いよいよ、このときが来ました。いざ、バーレーン! しかし、ここでも新たな問題が発生しました。いくつかの銀行で聞きましたが、バーレーンの通貨ディナールは日本国内で両替することができませんでした。どうやら米ドルを持っていき、現地で両替するのがポピュラーな手法とのことでした。しかし、羽田空港では搭乗手続きに手間取り、両替のことをすっかり忘れていたのです。思い出したのは関空に向かう機内でした。そのときは「ま、関空で替えればいいや」と余裕があったのですが、関空に到着したのは22時過ぎ。な、なんと! 両替商が閉まっていたのです。「えーーーーー!!? う、嘘でしょ?? 手持ちは日本円しかないし、トラベラーズチェックとかないよ???」。冷静に考えればクレジットカードは持っていたので現地でキャッシングすることも可能でしたが、当時は子供のときから親にキツく言い聞かせられた「借金だけはしちゃダメ」を守っていたこともあり(今も守ってます!)、国内でもキャッシング経験がなく、海外でキャッシングという発想がまったくありませんでした。そのときは「なぜ銀行で米ドルに両替しておかたかったんだ、俺!?」という自らの思慮不足を呪うばかりでした。
地味にジタバタしていたら、あっという間に搭乗時刻に。諦めてそのまま搭乗ゲートへ向かいます。ベージュの制服に赤いスカーフが印象的なエミレーツ航空の美しいCAさんがお出迎えしてくれます。そこで恐る恐る聞いてみます。
「アイハブアジャパニーズエンオンリー。OK?」
CAさんも困ったと思います。こいつ何言ってんだ、と。二人の間に微妙な雰囲気が流れ始めたとき、女神降臨。日本人のCAさん登場したのです。
「ドバイの空港で両替できるのでご安心ください」
この言葉にどれほど救われたことでしょう。すっかり気を大きくした僕はワイン片手に機内エンターテイメントで発見したセカチュー(世界の中心で、愛をさけぶ)をループで視聴。サクの「助けてください、助けてください! 助けてくださいいいいい!」のシーンで「誰か、電話! 早く!! 助けてあげて! アキちゃーーーん!!」と涙腺を崩壊させていたら、ドバイに降り立っていました。
ドバイ国際空港で驚いたのはそのスケールの大きさでした。広大で清潔なフロアにはキラキラしたお店が軒を連ね、超高級車が陳列されていました。空港でこんなお高そうな車買う人いるの? と驚いたのを覚えています。あとで知ったのですが、あの車は一口1万円くらいのクジの景品だったようです。「仮に当たったとして日本に輸送したらいくらかかるんだろうか、、」という庶民の疑問は未だに謎のままです。そして、一番印象に残っていることがあります。早朝の到着だったこともありますが、フロアに直で寝たり、ベンチに親子で絡み合って休んでいる出稼ぎ風の人たちが至るところにいたことです。高級外車と出稼ぎ労働者。貧富のコントラストをここまでハッキリと感じたのは初めてのことでした。
やっとたどり着きました、マナーマ! しかし、いつまでも喜んでいる訳にはいきません。まずは宿を確保をせねば。空港から街中まではタクシーしかなく、メーター制ではないので交渉が必須です。到着ゲートを抜けると「タクシー?」と声をかけられます。あ、怪しい、、。絶対にぼったくられたと思います。もっとも貨幣価値や相場さえもわかっていなかったので実際のところはわかりません。が、細かいことを気にすることはやめました。なぜなら、ここは「インシャラー(神の御心のままに)」の国なのですから。
バーレーンに入国した勇者の証
白い建物が立ち並ぶ街並みを眺めていると「空が広いなぁ。でも埃っぽい、、」などと思っていると、目当ての宿に到着。日本でいうビジネスホテルのような小さなホテルです。早速、レセプションに声をかけます。幸い部屋があったようで無事にチェックインできそうでした。
「はい、じゃあパスポート預かるね」
レセプションに立つ男は中東訛りの英語で確かにそう言いました。え? パスポート預けるの? そうだよ、みんな預けてるぜ? ちなみにこの流暢なやり取りは僕の脳内変換です。余談はさておき、内心は不安しかありませんでした。初めての海外取材。しかも中東。目の前にいる男は浅黒い肌と中東訛りの英語を喋る髭の大男です。批判覚悟で言わせてもらえれば胡散臭い。胡散臭すぎました。海外ではすべての人が怪しく感じるほどの小心者からすると、この見ず知らずの男にパスポートを預けていいものなのだろうか? そもそもホテルがパスポート預かるっておかしくね? と海外経験ほぼ0のくせに勘ぐることだけは忘れなかったのでした。
続くっ!!!
2020年3月掲載