夢は散った。
2015年6月、イギリス・ブリストル。リー・ハスキンスの地元で開催されたIBF世界バンタム級暫定王座決定戦。結果は無情だった。
岩佐亮佑は変則的なハスキンスの前にいつものリズミカルなボクシングを展開できない。6回、打ち気にはやるところを強烈な左カウンターを浴びてダウン。相手の猛攻に防戦一方となったところでストップに持ち込まれてしまった。
小林はすぐさまリングに入り、コーナーでレフェリーに抱えられていた岩佐の顔をそっとタオルで拭いた。
消極的なボクシングをして負けたわけじゃない。海外の試合は初めてながら、コンディション調整もうまくいった。まだ25歳。完敗に終わったとはいえ、次に取り返せる失敗だと小林は感じていた。
その日の夜のこと。
岩佐はイギリスまで応援に駆けつけてくれた後援会の人たちを前にこう言葉を絞り出したという。
「ボクシングを続けるかどうか分からない」
岩佐の言葉に、小林はカチンと来た。彼に対して何か厳しいことを言う場合、2人きりのときに限定していた。人前で怒ってしまっては、プライドを傷つけてしまうからだ。しかしこのときは我慢ならなかった。大勢の人を前にして、強い口調で言った。
「1回負けたからって、何言ってんだ! ホントの負けっていうのは、夢をあきらめるときだ」
場は静まり返った。愛弟子の涙をすする音だけが聞こえた。
夢をあきらめる必要なんてない。
自分がそうだったからだ。プロデビュー戦で負け、日本タイトルは同じ相手に3度目の挑戦で勝って手にした。マルコム・ツニャカオに挑戦した初めての世界タイトルマッチは12回、引き分けだった。そして1階級上げたスーパーフライ級で〝日本人キラー〟として知られたレオ・ガメスを10回TKO勝ちで破って世界チャンピオンの称号を手にした。
小林はこう語っていた。
「俺は世界を獲るまで4回も負けている。絶対に不利と言われたツニャカオ戦で引き分けたからもう一度チャンスをもらえた。それが自分の人生を変えた。どこかであきらめていたら、自分の人生を変えられなかった。岩佐はまだ2敗目。夢が目の前にあるのに、あきらめることなんてない。と同時に、分かってほしかった。お前は強いんだ、と、お前は世界王者に絶対になれるんだ、と」
弟子は帰国後、現役続行の道を選んだ。
負けてからの岩佐は、強くなっていった。心もパンチも。ミットを受けた小林がそれを一番分かっていた。そして師と同じように、弟子も1階級上げての世界再挑戦が決まった。
「会長の教えが世界に通用することを証明したい」
岩佐の言葉に、自信がみなぎっていた。
エディオンアリーナ大阪で開催されたIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。勢いのある王者・小国以載に対して計3度のダウンを奪い、6回TKO勝利で王座を奪取した。ハスキンス戦から2年3カ月後の栄冠だった。ジムから初めての世界チャンピオンが誕生した瞬間。小林は労をねぎらうように岩佐を抱き「本当に良かった」と称えた。
試合前、控え室で岩佐と2人きりにしてもらい、こう語りかけたという。
「俺はまだイギリスの世界戦が終わってない。あんときの借りはきょう返す」
弟子が頷く。そして師は優しい顔になって言葉を続けた。
「俺はお前を信じている。お前も俺を信じてくれ。そしてお願いがあるんだ。俺、もう1回、世界のてっぺんに立ちたいんだ。てっぺんに連れていってくれよ」
弟子は静かに返した。
「任せてください」
セコンドも一体となって戦い、世界のベルトを呼び込んだ。弟子を抱え上げる瞬間をずっと夢みていた。岩佐と抱き合える日が来ることをずっと信じていた。世界チャンピオンになった愛弟子を、元世界チャンピオンは勢いよく抱え上げた。ぐるりと一回転させて、見合ってお互いに破顔一笑。もう一度抱きつき、弟子と師匠はグータッチならぬパンチタッチした。
どうだ、世界の景色は?などとヤボなことは聞かない。自分で感じればいいだけのこと。この成功体験を自分に落とし込むことができれば、もっと強くなれる。今のこの瞬間の感覚を大切にしてほしいと、小林は願った。
あきらめければ、夢は終わらない
これは小林の人生訓だと言っていい。
小林の現役ラストファイトとなったのが2度目の防衛戦となった02年3月のアレクサンデル・ムニョス戦。挑戦者はここまで21戦全KO勝利という伸び盛りの強打者で、王者不利の見方が広まっていた。
試合は5度のダウンを奪われてのTKO負け。彼はダウンを繰り返そうとも決してあきらめなかった。
「最後まで俺は勝てると思っていたよ。左が当たると思っていたし、あきらめる必要なんてない。何回もダウンしてポイントでは大差かもしれないけど、逆に倒し切ったら俺の勝ちなんだから。あの試合はムニョスと真っ向から打ち合う必要ないだろうって批判もあった。でもムニョスに勝つにはあれしかないと思ったし、今でもそう思っています。悔いがないからボクシングを辞められた。最後まであきらめないで夢を追いかけられたなと思えたから、もうこれで十分って思えた。
負けって別に失敗じゃない。後ろ向きの失敗は失敗だけど、前向きの失敗はそうじゃない。岩佐もそれを分かってくれただろうし、ほかの選手たちにもそう教えているつもりです。ジムの経営だってそうですよ。攻めたときにカウンターもらったら、それは仕方がない(笑)。もう1回前を向いて、チャレンジすればいいだけのこと。取り返せばいいだけのこと。世界チャンピオンになって感じた自分の経験が、ジム経営にも活かされているなって感じますよ」
その後、岩佐は2度目の防衛に失敗してしまう。だが、夢をあきらめなくなった男は強い。
2019年12月、岩佐はアメリカ・ニューヨークに向かい、マーロン・タパレスとのIBF世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦に臨んだ。タフでバランスの良いフィジカルを身につけて進化した岩佐は11回TKO勝ちを収めた。暫定ではあるものの、世界のベルトをもう一度取り戻して見せたのだった。
小林はずっと言っていた。
「岩佐はいろんな経験を得て、強くなった。もう一度世界チャンピオンになってくれると確信していると」
あの日、ニューヨークの小林からLINEのメッセージが入っていた。
「やったぜ」と。
夢は実った。そして夢は形を変えながらずっと、ずっと追いかけていけるもの。岩佐に続く世界チャンピオンもつくっていかなきゃいけない。ジムももっと大きくしていかなきゃいけない。
ボクシングジム経営浪漫。これからの大きな夢を教えてほしい。そう尋ねると小林会長は、子供のように目を輝かせて言った。
「ボクシングは本当にいいスポーツだと思っている。もっと認知度を広げていくように貢献していきたい。そしてジム生には、このジムに入って良かったと思ってもらいたいですよ。プロになった選手も、このジムでやって良かった、と。そして引退しても遊びに来てもらって後輩たちを教えてほしい。ボクシングの良さを伝えてほしい。そういうふうにずっとつながっていければいいですよね」
サンドバックやミットを叩く乾いた音が鳴る。
せわしなく動く小林がいる。
ここは夢を追いかける場所、ここは夢をあきらめない場所――。
2024年3月再公開
ボクシング経営浪漫 終