ボクシングの試合は小さなリングで行われ、カメラマンはリングにへばりつくようにして試合を撮影する。リングの一辺は6、7メートル程度。4辺のうち2辺は試合オフィシャル、テレビ中継のスタッフが占め、さらに3人のジャッジも入るから、当然ながらカメラマンの数は限られてくる。はたして自分はリングサイドに入れるのか? 福田はアメリカにいる間中、このテーマに悩まされた。
「ポジションのことは毎週気にしていました。リング誌のカメラマンになってからリングサイドに入れる確率は高まりましたけど絶対ではない。そもそもボクシングのリングサイドというのはAP、ロイター、ゲッティと大手の通信社が入って、あとはテレビ局とかプロモーターのオフィシャルが優先されます。そうなると大きな試合になれば残りは2つか3つしかない。そこに20人、30人、本当のビッグマッチだと100人が申し込む。ここに入るのは大変なことでした」
実績や実力が考慮されないわけではないが、これだけの競争率になると「あとは運」という試合も少なからずある。是が非でもポジションを確保したい福田は気が付けば験を担ぐようになっていた。リングサイドのクレデンシャルは緑色なので、緑のものを身につけるようにしたのはその一つ。「撮影の前に運を使いたくない」という理由からさまざまな行動が生まれた。
「どのポジションに入れるかもそうですし、いい写真が撮れるか撮れないかも運は大きい。だから試合前に絶対に運を使わないように考えました。試合前は絶対にレストランに行かず、安いスーパーで食べ物を買ってきてホテルで食べる。おいしいレストランを見つけてしまったら運を使ってしまったということ。ごみ箱にごみも投げない。入ってしまうとこれも運を使ったことになりますから」
ルーティンを変えない。これもいい写真を撮るために自然と身についた習慣だ。試合の日は時間を決めて毎回同じ銘柄のカップ焼きそばを食べた。
「野球のイチロー選手は試合前に必ず奥さんの作ったカレーを食べて試合に行くそうです。遠征先では同じ店の同じピザを食べると聞きました。それは全力でプレーして失敗したとき、少なくとも食べ物のせいではない、ということになりますよね。成功したときも、失敗したときも同じ食べ物なんですから。ルーティンを変えないのは、結果が出なかったときに何が悪かったのかを絞り込むためなんです。イチロー選手と僕とではスケールが違いますけど、同じ考え方だと思いました」
どんな実力者でも100%はない。カメラマンは撮り損じ、打者は打ち損じる。失敗から何を学ぶかが凡人と名手を分けるのだろう。
そんな毎日を重ねているとき、リング誌のマイケル・ローゼンタール編集長が「ナオキの写真をBWAA(全米ボクシング記者協会)のアワードにエントリーしよう。ナオキなら絶対に賞を獲れるよ」と提案した。福田はそれほど重要なこととは考えず、しばらくしたら忘れてしまっていたのだが……。
2011年4月上旬、福田は神戸にいた。神戸ワールド記念ホールで開催されるWBC世界フェザー級タイトルマッチ、王者の長谷川穂積がメキシコのジョニー・ゴンサレスを迎え撃つ防衛戦と、WBCスーパー・バンタム級王者の西岡利晃、WBCスーパー・フェザー級王者、粟生隆寛のトリプル世界タイトルマッチの撮影のため、日本に戻ってきていたのだ。吉報を知ったのは神戸のホテルだった。
「朝起きたらローゼンタールから連絡が入っていて、最優秀写真賞を受賞したと。曇っていた空が晴れ渡ったような気持ちになりました。長谷川選手の試合の前で、その日は計量か記者会見があったと思うんですけど、思わず冷蔵庫に買っておいたチューハイか何かを飲んでしまいました(笑)。普段は試合が行われる街に入ったら終わるまでアルコールは飲まないんですけど、このときばかりは特別でした。神戸の港がよく見渡せる景色のいいホテルで、それはおいしい缶チューハイでしたね」
福田は盟友、香川照之にメールを入れた。すぐに興奮気味の香川から祝福の電話がかかってきた。
「香川が言うんですよ。お前が表彰式に着る背広をオレが新調する。だから試合が終わったら東京に寄って寸法を全部測れと。すぐにアメリカに戻らなくてはいけなかったので実現しませんでしたけど、これはうれしかったですね。MGMで開かれた表彰式に家族で出席したのもいい思い出です。何より評価されたことで仕事がしやすくなると思うとうれしかったですね」
福田はここから6年間で計4度の最優秀写真賞を受賞。名実ともに世界トップのボクシングカメラマンとして縦横無尽の活躍をした。2013年にはフロイド・メイウェザーとサウル“カネロ”アルバレスのメガファイトを撮影し、その写真は世界のボクシング雑誌6誌の表紙を飾った。この注目の一戦をリングサイドで撮影できたボクシングカメラマンは福田だけだった。その模様はWOWOWの「ノンフィクションW~パンチを予見する男~」として放映された。
そのほかにもアメリカの雑誌で特集をされ、メキシコの雑誌では福田自らのポートレートが表紙を飾った。日本のテレビ、雑誌でも取り上げられた。
そして2015年5月、フロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオの“世紀の一戦”がラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナで行われた。両選手のファイトマネーは4億ドル超、日本円にして400億円以上という史上最もリッチなタイトルマッチである。この試合は世界中で大きな注目を集め、福田の写真も多くのメディアに使われた。
祭りが終わり、そして福田は考えた。もうアメリカでやるべきことはなくなったのではないのかと─。
2020年1月掲載