした。あのときの興奮は今でも忘れることができません。もしかしたら、あの興奮がこの仕事を選んだ一番の理由なのかも知れません。それだけに8年越しで対面した英雄に「おおおおお、ダエイ! まだ現役だったのか!?(失礼!)」とあのときの興奮が蘇るようでした。そして、何故か森本氏がその英雄とがっちりと肩を組み楽しそうに会話しています。「な、何者??」。森本氏の底知れぬバイタリティに一番驚かされたのでした。
ザンディ様を発見! イケメンすぎるだろっ
英雄ダエイの周りには常に人だかりができていました
その夜、公式練習を経由して、今度はバーレーン代表のホテルに向かいました。インタビューしたシュレコ・ユルシッチ監督はどことなくイビチャ・オシム氏に雰囲気が似ていて、常に我々の一歩先を見据えているようなオーラがありました。インタビューは夜遅くまで行われ「明日、試合なのにこんなに遅くまで大丈夫なのかな」と心配しつつ、疲れがピークに達した僕が欠伸を噛み殺していると、少し疲れをみせていたユルシッチ監督と目が合いました。色々な意味を込めて「すみません」とペコリと頭を下げるとウインクを返してくれたのを覚えています。インタビューが終わったのは22時に差し掛かるころで、羽田からつながっているような長い一日がやっと終わりました。
昨日からほとんど寝ていなかった僕は部屋に戻ると、帰りがけに売店で買った冷えてないビールを一口飲んで、そのままベットに潜り込み深い眠りにつきました。
続くっ!!!
2020年3月掲載